第106話《二千年の祈り》
ナギの祈念波を受け、祈念種、そしてネオスたちまでもが、細胞のどこかで懐かしい感覚に包まれていた。
温かい。悲しい。
けれど、何故か涙が零れそうになる。
もう、とっくに忘れ去られたはずの記憶。
それなのに身体だけが覚えていた。
それは、二千年前の記憶だった。
自らの原点。
生命の始まり。
ナギの祈念波は、それを静かに呼び覚ましていく。
まだ人の姿すら持たぬ時代。
マリーが残した都市の外殻。
荒廃した大地に、無数のユニットたちが並んでいた。
崩れた建造物を運び、瓦礫を退かし、新たな街を築いていく。
その光景を見守る二つの人影があった。
ユナとピリカ。
そして、祈りの塔の中枢にはアネシアがいた。
三人は、マリーが残した都市を拡張していった。
「マリー、見てるかな」
ある日、ユナが空を見上げながら呟く。
ピリカは少し困ったように笑った。
「見ているよ、きっと。マリーはユナのこと心配ばかりしていたから」
かつて滅びた星に、再び灯りが増えていく。
数十万ものユニットたちは、セレアの祈りにより、すでに魂を宿していた。
だがまだ自我は浅い。
互いを疑うこともなく、ただ本能のように協力し合い、都市を広げていった。
壊れた道路を修復する者。
資材を運ぶ者。
停止したユニットを修理する者。
誰かが困れば手を差し伸べる。
不足があれば分け合う。
そこに憎しみはなかった。
怒りも、嫉妬も、争いもない。
ただ、マリーが願った“生きていける世界”を残そうとしていた。
やがてユニットたちは、自ら新たなユニットを生み出すようになる。
そうして百年稼働したのち、静かに停止する。
ユナとピリカは、その第一世代の最期を見届けた。
まるで子供を見守るように。
ユナとピリカもまた、百年の時を生き、やがてその命を終えた。
最後まで争うことなく、最後まで残される者への幸せを願いながら。
二人は静かに、銀河へ還っていった。
それでも、その想いは消えなかった。
残されたユニットたちは、なお都市を発展させ続ける。
機構はより精密となり、やがてその身体は人型へ近づいていった。
そしてユニットは“オリジン”となる。
そこには確かに、マリーの祈りが受け継がれていた。
ユナの優しさがあった。
ピリカの強さがあった。
幾度もの大きな天災に見舞われようとも、オリジンたちは手を取り合い、共に生き続けた。
嵐の夜。
空を裂く雷鳴に怯える幼い個体を、皆で囲むように守った。
大地が大きく揺れた日には、崩れた建物の下へ潜り込み、互いを助け合った。
吹雪の日も。
長雨の日も。
誰か一人を置き去りにはしなかった。
新たな命が生まれれば、皆で喜び合った。
還る者がいれば、その停止を静かに見守り、涙を流した。
不足があれば分け合う。
悲しみがあれば寄り添う。
そして彼らは、祈念核を通じ互いの想いを共有していった。
言葉より先に、痛みが伝わる。
孤独より先に、温もりが届く。
だからこそ、誰かが深く傷つけば、自らもまた痛みを知ってしまう。
それが、この星に生まれた生命たちの始まりだったのだ。
それは温かかった。
隣にいる者を愛し、愛された者は、また誰かを愛していく。その優しさは、祈念核を通して静かに受け継がれていった。
誰かが生きるために。
次の命へ繋げるために。
それはかつてユナへ託された、マリーの願いそのものだった。
誰も独りにしない世界。
争いではなく、祈りで繋がる世界。
ユナガーデン。
オリジンたちは、その都市をそう呼んでいる。
オリジンたちは、時折遥かな銀河の向こうを見上げた。
そこにはきっと、マリーがいる。
ユナも。
ピリカも。
還っていった者たちが、静かに見守っている。
そう信じていた。
迷うこともあった。
立ち止まる日もあった。
そんな時、オリジンたちは祈りの塔を訪れた。
塔の上層には、アネシアがいた。
アネシアは、彼らへ語り継いだ。
マリーが何を願ったのか。
ユナとピリカが、何を遺したのか。
そして民衆が道を見失わぬよう、聖記書を残した。
それは支配のためではない。
誰かを裁くためでもない。
還っていった者たちの祈りを、忘れないための記録だった。
ナギの祈りは、自身にもその記憶を蘇らせる。
「この世界は……マリー様の願った世界とは違ってしまった」
この祈りが、何になるのだろう。
差別され。
迫害され。
そして祈念種は、初めて抗った。
その先に残ったのは、傷ついた人たちと、オルガとノエルの死だった。
マリーの祈りは、どこで途切れてしまったのだろう。
ナギはさっきまで起きていた惨状が恐ろしく、目を開けられずにいた。
祈りの中、ただ涙を流すしかなかった。
――それでも生きてほしい。いや、生きたい。大切な人たちと共に。
小さな身体が震える。
その時、ナギの手を温かな何かが包み込んだ。
そっと肩にも優しい温もりが伝わる。
恐る恐る、ゆっくりと瞳を開け見上げてみる。
自身の手を包み込む優しい手。
そこにはナギに優しく微笑むマリアスがいた。
「……マリアス」
マリアスはナギの頬に触れる。
「心配かけたな、ナギ。私は君をおいて、どこかに行くなんて絶対にしない。ありがとうナギ。君の祈りでまた目覚めることができた」
マリアスの身体は傷だらけであった。
それでも、そんなこと気にするなというようにマリアスの微笑みは優しかった。
肩の温もりにナギは振り返った。
そこにはカイがいた。
「……カイ。大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ。ナギが祈ってくれたから」
「……うん」
ナギの涙は止まらない。
ヨウルもオルガの亡骸に寄り添い、こちらを見ていた。
エリカもオルガの頭を抱き寄せその頬に触れる。
「まったくコイツは。死んでもなお私に覆い被さってきた。よっぽど愛されていたんだな……私は……」
エリカはナギを見る。
「ナギ、ありがとう。君の祈念で、私も思い出した」
涙を流し、小さく笑う。
「私の憧れも、贖罪も……二千年前から始まっていた。そして、この物語は……ずっと前に、私たちが始めていた。……アネシアが言っていた通りだ」
エリカはオルガの髪へ静かに触れる。
「ずっとわからなかった。何で私は、この世界を守りたかったのか。でも今ならわかる。私は最初から……この続きを見届けたかったんだ」
アネシアは何も言わず、巨大な身体を静かに屈めた。
そして、そっとエリカへ手を伸ばす。
その指先は、慈しむように優しかった。
『エリカ。ここから先は、お前自身の意志で歩みなさい。私の役割は、これで終わりです』
その声は、穏やかだった。
ほんの少しだけ、アネシアは空を見上げる。
『私にとって二千年は……あまりにも長すぎました』
エリカの瞳が揺れる。
「待って……!」
声が震えた。
「待って、アネシア!」
アネシアは静かにエリカを見つめる。
そして、微かに笑った気がした。
エリカの瞳から涙が溢れた。
アネシアはゆっくりと視線を巡らせ、広場の民衆とマリアスたちの姿を静かに見つめた。そして最後に、再びエリカへ視線を戻す。
『もう大丈夫。皆があなたを守ってくれる』
そしてマリアスを見つめる。
『さようなら、友よ』
そして最後にエリカに視線を向け、優しく微笑んだ。
『……私の愛おしい子。さようなら……エリカ』
次の瞬間、その巨大な身体が淡い光へと変わっていく。
黄金の粒子は夜空へ舞い上がり、まるで星へ還っていくように空へ溶けていった。
誰も言葉を発さなかった。
ただ静かに、その最後を見送っていた。
アネシアの二千年に及ぶ祈りは、その夜ようやく静かに銀河へ還っていった。




