第111話《黒龍オルド》
遠く、ノクティス地区から砲撃音が届く。
エレナはその方向を見つめる。
「発砲音が多いなぁ……。ルナ手こずってる?」
マリーも音のした方へ顔を向けたその時、月に龍の影が重なった。
エレナが背伸びをし、目の上に手を翳す。
「おー、あれは大きい……。え? こっちに来てない?」
黒い咆哮はこちらに向けられ、龍がこちらに向かってきた。
「ちょっと! ルナ! アウロラに来ちゃうじゃない!」
エレナはマリーの手を引いた。
「こっちに来て!」
二人はノアの掌から飛び出し、白い腕を駆け上がる。
巨大な装甲の上を風が吹き抜けた。
やがて二人は左肩へ辿り着く。
「まぁちょうどいい。マリー、見せてあげる。私の祈念を」
エレナは、機神の耳に囁く。
「ノア、行くよ。あの邪龍をエイドスから叩き出して」
ノアの瞳がゆっくりと開く。
その瞬間、周囲の空気が震えた。
胸部の核が桃色に輝き始める。
光は全身へと巡り、巨大な腕が静かに邪龍へ向けられた。
「よし、来い、邪龍め」
邪龍は一直線にノアへ向かってくる。
そして目の前に迫ったその時、ノアの巨大な手が邪龍を両手で掴んだ。
「よし! ノア、このまま引き裂け!」
邪龍の黒い波動と、ノアの増幅された祈念がバチバチと弾ける。
「ちょ……! 何これ! 何か加護の祈念が付いてる!」
マリーの表情が変わる。
その加護と呼ばれた祈念に懐かしさがあった。
――セレア?
そして、その奥に絡みつくもう一つの黒く荒れ狂う波動。
忘れるはずがない。
ユナの命を狙い、幾度となく立ちはだかった邪念だった。
「まさか……」
邪龍が咆哮を上げる。
その瞬間、マリーの胸が強く脈打った。
「これは……オルド!」
マリーの言葉にエレナの目が鋭くなる。
「へぇ……」
エレナの瞳から光が消える。
「なら尚更……祈りの墓場に堕とさなきゃね」
エレナは祈念を強める。
ノアの締め付けが強くなり邪龍は更に強く暴れ出す。
その刹那、エレナの脳裏に声が響いた。
――エレナ……。
低く、懐かしく。
忘れていたはずなのに。
エレナの身体が凍りつく。
そして邪龍と目が合った。
「あんたがその名前を呼ぶな!」
エレナの感情が揺れ、ノアの手が少し緩んだ。
そして次の咆哮を上げた瞬間、邪龍はノアの手をすり抜け、ノアの右肩に体当たりした。
ノアの巨大な身体が大きく揺れる。
「きゃぁ!」
マリーとエレナはその衝撃で、投げ出されたが、ノアがそれを両手で受け止めた。
邪龍がそのまま空に登っていく。
「エレナ! 大丈夫か!?」
遠くから、建物の頂上を跳ねるように飛び、ノアの身体を駆け上がってくる少女。
やがて、ノアの掌に飛び乗った。
エレナが不機嫌そうな顔でその少女を見た。
「ちょっと、ルナ! あんたが仕留め損ねたから邪龍がアウロラに入ってきたじゃない!」
長い黒髪を夜風に揺らし、その手には身の丈を超える長大なライフルが握られている。
ルナの青い瞳は、静かに邪龍を見据えていた。
「すまない、エレナ。あの邪龍は私の祈念の砲弾を弾き飛ばすんだ。それに……」
「それに……。何よ」
「覚醒させる前に、違和感を感じた……。それでも強い祈念に覆われていたから……。そのまま起こしたら、急に邪龍になったんだ」
「え? 侵入してきたんじゃないの?」
「違う。覚醒担当として、レーテから引き継いだ時は普通だった」
マリーには話が見えなかった。
だが一つだけ分かる。
目の前にいる邪龍はオルドだ。
マリーが二人を見る。
「セレア……。セレアがここにオルドを託した」
その名を口にしたとき、エレナだけが目を背けた。
ルナが空を旋回する邪龍を目で追う。
「セレア……。事情はわからない。でもここで殺らなきゃエイドスが壊される」
ルナがライフルをオルドに向ける。
「あの邪龍、星哭きの女神、セレアの加護に守られてるってわけね。だったら私の祈念をこの一発に全部込める」
ルナの祈念が全身を覆い、やがて青白い光球が発射口の手前で輝き出す。
エレナの唇が僅かに動く。
「……待って、ルナ……。待っ……」
言い切る前に動いたのはマリーだった。
マリーの背中に片翼が展開し、ノアの掌から跳躍し、そのままオルドへと音速で飛翔する。
しかしそれと同時に、ライフルからルナの激しい祈念を纏った弾丸が撃ち放たれた。
弾丸はオルドの頭部目掛けて一直線に飛ぶ。
マリーは体勢を翻し、弾丸の軌道に飛び込む。
「間に合って!」
マリーは祈念でバリアを展開し、弾丸が着弾する。
「――ダメだ! 防げない!」
激しい祈念波を纏った弾丸はバリアを貫通したが軌道がずれた。
そしてオルドのこめかみを擦り、弾丸は空へと消えていった。
マリーはオルドの首に掴みかかる。
オルドは振り落とそうとするが、マリーは離れない。
マリーにオルドの黒い祈念が流れ込む。
――お前は……。何故ここにいる。
「あの日……あなたを止めた後、あなたが残した最後の兵器に殺された」
――そうか……死んだか。
「今はその話はいい! オルド、止まれ! ここでもまた、あなたを殺したくはない! ここでは私の体内から溢れる祈念は地球とは桁違いだ。今の私は、あなたを簡単に滅ぼせる。あなた、ずっと探していたんでしょう。……エレナを。」
オルドの動きが止まる。
荒れ狂っていた黒い祈念が、僅かに揺らぎを失った。
――何が目的だ。
「私にもわからない。ただ……セレアがここにあなたを送ったのであれば、セレアの祈りがあなたにある。セレアには恩がある。私はあなたを救ける。一旦この都市の外へ出る」
ノアの掌で、エレナとルナは飛び去るマリーとオルドを見ていた。
ルナが舌打ちをする。
「厄介だな。エレナ、何者だあの女は!」
「わからない……。でも元は人じゃない。ただルナ、感じたでしょ。彼女の祈念……私たちよりはるかに上回っていた」
ルナは銃口を降ろす。
赤く揺らいでいた月が、白月に戻る。
「ダメだ、祈念は今の一発で使い切った。追えない」
エレナはがくりと膝から崩れ落ち、膝を抱える。
「はぁ……。レーテは何であの二つの魂を覚醒させたの? あんなの、私たちじゃ止められない」




