第107話《終わらせる者》
つい先程まで広場を覆っていた、ネオスによる祈念種への暴動は止まっていた。
地面には、傷つき倒れたミデアやオリジンたちの姿がある。
それでも祈念種は抗わなかった。
涙を流しながら誰かを庇い、誰かを守ろうとしていた。
その光景は、誰もが思い出した二千年前の記憶と重なっていた。
一人のネオスの男が、倒れているミデアの女性の前へ膝をつく。
「……すまなかった。大丈夫か?」
女性は怯えながら、ゆっくり顔を上げる。
「……はい」
男は唇を震わせた。
「すまない……本当に……すまなかった……」
人目も憚らず、顔を覆って涙を流した。
その時、小さなオリジンの子供が近寄ってきた。
小さな手には、ポケットから取り出した飴玉が握られている。
「おじさん、これ、どうぞ」
男は目を見開いた。
震える手で、その小さな手に触れる。
「ありがとう……お嬢ちゃん。でもこれは、お嬢ちゃんが食べなさい」
そして、その瞬間だった。
広場の空気が、少しだけ変わる。
ネオスたちが、傷ついた祈念種たちへ駆け寄り始めた。
倒れた者を支え、傷の手当てをし、泣いている子供へ声をかける。
誰も命令していない。
それでも皆、自然と動いていた。
しかし、ラグスは一人震えていた。
「認めぬ……! こんなものは偽りだ!」
失った右腕の傷口を押さえ、ラグスは声を絞り出す。
「騙されるな! 薄汚い祈念種の声を聞くな……!」
だが、誰も動かない。
民衆たちは戸惑いながらも、傷ついた祈念種たちへ手を差し伸べていた。
ラグスは目を見開く。
「何故だ……何故……!」
そして民衆を見渡した、その瞬間だった。
ズンと胸に熱い衝撃が走る。
胸を、剣が貫いていた。
ラグスはゆっくりと視線を落とす。
胸元を突き刺す刃。
そして、その剣を握る者へ視線を辿った。
「……イエル……様……」
イエルの瞳から涙が零れる。
「……終わらせる。もう、この憎しみは……ここで終わりだ」
その声は震えていた。
マリアスが叫ぶ。
「ダメだ、イエル! また憎しみが連鎖する! それでは断ち切れない!」
ラグスはゆっくり首だけを動かし、マリアスへ視線を向ける。
「……マリアス様……もう手遅れです」
血が口元から溢れた。
「剣が……私の心臓を……貫いております……」
そして今度は、エリカへ視線を向けた。
エリカの身体から、優しく温かな祈念が淡い光となって溢れていた。
ラグスは初めて、それを見た。
自らの死を受け入れた瞬間、胸の奥で忘れていた何かが静かに揺れた。
そして、その表情がふと緩んだ。
「……そういうことですか、エリカ様……」
咳き込み、赤い血が地面へ落ちる。
そして、小さく笑った。
「死の間際……人は使命を思い出す……。ようやく思い出しました。私が……何を見失っていたのかを……」
ラグスは広場を見渡した。
泣く者。
傷ついた者。
抱き合う者。
ネオスも、祈念種も、互いを支え合っている。
しばらくして、ラグスは静かに目を閉じた。
「……そうですか」
そしてゆっくりと、胸を貫く剣へ視線を落とす。
「……イエル様。いけませぬ」
ラグスは震えるイエルの手を、静かに握った。
「あなたは……この国を背負う者。その手を……憎しみで汚してはなりません」
その笑みは、不思議と穏やかだった。
ゆっくりと、剣の柄からイエルの手を外す。
ラグスは民衆へと向き直った。
そして、最後の声を張り上げた。
「先代エリオ様も……ルシエ様も……そして今、ノエル様を殺したのも私です!」
広場が静まり返る。
「第七区暴動事件は存在しない。……あれは私が仕掛けた……祈念種への虐殺でした」
ラグスは、自ら剣をさらに深く身体へ押し込んだ。
血が溢れ、白い石床を赤く染めていく。
「よってこの命……自らエリカ様へ差し出します……償いという意味では……今できることは……ここまでです……」
崩れるように膝をつき、そして小さく笑った。
「しかし、この命だけじゃ、まだ……足りませぬな……私の罪は……」
かすれる声。
最後まで言葉は続かなかった。
そうして、ラグスの瞳から静かに光が消え、静かに地面へ崩れ落ちる。
誰も声を上げなかった。
歓声もない。
勝利を喜ぶ者もいなかった。
ただ、風だけが広場を吹き抜けていく。
つい先程まで怒号と悲鳴に包まれていたその場所は、嘘のような静寂に包まれていた。
イエルは立ち尽くしていた。
震える手。
胸を貫いた剣の感触が、まだ消えない。
自分が何をしたのか理解していた。
理解しているからこそ、その場から動けなかった。
イエルの膝が崩れる。
「……終わったのか……」
掠れた声だった。
答える者はいない。
静かな足音が近づく。
マリアスだった。
傷だらけの身体のまま、イエルの隣へ静かに膝をつく。
何も言わない。
ただ、同じ景色を見つめていた。
しばらくして、イエルが呟く。
「……何か言ってくれ、マリアス」
マリアスは空を見上げる。
「イエル。私たちはまた新たな贖罪を背負った。だが償いとは、過去へ跪くことじゃない。今、この瞬間から未来を選ぶことだ」
風が吹く。
マリアスは立ち上がりイエルに手を伸ばした。
「次の世代にこの悲しみを引き継がせない。その覚悟があるなら民衆にそれを示せ。イエル、君ができないのであれば、私がやるまでだ。私たち祈念種は未来を見て生きる種族だ」
イエルも立ち上がる。
「マリアス、種族など関係ない。ネオスだってそうさ。今、この都市は壊れた。インフラも止まり、アネシアは還り、エリカはここにいる。この都市を立て直すには、種族を越えて手を取り合わねばならない」
イエルはマリアスに向き合う。
「アストレアの女王マリアス。……もう一度、この国を共に創ってくれるか?」
マリアスは微笑んだ。
「もちろんだ。ルミエルを統べる者に君はなれ、イエル」
二人は固く手を握り合った。
民衆は、その姿を静かに見守っていた。
瓦礫の山の向こうには、崩れた祈りの塔が見えていた。
ナギはそれを見つめ震えが止まらなかった。
祈りの塔は、ナギにとって始祖マリーと繋がる場所だった。
心の支えであり、ずっと信じ続けてきた祈りそのものだった。
「ナギ」
カイが、震えるナギの手を握る。
「行こう」
「……え……?」
「兄さんも、マリアスも、皆……前へ進めって言ってる」
カイは、泣きながら笑う。
「だからオレたちが、この国を止めちゃダメなんだ」
「でも……祈りの塔が……」
カイはナギの肩に手を置く。
「ナギ、それでもマリー様は消えてない。ナギの中にも、皆の中にもいる。また創ろうよ。だって、マリアスってマリー様みたいじゃないか? ナギがユナ様になって、そしたらオレがピリカ様みたいにナギを守るから」
カイの言葉に、ナギの祈念核が温かく柔らかい光を発した。
それに引き寄せられるように、ルカがカツカツと音を立て、ナギに寄り添う。
「ママー、ルカモ、ズット、ママト一緒」
「うん!」
ようやくナギが明るい笑顔を見せた。
マリアスがオルガの亡骸を抱いたエリカに歩み寄る。
「エリカ、あなたはこれからどう生きるの? もう、縛り付けるものなんてない。私たちの目的は、あなたを塔から解放するためでもあった」
エリカは目を伏せた。
「そうだな……長い間、私がこの都市を守っていると思っていた。しかし、違ったのかもしれない。この国の人々が手を取り合い生きるという選択を、私自身が奪っていたのかもしれない」
エリカはオルガの髪を静かに撫でた。
そして初めて、使命のためでも、誰かのためでもなく。
ただ、自分自身のために涙を流した。




