第112話《見つけたもの》
エレナはノアの掌に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
夜風だけが銀髪を揺らしていた。
遠くでは邪龍の姿が小さくなっていく。
「……エレナ」
ルナの声にも反応できない。
それでもルナは続ける。
「エレナ、私が撃つ瞬間、あなた戸惑っていたでしょ。理由は何だ」
エレナはゆっくりと顔を上げる。
「あの邪龍……」
エレナは拳を握りしめる。
「私の最後の地球での家族だった」
「家族?」
「……パパ」
ルナは目を見開く。
「本気で言ってるのか? あれは相当な邪念だった。あんなのが父親で、あなたみたいな祈念の子が育つわけがない」
エレナは目を伏せる。
「ママが……セレアだったから……」
ルナは手を額に当て、一瞬目を閉じる。
「なるほど。……あなたの母親が星哭きのセレア。そっか。あなたの規格外の祈念、それなら納得はできる」
ルナは一つため息をつき、冷静に話す。
「まぁ……だとしてもあの邪龍、この都市に置いておくわけにはいかない。悪いけど、次見つけたら必ず仕留めるから」
ルナの視線は冷たかった。
エレナは顔を上げられないまま小さく答える。
「……うん」
「私は帰る。今日のことはレーテに確認する。エレナ、明日一緒に行くか?」
「……行く」
ルナはエレナに背を向けたまま口を開いた。
「エレナ。ここはエイドス。あの邪龍が父親だったとしても、地球での一時的な縁にしか過ぎない。あなたはアウロラの守護者。自分の使命を忘れないで」
「……わかってる」
返事を聞くと、ルナはそのままノアの掌から飛び降り、ノクティス地区へと帰っていった。
「ノア、今日はもう終わり」
エレナの一言で、巨大な機神は霧に包まれたように姿を消し、最後に残った両手でそっとアウロラ地区の街へと優しくエレナを降ろした。
エレナは空を見上げた。
エイドスに昼も夜もない。
それでも空は、どこか夕暮れに似ていた。
群青に染まりきれない薄紫の空。
白月が静かに浮かび、その光が街並みを照らしている。
それは住人たちの祈念が作り出した景色だった。
本来なら、もう少し穏やかな色をしている。
だが今夜は違う。
邪龍が現れた影響なのか。
空には僅かな赤みが混じっていた。
都市の住人が、エレナの周りに集まる。
「エレナちゃん、邪龍が逃げ去ったって噂だけど?」
「月下の執行人のルナでも仕留められなかったって……本当?」
「初めてよね、守護者が邪龍を逃すなんて……」
エレナは必死に作り笑いを浮かべる。
「ごめんなさい、心配かけちゃって。でも大丈夫。アウロラには指一本触れさせないから」
そう答えながら、エレナは視線を逸らした。
そして皆の声を振り払うように家路へと足を進める。
次に邪龍オルドが現れた時、自分は本当に彼を仕留めることができるのだろうか。
そして、あのマリーという人。
邪龍と共に飛び去った以上、本来なら危険人物として扱うべきなのだろう。
だが、なぜか敵だとは思えなかった。
「明日、レーテに聞かなきゃ……」
その頃。
エイドスの外殻。
都市を包む光の壁のさらに外側。
そこには無数の星々が流れていた。
地球の宇宙とは違い、銀河ですらない。
魂の海と呼ばれる空間だった。
黒龍は静かに飛び続け、やがて、都市部の祈念が途切れる何もない荒野のような大地に降りた。
その首元にしがみついたまま、マリーはようやく息を吐いた。
「止まって……くれたのね」
マリーは地に足を降ろす。
黒龍は答えない。
だが、先ほどまで荒れ狂っていた黒い祈念は僅かに静まっていた。
マリーはその鱗へ手を添える。
「オルド」
黒龍の瞳がゆっくりとこちらを見る。
――何だ。
その声は相変わらず不機嫌だった。
それを聞いた瞬間、マリーは少しだけ笑った。
「やっぱり、あなただった」
オルドの目がギロリとマリーに向けられる。
しかし、セレアの加護に包まれたその身体からは少し温もりさえ感じる。
その瞳の奥には、怒りとも憎しみとも違う感情が揺れていた。
「ここは何処なの? あなたは知っているの?」
――神々が暮らす天上都市エイドス。祈りの墓場とは対極の場所だ。オレには縁もない場所だ。
「神々が暮らす……。人々が言う天国とは……違うようね」
――天国……そんなものはない。あるのは死ねばまた地に堕とされる地獄のような輪廻だけだ。記憶は奪われ、同じ絶望に何度も魂を灼かれる。
「……そう。セレアはそんなあなたを救うために、エイドスにあなたの魂を託した。なのに……この都市はあなたを排除しようとした」
マリーの言葉にオルドの黒い祈念がまた疼き始めた。
「落ち着いてオルド。あの子はエレナ。セレアが探していたあなたとの子ね。エイドスにいたのね。セレアは今も銀河を漂っているのでしょう? きっとエレナを探しているから」
マリーは少しだけ微笑んだ。
「そして、その子を最初に見つけたのはあなただった」
マリーの言葉に、オルドの黒い祈念が揺れる。
だが返事はない。
「あなたはどうしたいの? セレアに伝えたいんじゃない?」
――わからない。
「そう……いいわ。とにかくあなたがここでエレナに会えたのもセレアの祈りのお陰ね。私がエレナに会いに行く」
――オレも行く。
「いいわ。でも、オルド。その姿では行けない。恐らくこの都市は魂が具現化する。思い出して、あなたが本当に大切だったものを」
――助けてくれるのか……オレを。
「もちろん」
マリーは迷わず答えた。
その言葉を聞いた瞬間だった。
オルドを覆っていた黒い祈念が揺らぐ。
オルドの黒い鱗が剥がれ落ち、美しい白龍へと姿を変えた。
そしてその身体は小さくなり、やがて、一人の青年へと姿を変えた。
鋭い眼差し。
不機嫌そうな表情。
くたびれた黒い服を纏ったその姿は、地球であればどこにでもいる青年にも見えた。
それでも、その目だけは変わっていなかった。




