第16話 帰れないように作られた召喚陣
翌朝、ギルド二階の会議室には、張り紙が貼られていた。内容はこうだ。
会議時間は一時間まで。食事を抜かないこと。睡眠を削らないこと。古式刻印の音読禁止。無許可の魔力接触禁止。ユーマ・カンザキとリア・エルヴァルディア殿下を二人きりにしないこと。
最後の一文だけ、やけに強調されていた。俺はその張り紙を見て、少し首を傾げる。
「二人きりにしないこと、というのは必要ですか」
「必要です」
ミラさんが即答した。隣でセシルさんも強く頷く。
「昨日の六時間を忘れたのですか」
「忘れていません」
「でしたら分かるはずです」
「会話が進みすぎたことは理解しています」
「進みすぎた、で済むなら良かったのですが」
ミラさんは疲れた顔をしていた。セシルさんも同じだった。おそらく、昨日の会話が終わった後も、リア殿下を休ませるのに苦労したのだろう。俺も安宿に戻った後、結局かなり遅くまで記録を書いてしまった。反省はしている。ただ、後悔はしていない。
「ユーマさん」
「はい」
「今日は一時間です」
「分かりました」
「本当に?」
「はい」
「リア様もです」
セシルさんが横を見る。リア殿下はすでに席についており、机の上に資料を並べていた。青い外套。小さな本。古代文字の写し。そして、昨日より少しだけ寝不足に見える顔。
「一時間は短いです」
「短くありません」
「古式刻印の比較だけで一時間は必要です」
「ですから、それ以上続けるとまた食事を忘れます」
「食事は机に置けば食べられます」
「食べなかったでしょう、昨日」
「……冷めていました」
「冷めるまで放置したのです」
リア殿下は少しだけ視線を逸らした。俺はその気持ちが分かる。興味がある話をしている時、食事という行為はどうしても優先順位が下がる。だが、昨日学んだ。研究を続けるためには、睡眠も食事も必要だ。生き残ることも研究技術の一つ。これは重要な結論である。
会議室には、昨日とほぼ同じ面々が揃っていた。リア殿下。セシルさん。王国魔導院のレグナ卿。監察官ロイさん。ミラさん。ガルドさん。そして俺。護衛騎士は扉の外に控えている。
昨日の六時間会話を経て、騎士たちの俺を見る目が少し変わった気がする。警戒はある。だが、敵を見る目ではない。厄介な学者を見る目に近い。それが良いことなのかは分からない。
「では、始めましょう」
レグナ卿が重い声で言った。彼は机の中央に、一枚の大きな羊皮紙を広げた。
王都の勇者召喚陣の写し。外周部。中心部。魂固定らしき円環。肉体構築補助。魔力安定化線。聖教国式の神聖紋。王国魔導院の補修刻印。そして、その奥に埋もれるように存在する古式刻印。昨日の話で、最も問題になった部分。帰還不可。俺はその文字列から目を離せなかった。
「まず確認します」
レグナ卿は俺を見る。
「ユーマ。あなた自身は、元の世界へ戻ることを望んでいるのですか」
「いいえ」
即答した。部屋の空気が少し変わる。リア殿下の視線もこちらへ向いた。
「理由は?」
ロイさんが尋ねる。
「俺は地球で死亡しています。仮に魂を地球へ戻せたとしても、戻る肉体がありません」
「魂だけ戻る可能性は?」
「検証不能です。ただ、元の肉体が存在しない以上、帰還というより再転生になると思います」
レグナ卿が眉をひそめる。
「再転生」
「はい。少なくとも、俺に関しては帰還不可が倫理的に問題になる度合いは低い。死後に転生したので」
そう。俺の場合はまだいい。地球で死んだ。そして別世界へ来た。戻れないとしても、それは既に死んだ世界へ戻れないという話だ。もちろん、地球への未練が全くないわけではない。だが、俺は死んだ。それは前提だ。問題は、俺以外の場合。
「ですが」
俺は召喚陣の写しを見た。
「もし生きた人間を召喚する場合、この帰還不可術式は大きな問題です」
部屋が静かになった。レグナ卿の顔がさらに険しくなる。リア殿下は目を伏せ、紙の上の古式刻印を見ていた。
「召喚された者が元の世界に生活を持ち、家族を持ち、肉体を持っていた場合、帰還経路を閉じることは、その人の人生を一方的に奪う行為です」
「勇者召喚は、神託に基づく儀式です」
レグナ卿が言った。だが、その声には強さがなかった。彼自身も、完全には納得していないのだろう。
「神託でも、本人の同意がないなら問題です」
俺がそう言うと、セシルさんが不安そうにリア殿下を見た。ロイさんは黙って記録している。ガルドさんは腕を組み、真剣な顔をしていた。
昨日までなら、俺はもっと淡々と言っていたかもしれない。ただ構造上の問題として。だが、今は違った。少しだけ、胸の奥に重いものがある。怒り。おそらく、それに近い。
勇者召喚。世界を救うため。魔王を倒すため。神に選ばれた者。美しい言葉で飾れば、いくらでも正当化できる。だが、その裏側に帰還不可の術式があるなら。それは、かなり醜い。
「ユーマさん」
ミラさんが静かに言った。
「怒っていますか?」
「……少し」
自分でも驚いた。認めたからだ。
「俺自身のことではありません。ただ、この術式を作った者は、召喚される側のことをどこまで考えたのか気になります」
「考えていなかったとは限りません」
リア殿下が言った。
「どういう意味ですか」
「古代アストラ文字の構造を見る限り、この帰還不可は、単なる拘束目的だけではないかもしれません」
俺はリア殿下を見る。彼女は指先で、写しの外周部をなぞった。直接触れるのではなく、紙の少し上を滑らせる。
「ここ。帰還不可と読める補助記号の前に、境界安定と、情報逆流防止に近い記号があります」
「情報逆流防止?」
「はい」
リア殿下は言葉を選ぶように話す。
「世界間の移動では、移動者だけでなく、世界同士の情報が接続される可能性があります。古代アストラの資料では、異なる世界署名の混線を非常に危険視していました」
「世界署名……」
また重要な単語が出た。俺はすぐに紙に書こうとして、ミラさんに見られた。
「記録は後でもできます」
「はい」
俺は炭筆を置いた。リア殿下は続ける。
「もし帰還経路を開いたままにすると、召喚元と召喚先の間に不安定な接続が残る。そこから魔力、魂情報、記憶、因果の一部が逆流する可能性がある。古代アストラは、それを恐れていたのかもしれません」
「つまり、帰還不可は安全装置だった可能性がある」
「はい」
俺は黙った。安全装置。それなら理解はできる。完全には納得しないが、理由としては成立する。異なる世界同士の接続。魂情報の移動。世界署名の混線。危険なのは分かる。だが。
「安全装置だったとしても、現代の勇者召喚でそれを説明していないなら問題です」
「はい」
リア殿下はすぐに頷いた。
「私もそう思います」
その返答は、少し意外だった。王族として王国を庇うかと思った。だが、リア殿下は違った。
「古代の術式に安全上の理由があったとしても、それを理解しないまま利用しているなら危険です。理解していながら説明していないなら、もっと危険です」
「同感です」
レグナ卿が深く息を吐いた。
「……王国魔導院でも、帰還術式の未実装は知られていました」
部屋の空気が重くなる。
「ただし、帰還不可の古式刻印がここまで明確に残っているとは、私も把握していなかった」
「帰還術式がない、ではなく、帰還を閉じる術式がある」
俺が言うと、レグナ卿は苦々しく頷いた。
「大きな違いです」
「はい」
帰れない。それと、帰れないように作られている。この二つは全く違う。前者は技術不足。後者は設計思想。その差は重い。
「勇者召喚は、何度行われているのですか」
俺が尋ねると、レグナ卿はすぐには答えなかった。
「記録上、完全召喚は過去五百年で七回」
「七回」
「ただし、神託や伝承には曖昧なものもあります。実際にはもっと多い可能性もある」
「その人たちは?」
「魔王討伐、魔物災害、聖戦、大規模結界修復などに関与したとされています」
「帰った記録は?」
沈黙。それが答えだった。俺は静かに息を吐いた。
「誰も帰っていない」
「少なくとも、王国記録にはありません」
レグナ卿の声は重かった。
勇者。英雄。救世主。そう呼ばれた者たちは、おそらく帰れなかった。元の世界に戻れず、この世界で生き、この世界で死んだ。あるいは戦って死んだ。本人が望んだのか。望まなかったのか。記録はあるのか。ないのか。調べる必要がある。いや、調べなければならない。
「歴代勇者の記録を見たいです」
俺が言うと、レグナ卿が目を細めた。
「機密です」
「でしょうね」
「ただ、今回の件に関係する範囲であれば、抜粋資料の閲覧を検討します」
「ありがとうございます」
リア殿下が静かに言った。
「私も見ます」
「殿下」
「古代文字と召喚陣の調査に必要です」
「……そう来ますか」
レグナ卿は疲れたように額を押さえた。ロイさんが無表情で記録を続ける。
「第三王女殿下、歴代勇者記録の閲覧を希望。ユーマ・カンザキも同様。魔導院側、限定開示を検討」
「ロイさん」
「はい」
「それ、全部王都に報告されますか」
「当然です」
「ですよね」
俺は少しだけ胃が重くなった。また面倒が増える。だが、避けられない。勇者召喚陣に帰還不可術式がある。その事実を見てしまった以上、無視はできない。
俺は勇者になるつもりはない。王国に仕えるつもりもない。だが、召喚陣を調べる理由ができた。それは俺自身のためだけではない。過去に召喚された者たち。これから召喚されるかもしれない者たち。そして、世界間移動の危険性を知るため。
「ユーマさん」
リア殿下が言った。
「はい」
「あなたは、世界の外側へ行く門を作りたいと言いました」
「はい」
「なら、この帰還不可術式は避けて通れません」
「同感です」
「世界を越える門が、行った者を閉じ込めるものなら、それは門ではなく檻です」
その言葉に、俺は手を止めた。門ではなく檻。リア殿下は、やはり言葉の選び方が鋭い。
世界の外へ至る門。俺が作りたいもの。それは、一方通行の穴ではない。誰かを奪う召喚陣でもない。世界と世界をつなぐ構造でなければならない。少なくとも、今そう思った。
「記録してもいいですか」
俺が尋ねると、リア殿下は少し不思議そうにした。
「何を?」
「今の言葉です。門ではなく檻」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は紙に書いた。世界を越える門が、行った者を閉じ込めるものなら、それは門ではなく檻。重要な言葉だ。後で研究記録に残す。
「リア殿下」
「はい」
「古代アストラ文字で、門と檻は近い概念ですか」
「かなり近いです」
「やはり」
「古代アストラ文字では、門は開いた境界、檻は閉じた境界として扱われます」
「開閉状態の違い」
「はい。境界そのものは同じです。開けば門。閉じれば檻。守れば結界。隔てれば壁」
俺はしばらく言葉を失った。境界。門。檻。結界。壁。全て、同じ概念の状態違い。これは美しい。非常に美しい。
「……面白い」
「面白いです」
リア殿下も静かに頷いた。ミラさんとセシルさんが同時に身構えた。
「時間です」
ミラさんが言った。
「まだ四十分では?」
俺が言うと、ロイさんが即座に答えた。
「五十九分です」
「そんなに?」
「経っています」
セシルさんが立ち上がる。
「ここで一度休憩です。リア様、お茶を飲んでください」
「あと一つだけ」
「駄目です」
「古代アストラ文字の門だけ」
「駄目です」
「意味記号だけなら」
「駄目です」
リア殿下は少し残念そうだった。俺も残念だった。ただ、昨日の反省がある。一時間で止める。これは必要な訓練だ。
「休憩後に再開できますか」
俺が尋ねると、ミラさんが言った。
「昼食後、もう一時間だけです」
「分かりました」
「二人とも、昼食を食べたら、です」
「はい」
俺とリア殿下の返事が重なった。ガルドさんがまた笑う。
「本当に同じタイミングで返事するな」
仕方ない。必要な条件なら受け入れる。研究継続のためだ。
◇
昼食は、ギルドの食堂で取ることになった。王女がギルド食堂で食事をする。普通なら問題になりそうだが、リア殿下は全く気にしていなかった。むしろ、出された豆のスープを見て、少し興味深そうにしていた。
「この香草は、ルーベル周辺のものですか」
リア殿下が尋ねると、ミラさんが答えた。
「はい。森で採れる青葉草です。疲労回復に良いとされています」
「微弱な水属性魔力を含んでいます」
俺が言うと、リア殿下がスープを見る。
「分かるのですか」
「少しだけ。飲むと喉の奥が冷える感覚があります」
「興味深いです」
「昨日から気になっていました」
「記録しましたか」
「まだです」
「では、後で」
「はい」
セシルさんが無言でこちらを見た。ミラさんも見ている。俺とリア殿下は同時にスプーンを手に取った。食べながら話せば問題ない。そう思ったのだが、セシルさんに先回りされた。
「食事中は、召喚陣と古代文字の話は禁止です」
「薬草の話は?」
リア殿下が聞く。
「ほどほどに」
「水属性魔力を含む香草の話は?」
俺が聞く。
「ほどほどに」
「では、生活魔法と食文化の関係は?」
「食事後にしてください」
なかなか厳しい。だが、食事は重要だ。俺は豆のスープを飲み、硬いパンを食べた。リア殿下も同じものを食べている。王族の食事としては質素だろう。しかし、彼女は特に不満を見せなかった。むしろ、パンの硬さを少し観察しているようだった。
「リア殿下」
俺は小声で言った。
「そのパンは、たぶん保存性重視です」
「はい。水分量が少ないです」
「発酵方法が地球と違うかもしれません」
「地球のパンは違うのですか」
「種類によりますが」
「聞きたいです」
「後で」
俺がそう言うと、リア殿下は少しだけ目を丸くした。
「今、あなたが止めました」
「食事中なので」
「成長していますね」
「ありがとうございます」
ミラさんが遠くで感動したような顔をしていた。そこまでか。だが、信用の積み上げは重要だ。
食事後、午後の会議では召喚陣の中心部について確認した。魂固定。肉体構築。情報同期。そして、俺自身の転生との違い。
レグナ卿は、俺が召喚陣によって完全に肉体構築されたわけではなく、魂の管理者による転生処理と王国召喚陣の誘導が重なった可能性を指摘した。つまり、俺は通常の勇者召喚とは少し違う。地球で死亡。魂管理者と接触。転生処理。王国召喚陣による座標誘導。アルトレイアの肉体へ定着。その過程で、管理者から渡されたペンダントが魂の安定化に関わっている可能性がある。
「そのペンダントを見せていただけますか」
レグナ卿が言った。俺は首元に手を触れた。青い石のペンダント。転生時から身につけていたもの。正体はまだ分からない。魔力反応は弱い。だが、時々、体内魔力とは違う静かな流れを感じる。
「外しても大丈夫か分かりません」
俺が言うと、リア殿下の表情が変わった。
「外さない方がいいと思います」
「なぜですか」
「魂固定に関わるものなら、下手に外すのは危険です」
レグナ卿も頷く。
「同感です。現時点では視認のみで」
俺はペンダントを服の上に出した。青い石。銀色の細い枠。簡素な作り。王国製でも、ドルガンの店で見た魔道具とも違う。リア殿下がそれを見つめる。
「……古代アストラ文字ではありません」
「分かりますか」
「はい。文字は刻まれていません。ただ、石の奥に何かあります」
「何か?」
「記録、ではなく、署名に近いもの」
「署名」
「この魂は、ここに存在してよい、という印のような」
部屋が静まり返った。俺はペンダントを見る。この魂は、ここに存在してよい。それは、魂の管理者が与えた許可証のようなものなのか。あるいは、俺をアルトレイアの法則へ一時的に接続するための鍵なのか。力ではない。武器でもない。だが、存在の土台。もしそうなら、これは思っていた以上に重要だ。
「外さない方が良さそうですね」
「はい」
リア殿下が頷いた。
「この石は、あなたの力ではなく、あなたがここにいるための猶予かもしれません」
「猶予」
「はい」
その言葉は、妙にしっくりきた。転生時に受け取ったもの。力ではない。問いを追い続けるための猶予。俺はペンダントを服の内側へ戻した。
「大切にします」
「その方がいいです」
セシルさんが小さく呟く。
「リア様がまともな助言を……」
「いつもしています」
「いつも危険な方向です」
「今回は安全方向です」
確かに。
午後の会議は、一時間で終わった。ミラさんとセシルさんが厳格に時間を管理したからだ。俺もリア殿下も、残念ではあったが従った。その後、レグナ卿はギルド支部長と今後の調査体制を確認し、ロイさんは王都への中間報告をまとめ始めた。
ガルドさんは俺の肩を叩いた。
「よかったな。今日は二時間で済んだ」
「内容はかなり濃かったです」
「俺にはほとんど分からなかった」
「ですが、重要でした」
「ああ、それは分かった」
ガルドさんは少しだけ真面目な顔になった。
「勇者召喚ってのは、思ったよりきな臭いな」
「はい」
「お前、これ以上首突っ込むのか」
「突っ込むことになると思います」
「だろうな」
彼はため息をついた。
「まあ、死なない程度にやれ」
「努力します」
「それが一番信用できねえ」
夕方、リア殿下が帰る前に、俺は一つだけ尋ねた。
「リア殿下」
「はい」
「古代アストラ文字の『門』は、いつ教えてもらえますか」
セシルさんが身構えた。だが、リア殿下は小さく紙を取り出した。
「意味記号だけなら、今」
彼女は紙に、複雑な記号を一つ書いた。左右に開く線。中央に空白。その上下を囲むような補助線。文字というより、構造図に近い。
「これが、門」
リア殿下は言った。
「ただし、発音はまだ教えません」
「十分です」
俺はその記号を見た。王国文字の門とは全く違う。地球の漢字とも違う。だが、意味は分かる気がした。閉じた境界が、開いている。内と外が、断絶ではなく接続になっている。美しい文字だった。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
リア殿下は少しだけ迷った後、言った。
「次は、あなたの世界の『門』を教えてください」
「はい」
俺は紙の端に、日本語で書いた。門。リア殿下はそれをじっと見た。
「簡潔ですね」
「はい」
「でも、内と外を分ける形がある」
「そうですね」
「面白いです」
「古代アストラ文字も面白いです」
ミラさんが小さく言った。
「また始まりそう……」
セシルさんが即座に割って入る。
「今日はここまでです」
「はい」
俺とリア殿下は同時に返事をした。ガルドさんがまた笑った。
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研究記録 No.014
対象:勇者召喚陣の帰還不可術式および探究者のペンダント
観察結果:
勇者召喚陣には、帰還不可または帰還経路閉鎖に関わる古式刻印が含まれる可能性が高い。ただし、単なる拘束目的ではなく、世界署名の混線、魂情報逆流、境界不安定化を防ぐ安全装置だった可能性もある。しかし、現代王国がその意味を十分に理解せず、召喚対象へ説明もしていない場合、倫理的問題は大きい。
歴代勇者の帰還記録は、少なくとも王国公式記録には存在しない。
リア殿下曰く、古代アストラ文字では、門、檻、結界、壁はすべて境界概念の状態違い。開けば門。閉じれば檻。守れば結界。隔てれば壁。
探究者のペンダントは、攻撃能力や魔力増幅具ではなく、魂の存在許可または世界適応の署名に近い可能性。
仮説:
私の転生は、魂管理者による転生処理と、王国召喚陣による座標誘導が重なった特殊例。ペンダントは、私の魂をアルトレイアに一時固定する猶予装置。
結論:
勇者召喚陣は、世界間移動技術の不完全かつ危険な断片である。将来的に作るべき門は、召喚対象を閉じ込める檻ではなく、双方の世界署名を尊重した接続路でなければならない。
追記:
リア殿下から古代アストラ文字の「門」を教わった。発音は未習得。代わりに、日本語の「門」を教えた。文字交換は非常に有意義。
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その夜、俺は安宿の机で三つの文字を並べた。王国文字の門。古代アストラ文字の門。日本語の門。同じ意味を持つ、三つの異なる形。それぞれの世界。それぞれの文明。それぞれの認識。
門とは、ただの出入り口ではない。内と外を分けるもの。閉じれば檻。開けば道。守れば結界。隔てれば壁。世界を越えるということは、ただ穴を開けることではない。境界をどう扱うかを決めることだ。
俺はペンダントに触れた。青い石は、静かだった。力は感じない。だが、確かにそこにある。俺がこの世界で問いを追い続けるための猶予。それを無駄にするつもりはなかった。
「帰れない召喚陣ではなく、帰れる門を作る」
声に出してから、少しだけ違うと思った。帰れるだけでは足りない。行き来できるだけでも足りない。世界を傷つけず、魂を壊さず、情報を混線させず、相手の意思を奪わない門。そんなものが作れるのか。分からない。だが、分からないからこそ、研究する価値がある。
俺は研究記録の最後に一文を書き足した。
――世界は牢獄ではない。だが、門を誤れば、世界は檻になる。
書き終えた後、しばらくその文字を見つめていた。今日、勇者召喚陣は俺の中で完全に変わった。それは英雄を呼ぶ奇跡ではない。不完全な世界間移動装置。そして、失敗すれば誰かの人生を閉じ込める檻。
ならば、俺が目指すものは違う。世界を閉じる術式ではない。世界をつなぐ門だ。




