第20話:沈黙の雪原、凍てつく接吻
雨はいつの間にか、音のない白い破片へと変わっていた。
馬車の車輪が泥を掴む鈍い音から、処女雪を踏みしめる乾いた軋みへと変わる。
カーテンを僅かに開ければ、そこにはかつての祖国レトロ王国の北端――「沈黙の雪原」が、冷酷なまでに美しい白銀の世界を広げていた。
「……寒いか」
隣に座るレオの声が、狭い車内に低く響く。
彼は私の肩に、自らの漆黒の毛皮の外套を重ねた。
レオの手が私の首筋に触れた瞬間、リンクした神経が心地よい熱を帯びて跳ねる。
「……いいえ。貴方が、こんなに熱いから」
私は、彼の逞しい腕に自ら身を寄せた。
父様の遺言を知り、私を「殺すべき対象」としてではなく、「共に地獄へ落ちる共犯者」として選んだレオ。
今の彼の心臓は、かつてないほど激しく、私を求める独占欲で脈打っている。
(レオ。……もう、迷わないで。私は、貴方のその熱を信じているわ)
リンクを通じて私の想いが伝わったのか、レオは僅かに目を細め、私の腰を抱く腕の力を強めた。
「……この先は、私の領地でも、帝国の版図でもない。……レトロ王家が千年の間、血で封じてきた禁忌の地だ」
窓の外、雪を被った巨大な石柱が等間隔に並んでいるのが見える。
それが「沈黙の雪原」の入り口――結界の門だ。
かつて父様は言った。「あそこには、人の願いを叶える代わりに、人の理を喰らう魔物が眠っている」と。
「……レオ。貴方が腕に宿した『銀の龍』も、あそこの力なの?」
「……恐らくはな。……私はあの夜、貴様を連れて逃げる力を得るために、この指輪を依代にして、雪原の奥底に眠る『ナニカ』と契約した。……その代償が、あの黒い痣と、命の削り合いだったわけだ」
レオが、自らの左腕を見つめる。
銀の龍の紋章は、今は静かに眠っている。
だが、雪原に近づくにつれ、私の足首の「赤き鎖」が、警告するように微かな振動を始めていた。
「止まりな。……ここからは、馬は進めないよ」
御者台からジークの声がする。
馬車を降りると、肺の奥まで凍りつくような冷気が襲ってきた。
視界を埋め尽くす猛吹雪。
レオは私を自らの胸元へと引き寄せ、外套の中に包み込んだ。
「……歩けるか。……嫌だと言っても、抱き抱えて行くが」
「……歩けます。……貴方の歩幅を、感じていたいから」
一歩、また一歩と、雪を漕いで進む。
吹雪で数メートル先も見えない中、私の「銀の瞳」が、雪原の奥に聳え立つ「白金の塔」を捉えた。
あそこだ。
父様が隠し、レオが力を奪い取った場所。
突然、レオが私の足を止めた。
同時に、リンクを通じて、彼の全身に走る「殺気」が伝わってくる。
「……そこにいるのは分かっている。……出てこい、亡霊め」
雪のカーテンが割れ、そこから現れたのは、帝国の兵士ではなかった。
白い、半透明の布を纏った、顔のない「影」たち。
彼らは武器を持つ代わりに、奇妙な韻律を口ずさみながら、私たちを包囲していく。
「……レトロの守護霊、か。……生者の侵入を拒んでいるようだな」
レオが剣を抜こうとしたが、私の手がそれを制した。
指輪が、銀色の熱を放つ。
「……待って、レオ。……彼らは怒っているんじゃない。……恐れているのよ。……私の瞳が、彼らの『記憶』を暴こうとしているから」
私はレオの胸元から離れ、一歩、影たちの方へ踏み出した。
銀の瞳を全開にし、視界を「未来」ではなく「過去」へと反転させる。
――視える。
数千年前、この雪原で一人の王女が、指輪を媒介にして、自らの命を龍へと捧げる儀式。
その王女の顔は、私に酷く似ていた。
そして、その傍らで涙を流しながら彼女を抱きとめていた騎士の姿は――。
「……っ、あ……」
あまりにも膨大な情報の奔流に、私の意識が飛びそうになる。
倒れかかる私の肩を、レオが強く支えた。
「エララ! ……しっかりしろ!」
リンクを通じて、レオの焦燥と、狂おしいほどの愛着が流れ込んでくる。
私は彼の首に手を回し、凍えるような寒さの中で、彼の唇に縋り付いた。
接吻。
それは、今この瞬間、私が私であることを繋ぎ止めるための、唯一の錨。
私たちの唇が触れ合った瞬間、吹雪がピタリと止んだ。
周囲を囲んでいた影たちが、霧のように霧散していく。
レオが、驚いたように目を見開く。
私の瞳は、銀色を通り越し、白金の輝きを放っていた。
「……レオ。……思い出したわ。……私と貴方は、ずっと昔から、こうしてこの雪原で……」
言葉が続く前に、雪原の地平線から、地鳴りのような音が響き渡った。
「……感動的な再会だね。……千年の時を越えた、呪われし魂の再契約か」
聞き覚えのある、けれど以前よりもずっと「人外」の響きを帯びた声。
雪原の向こうから、一人の男がゆっくりと浮遊するように現れた。
カイル・セバスチャン。
だが、その背中には、黒い氷でできた「銀薔薇の翼」が禍々しく広がっていた。
「……カイル……。貴方、その姿は……」
「……言っただろう、エララ様。……貴女を救うためなら、私は人間であることを捨てる、と」
カイルが右手を掲げると、雪原の底から、無数の巨大な氷の剣が噴き出した。
物語は、因縁の地で、千年前の「繰り返し」を始めようとしていた。
第20話をお読みいただき、ありがとうございます。
「沈黙の雪原」での凍てつく接吻。そして、断片的に見えた「千年前の記憶」。
二人の絆は、単なる今世の政略結婚を越えた、宿命の輪廻であることを示唆しています。
そして、人であることを捨て、完全なる「執着の怪物」へと変貌したカイルの再来。
白銀の雪原を赤く染める、最終決戦の火蓋が切って落とされます。
レオの「銀の龍」と、カイルの「黒い銀薔薇」。
そしてエララの瞳が、最後に捉える未来とは――。
次話、第21話「白金の塔、堕ちた聖騎士」
かつての親友同士、そして婚約者同士。
すべてに決着をつけるための、壮絶な闘いが始まります。
「前世の伏線が熱すぎる!」「カイル君、もう戻れないの……?」
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