第104話《塔の崩壊》
マリアスはラグスに剣を向け構える。
ラグスの手にはもう武器はない。
マリアスはエリカに問う。
「エリカ。今ここで、ラグスを殺めることは、新たな贖罪を生むのか。それが罪だと言うなら……私は背負う」
エリカはオルガの亡骸を抱いたまま静かに答える。
「マリアス……。殺してはダメだ。生きたままラグスには罪を償わせなければ。ラグスは祈りの墓場に堕ち……またその輪廻を繰り返す」
「しかし……殺さずしてこの男を止める術が見当たらない」
ラグスが軽く微笑む。
「さすがは、女神。寛大なお心遣い、感謝いたします。が……甘い」
ラグスは胸元に右手をやる。
「――起爆か!」
次の瞬間、マリアスはラグスの間合いの中にいた。
そしてラグスの右腕はマリアスに斬られ宙を舞う。
「クッ……!」
ラグスは苦悶の表情浮かべながら、後ろに倒れる。
その途中、ニヤリと笑った。
「……もう遅いのですよ、マリアス」
地下から轟音が鳴り響き、広間の石床が中央から崩れ落ちる。
「――ナギ!」
マリアスは身体を翻し、片翼を展開して崩落した床へ飛び込む。
しかしその時には、崩れた床と共に皆の姿は地下へ呑まれていた。
それと同時に、大扉が崩れ落ちる。
天井の岩盤が砕け、マリアスの上へ降り注いだ。
塔の外には多くのルミエルの国民が集まっていた。
ナギの祈念波に呼応するように、同調した祈念種たちが救いを求めるように塔を目指していた。
諦めていた何かが、まだそこに残っている。
そんな希望が、彼らの祈念核を震わせていた。
それを見たネオスたちがパニックに陥る。
集まる祈念種たち。
そしてノエルの死。
怒号が飛び交う中、イエルは声を枯らしながら民衆へ叫んでいた。
「落ち着け!」
イエルの声が広場へ響く。
「剣を取るな! 逃げるな! 今ここで争えば、本当にルミエルは終わる!」
混乱する民衆へ、必死に声を張る。
「祈念種は敵じゃない! 彼らは……僕たちを救うために来たんだ!」
ざわめきが揺れる。
それでもイエルは叫び続けた。
「父上は、こんな世界を望まなかった! それは兄、ノエルもだ! もうこれ以上、誰も憎むな!」
それでも民衆の混乱は収まらない。
次の瞬間、地面が大きく一度揺れた。
都市のインフラが停止する。
都市を満たしていた機械音が、一斉に消えた。
次の瞬間、轟音とともに祈りの塔が崩れ始めた。
ルミエルの象徴だった白亜の塔が、ゆっくりと地へ沈んでいく。
「――皆、離れろ!」
イエルの叫びと同時に、民衆が雪崩れるように後退する。
逃げ惑うネオスたちの悲鳴が広場に響き渡った。
祈りの塔はなおも崩れ続けている。
白亜だった外壁が砕け、巨大な瓦礫となって地へ沈んでいく。
二千年、祈念種たちが神聖視してきた象徴。
その崩壊を前に、祈念種たちはただ立ち尽くしていた。
崩れ落ちる轟音が大地を震わせる。
涙を流す者。
膝をつく者。
祈るように両手を組む者。
誰もが理解できずにいた。
信仰とは何だったのか。
守られていたはずのものが、なぜ崩れ落ちていくのかを。
イエルは唇を噛み締めた。
そのすぐ傍には、静かに横たわるノエルの棺がある。
吹き荒れる砂煙から兄を守るように、イエルはその棺へ覆い被さった。
「……兄さん」
震える声が、かすかに漏れる。
やがて風が吹き抜け、舞い上がっていた砂塵が少しずつ晴れていく。
その先に現れたのは――崩れ落ちた祈りの塔だった。
かつて空へ届くように聳えていた白亜の塔は、いまや巨大な瓦礫の山へと変わり果てている。
「……そんな……」
イエルは力を失ったように地へ膝をついた。
風だけが吹き抜けていく。
「あの中には……まだ皆がいる……」
掠れた声だった。
「マリアス……エリカ……オルガ……。カイも、ナギも……ヨウルも……ルカも……」
視線を逸らせない。
逸らしてしまえば、本当に全てが終わってしまう気がした。
「どうなってるんだ……。頼む……みんな、無事でいてくれ……」
祈るように呟いた、その瞬間だった。
瓦礫の奥で、何かが動く。
「……誰だ」
イエルの目が見開かれる。
希望と不安が入り混じる中、その影から目を離せない。
やがて、それはゆっくりと姿を現した。
右腕を失った、大柄な男。
「……ラグス」
イエルは息を呑む。
理解が追いつかなかった。
塔は崩れた。
ならば、あの中にいた皆は――。
「皆は……どうした……」
震える声で問いかける。
瓦礫の下敷きになって無事でいられるはずがない。
いくらマリアスたちでも。
「負けたのか……。皆は……死んだのか……?」
握り締めた拳が、地面へ叩きつけられる。
「すまない……アストレアの民よ……。すまない、マリアス……オルガ……。すまない、カイ……ナギ……。ヨウル……ルカ……」
絞り出すような声だった。
涙が地面へ落ちていく。
絶望の中、イエルは再び瓦礫の山へ目を向ける。
その間にも、ラグスはゆっくりと歩いてくる。
ふらつきながら。
失った右腕の傷を押さえながら。
満身創痍だった。
それでも、その眼光だけは死んでいない。
やがてラグスは、イエルの前で足を止めた。
「ラグス……マリアスたちはどうした」
イエルの声は、怒りと恐怖に震えていた。
ラグスは血の混じった息を静かに吐く。
「全員、塔の下へ落ちました」
その口元が、ゆっくり歪んだ。
「イエル様……私の勝ちです」
イエルの瞳に怒りが灯る。
ゆっくりと立ち上がり、ラグスを睨みつけた。
「勝ったから何だ……。だからといって、お前が父上を……お祖父様を……兄さんを殺した罪は消えない。必ず償ってもらうぞ」
拳が震える。
ラグスは首を軽く鳴らした。
「知りませぬ」
イエルの目が見開かれる。
「……何だと?」
「ですから、知りませぬ」
淡々とした声だった。
「ルシエ様は十七年前、祈念種に殺された。先代エリオ様も、祈念種に暗殺された。そして今日――ノエル様もまた、アストレアのマリアスに殺された」
わざとらしく目を伏せる。
「……なんということでしょう」
「――貴様ッ!」
怒声が響く。
だがラグスは笑みを崩さない。
「イエル様。あなたも……同罪ですよ」
ラグスは大衆に向き直る。
そして残された左腕を高く掲げた。
「ルミエルの民よ! 我々の勝利だ!」
その瞬間、ネオスたちの歓声が広場に鳴り響いた。
「ラグス……貴様ぁ……」
イエルは唇を噛み締め、その口から血が滴る。
「アストレアの女王マリアスは死んだ! 守護神オルガも、もういない! 我々に刃向かうものはもういない。今日、この日から新しいこの国が始まる! もう祈念種に怯えることはない!」
歓声はさらに熱を増す。
そしてラグスが冷徹な眼差しで言う。
「この都市の祈念種全てを……排除する」
一瞬の静寂。
そして誰かが、足元の石を拾った。
次の瞬間だった。
ネオスたちが、一斉に祈念種へ襲いかかった。
殴る者、蹴る者、石を投げる者。
あちこちで悲鳴が上がる。
幼い子供たちの泣き声まで混ざり始める。
イエルは必死に叫ぶ。
「やめろ! やめるのだ! 騙されるな!」
次の瞬間、イエルの襟首が掴まれ、そのまま地面へ叩きつけられた。
「――クッ!」
「イエル様、邪魔ですよ。あなたもここで死んでもらいます。罪を償いなさい」




