第103話《あの日の約束》
十七年前、第七区にマリアスは家族と住んでいた。
突然、胸の奥の祈念核に流れ込む恐怖の祈念。
「――何?」
慌てて外に出ると、遠くから聞こえる激しい爆音と悲鳴。
母親が玄関の前に立ち尽くしている。
「ママ……何が起こってるの?」
「……ネオスが……街を焼いている……」
幼いマリアスには、それが何を意味するか理解できなかった。
遠くから声が聞こえた。
「マリアス! 無事か!?」
逃げるように駆け寄ってきたのは、まだ小さな身体で母親の手を引き走るオルガだった。
その瞳には堪えきれない涙が溢れている。
「マリアス……父さんが殺られた。父さんが母ちゃんとお腹の子を守れって……オレらを逃して……振り返った時には……」
オルガは涙を拭う。
「マリアス行こう、もう七区はダメだ」
マリアスは遠くに目をやる。
そこには大柄な男が何百機と黒いユニット群を従え、街を破壊し、祈念種を次々と斬り捨てていく。
ユニットもまた、建物を焼き破壊していく。
七区の祈念種たちは抵抗する術もなく、ただ悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
「……どうして……? 私たち、祈っていたのに……」
問いより先に、恐怖が胸を埋め始めていた。
次の瞬間、オルガの背後にユニットが一機滑り込み鋭い前脚を振り上げ――そして落とされた。
「オルガ!」
マリアスは直視できずに目を塞ぐ。
ゆっくり目を開くとそこには信じられない光景があった。
オルガと身籠った母親を庇うようにマリアスの母が立ちはだかり、その胸を前脚が貫通していた。
「――ママー!」
その脚が、ゆっくりと引き抜かれる。
赤いレンズが、今度はマリアスへ向いた。
その時だった。
マリアスの祈念核に激しい波動が波打つ。
それはメッセージだった。
悲しくも無力に叫ぶように、それでもただ必死に伝えようとする祈念。
――逃げて! 早く逃げて!
「――エリカ」
その祈念を受けたマリアスには、記憶とは違う懐かしさと使命が蘇るような不思議な感覚だった。
「……私は……始祖マリー様の思いを引き継ぐ者。……ユナ様とピリカ様と共に……」
マリアス自身も理解はできない。
ただ感覚的に祈念核に何かが流れ込む。
魂の系譜がまるで蘇るように脳裏に見える。
「……また……この地で巡り会う……」
立ち尽くすマリアスの腕をオルガが強く引く。
「マリアス! 逃げるぞ! 母ちゃんも早く!」
マリアスは我に返った。
だが、広がる惨状に足が動かない。
「マ……マ……。……ママー!」
目の前に迫り来るユニット。
ユニットが再びマリアスへ脚を振り上げる。
次の瞬間、ユニットの頭上に影が落ち、そのまま剣が突き刺さる。
ユニットはそのまま崩れ、レンズの光が消えた。
ルシエだった。
「マリアス! オルガ! そのまま国境を越えてルミエルを出ろ! 走れ!」
オルガに強く手を引かれ、マリアスは夢中で走った。
国境には大型の警備ユニットが立ち尽くしていたが、静かにルミエルを去る祈念種たちを見守っていた。
オルガの母も他の祈念種に支えられなんとか国境を越えた。
森の悪路を生き残った何百という祈念種たちはただ進む。
もうどれほど歩いただろうか。
疲れを滲ませるオルガが母に尋ねる。
「母ちゃん、オレたちはどこに向かってるの?」
オルガの母は顔色が悪かった。
その様子に気づき、二人は自然と歩みを緩めた。
「アストレア。祈念種が集まる国。みんなが幸せに暮らせる国よ」
厳しく情報統制されたルミエルに暮らす祈念種にとって、アストレアは理想郷であり、本当に実在するかなど半信半疑だった。
それでも信じて歩くしか、彼らには道はなかった。
背後から二人を呼ぶ声がした。
「マリアス! オルガ!」
駆け寄ってきたのは数人の護衛と共にいるイエルだった。
「二人とも無事だったか……良かった」
三人は互いの手を掴み、そのまま声を上げて泣いた。
イエルが震えながら話す。
「父上が……ラグスに殺された」
マリアスの目が見開く。
「ルシエが……ルシエが私たちを逃してくれたの」
マリアスの目にも涙が滲む。
オルガも泣きながら口を開く。
「オレも、父さんが……マリアスのお母さんも、目の前で……。マリアスのお父さんも行方知れずだ」
イエルはその場に崩れるように膝をついた。
「すまない……ネオスが君たちを……本当にすまない」
イエルの涙が地面に滲む。
「なのに君たち祈念種は、僕を助けてくれた……。国境を抜けるとき、僕を守るために命を落とした人たちもいた……。ごめんなさい、ごめんなさい」
オルガの母が、崩れ落ちたイエルの肩に手を乗せる。
「イエル様、私たちは種族など関係ないのです。あなたのお父上も仰っていたでしょう。ルシエ様は立派なお方でした」
オルガの母はそっとイエルの手を引き、立ち上がらせる。
「イエル様、共に行きましょう。アストレアへ」
「でも……僕はネオスだから……アストレアへは……」
イエルの言いかけた言葉を、マリアスは制止した。
「イエルも一緒に行こうよ。アストレアへ!」
オルガも手を差し伸べる。
「行こう、イエル。でも……アストレアなんて本当にあるのか?」
イエルが大きく頷く。
「うん、アストレアはある。およそ百年前からね。ただ、とても貧しい国のようだ。父上がいつかアストレアも豊かにしたいと言っていた」
マリアスは遠くを見るように呟く。
「アストレアを豊かに……みんなが幸せに暮らせる国。……ずっと昔から、それを願っていた気がする」
「はぁ? 何を言っているんだマリアス」
少し呆れたようにオルガがマリアスを見る。
「私たちが創ろうよオルガ、私はやるよ! イエルは?」
「でも……僕、ネオスだし……」
「関係ない! みんなの中にはネオスも入ってる」
オルガが少し目を伏せる。
「本気かマリアス。そんなこと……。エリカはどうするんだよ。みんなの中に入っているのか?」
「もちろん! だからオルガ、私に手を貸して」
「……しょうがねぇな。わかったよ」
三人は手を取り合った。
オルガの母は、夢を語り合う幼い子供たちを、静かに見つめていた。
数日歩き続けた末、祈念種たちはようやくアストレアへ辿り着いた。
だが、そこに理想郷はなかった。
住人たちの瞳に光はなく、街には疲弊だけが沈殿していた。
オルガの母は、アストレアに着いた直後に子を産み、それと引き換えに命を落とした。
身重の身体での逃避行は、あまりにも過酷だった。
オルガはその子を、カイと名付けた。
マリアスはカイを抱き、オルガに言った。
「オルガ、この子を知ってる気がする。安心して。私がこの子の母親がわりになるから」
「マリアス、また変なこと言ってるな。まぁなんかそれがマリアスらしいって思うようになってきたよ」
その夜。
荒れ果てたアストレアの空を、三人は並んで見上げていた。
灯りも少なく、風は冷たい。
それでもマリアスは、小さく笑った。
「いつか必ず、この国を……皆が笑って暮らせる場所にする」
オルガは呆れたように肩をすくめる。
「……でっかい夢だな」
「でも、嫌いじゃないだろ?」
その言葉に、イエルも静かに笑った。
冷たい夜空の下。
三人の小さな約束だけが、静かに未来へ残された。




