第29話「黒薔薇の葬列、皇帝の終焉」
「……来ないでくれ、エララ様。……来ないでくれ、レオ……!」
宮殿の門の前で、カイル・セバスチャンは震えていた。
かつての白銀の鎧は黒い煤に汚れ、その胸元に抱えられた「黒薔薇」の結晶が、帝都の命を吸い上げて脈打っている。
彼の瞳はもはや銀色ですらない。どろどろとした、濁った灰色の涙が頬を伝っていた。
「どけ、カイル。……これ以上、貴様の無様な姿を見たくはない」
レオが、私を肩に抱き寄せたまま一歩踏み出す。
リンクした神経を通じて、レオの心にあるのは、怒りですらなかった。
かつての友に対する、深すぎる「憐憫」と、それを塗りつぶすほどの冷徹な「殺意」。
「……嫌だ。私が、私が貴女を救うはずだったんだ! レオ、君のような人殺しの裏切り者から、私が……っ!」
カイルが叫ぶと同時に、黒薔薇が爆発するように開花した。
地面から噴き出すのは、鉄を腐らせる黒い蔦。
――視える。
私の銀の瞳は、その蔦が描く「死の弾道」をすべて把握していた。
(レオ、動かないで。……そのまま、剣を左に薙いで)
私はレオの首筋に手を回し、その耳元で囁く。
レオは私の予言を、自らの血肉の動きとして受け入れた。
彼は剣を抜くことさえせず、鞘に収まったままの重厚な一撃を振るった。
ドォォォォンッ!
銀の半龍から放たれた波動が、迫りくる黒い蔦を根こそぎ粉砕する。
リンクを通じて、レオが私の腰を抱きしめる力が強まった。
(エラ、見ていろ。……貴様を弄ぼうとしたこの世界が、どれほど脆いかを)
「……あ、……ぁ……」
カイルが、その場に崩れ落ちる。
黒薔薇の結晶が砕け、彼の生命力を吸い尽くしていく。
私はレオの腕から降りて、カイルの目の前に立った。
「カイル。……貴方が守ろうとしたのは私ではなく、『エララを救った自分』という誇りだったのね」
冷徹な銀の瞳。
カイルは私の瞳を見て、ようやく悟ったらしい。
自分が愛していたのは私ではなく、自分の理想の中にいた「無垢な王女」に過ぎなかったことを。
「……さようなら。……私の、かつての初恋」
私が指輪をかざすと、白金の光がカイルを優しく、けれど残酷に包み込んだ。
彼は抗うこともなく、そのまま銀色の灰となって、帝都の風の中に消えていった。
静寂。
残されたのは、重厚な宮殿の扉だけ。
「……行くぞ、エララ。……黒幕の首を獲りに」
レオが扉を蹴破った。
玉座の間。
そこには、震える手で聖剣を握りしめた、皇帝の姿があった。
数万の軍勢を失い、最強の騎士たちを失い、もはやただの「怯えた老人」に成り果てた男。
「……ハ、ハスカール! 貴様、よくも余の帝国を……!」
「帝国? ……そんなものはもう、どこにもない。……あるのは、貴様が犯した罪の山だけだ」
レオの歩みは止まらない。
皇帝が放つ魔導の光も、レオの銀の龍の前では蝋燭の火も同然だった。
レオは皇帝の首根っこを掴み、その玉座から引きずり下ろした。
かつての支配者が、泥のように雪原を這い回る。
「……命だけは! 命だけは助けてくれ! エララ、貴女も望むだろう? 王国を再興させてやろう、金も、権力も――」
「……汚らわしい」
私は皇帝を見下ろし、吐き捨てた。
リンクを通じて、レオの「独占欲」が狂おしいほどに膨れ上がる。
(こいつは、貴様に触れようとした。……それだけで、万死に値する)
「……レオ。……終わらせて」
「ああ。……一瞬だ」
レオの剣が、一閃。
帝国の支配は、あまりにも呆気なく、沈黙の中に消え去った。
玉座に飛び散る鮮血。
私たちは、血に濡れた宮殿の中心で立ち尽くしていた。
外からは、圧政から解放された民衆たちの、地鳴りのような歓声が聞こえてくる。
けれど、レオはそんな歓声など聞こえていないかのように、私を強く、壊してしまいそうなほど抱きしめた。
「……エララ。……これで、私の『裏切り』は終わった」
リンクした神経。
彼の心臓の音が、私の胸の中で、安堵と――それを上回る「深い渇望」を奏でている。
「……いいえ。……これから始まるのよ、レオ。……誰にも邪魔されない、私たちの『檻』の中での物語が」
私が微笑むと、レオは私の首筋に顔を埋め、深く、深く、その唇を刻み込んだ。
その時。
宮殿の奥、誰も入ることの許されなかった「禁忌の書庫」が、指輪の熱に呼応して輝き始めた。
(……代償。……最後の一つが、あそこにあるのね)
私はレオの背中に腕を回し、終わりの予感と、始まりの熱を噛みしめた。
第29話をご愛読いただき、ありがとうございました。
因縁のカイル、そして諸悪の根源であった皇帝……。
二人の共犯者による、あまりにも無慈悲で鮮やかな「清算」が完了しました。
もはや、二人の行く手を阻むものはこの世界に存在しません。
しかし、物語はここで終わりではありません。
指輪が最後に示した、禁忌の書庫。
そこに眠る「真の代償」と、二人が選ぶ「最後の契約」とは。
次話、第30話「銀色の檻、共犯者のエピローグ」
第1部、堂々の完結。
愛の執着が辿り着く、究極の「幸福の形」を、ぜひその目で見届けてください。
「カイルの最期が切ない……」「エララとレオ、強すぎて最高!」
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