第2話:氷の檻と沈黙の朝
深夜の公爵邸は、静まり返った墓所のようだった。
馬車が止まり、重厚な扉が開かれる。エララはレオに促されるまま、冷たい石畳を踏みしめた。
迎えたのは、整然と並ぶ使用人たちの冷ややかな沈黙だ。彼らの視線には、亡国の王女に対する蔑みと、主君が連れ帰った「戦利品」への好奇が混じり合っていた。
「……ここが、貴方の城なのですね」
「ああ。今日からはお前の檻でもある」
レオは短く答えると、一人の少女を前に出させた。
ドレスの下に小剣を隠し持っているのが一目でわかる、身軽な装いの少女だ。
「ロザリンだ。お前の身の回りの世話と――監視をさせる」
「ロザリン、と申します。……まあ、仲良くやりましょうよ、奥様?」
ロザリンと呼ばれた少女は、貴族の作法を無視してリンゴを齧るような、不遜な笑みを浮かべた。
レオはそれ以上何も言わず、エララを振り返ることもなく、邸の奥へと消えていった。
◆
「さあ、こちらへ。閣下からは『最高級の持て成しを』と仰せ付かっていますから」
ロザリンに案内されたのは、邸の最上階にある一角だった。
扉が開かれた瞬間、エララは息を呑んだ。
(……え?)
そこは、寝室というよりは、一つの小宇宙のようだった。
壁は淡いブルー。カーテンは最高級のシルクで、そこにはレトロ王国の国花である銀薔薇の刺繍が施されている。
部屋の隅に置かれた読書用の椅子、マホガニーの机、そして――。
「……琥珀色の香草の匂い」
エララはふらふらと部屋の中央へ歩み寄った。
窓辺の棚に飾られているのは、レトロ王国でも限られた高地にしか咲かない「星降る草」の鉢植えだった。かつて、幼いエララが「この香りに包まれて眠りたい」と、近衛騎士だったレオに笑って話したことがある。
(偶然……? いいえ、そんなはずがないわ)
机の上に置かれた筆記具も、ベッドの柔らかさも、クローゼットに並ぶドレスの型さえも。
すべてが、エララの好みを寸分違わずなぞっている。
まるで、レオが数年間の沈黙の間、彼女の記憶だけを反芻して準備していたかのような、異様な執念を感じさせる「檻」だった。
「お気に召しました? 閣下は『気に入らなければすべて焼き捨てろ』なんて物騒なことを仰っていましたけど」
「……彼は、どこまで私を知っているというの」
エララは震える指で、ベッドの天蓋に触れた。
その瞬間、指先に嵌められた「琥珀の指輪」が、再びトクン、と脈打つ。
熱い。
まるで、誰かの鼓動が直接流れ込んでくるような熱だ。
◆
その夜。
疲れ果てたエララが、懐かしい香草の匂いに包まれて微睡みかけた時だった。
静かに、扉が開く音がした。
足音を殺して入ってきたのは、レオだった。
彼はエララが眠っていると思っているのか、寝台の傍らまで来ると、その場に音もなく膝をついた。
月の光が、彼の横顔を青白く照らし出す。
昼間の冷酷な仮面はどこへ行ったのか。そこにあるのは、今にも崩れ落ちそうなほど悲痛な表情をした、一人の男の姿だった。
(レオ……?)
エララは薄目を開け、息を殺してその様子を見守る。
レオは、布団から僅かにはみ出したエララの指先へ、触れるか触れないかの距離まで手を伸ばした。
――ガタガタと、彼の左手が激しく震え出す。
彼はその震えを抑えるように自分の左手を右手で掴み、苦しげに顔を歪めた。
「……すまない、エラ」
掠れた声が、沈黙の中に落ちる。
その呼び名は、かつての平和な日々、彼が忠誠を誓っていた時代にだけ許されていたものだ。
彼はエララの指先に、縋るように、祈るように、唇を寄せた。
触れたかどうかもわからない、羽毛のような口づけ。
だが、その瞬間、エララの指輪は焼けるような熱を放った。
「――っ」
エララが思わず指を跳ねさせると、レオは弾かれたように立ち上がった。
一瞬で、彼の瞳から光が消え、いつもの氷の壁が再構築される。
「……起きていたのか」
低い、拒絶の色を帯びた声。
彼はエララを見下ろし、冷淡に言い放った。
「寝付けないなら、地下の書庫の整理でもさせるべきだったな。ここは貴様を甘やかす場所ではない。……明日からは、公爵夫人としての責務を果たしてもらう」
彼は一度も目を合わせることなく、背を向けて部屋を去った。
残されたのは、部屋に満ちる甘い香草の匂いと、指先に残る、刺すような熱い感触だけ。
(嘘つき。……貴方は、私を憎んでいるのではないの?)
エララは暗闇の中で、熱を持った指輪を強く握りしめた。
レオが抱えている「左手の痛み」と、この指輪の「熱」。
二つの間に、誰にも言えない秘密があることを、エララは確信していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
レオの用意した「檻」は、あまりにも優しさに満ちた残酷な場所でした。
冷たい言葉を吐きながら、眠る彼女に縋ってしまうレオ。
彼の左手を襲う、あの激しい震えの正体とは一体……?
次話、第3話「沈黙の晩餐と、暴かれた痣」
少しずつ、レオの隠しきれない「執着」がこぼれ出します。
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