第14話:囁く森、追跡者の影
――視える。
雨音の向こう側、漆黒の闇を切り裂いて、銀色の「糸」が何本も宿へと伸びてくる。
それは死の予感。数秒後に、この部屋を貫くはずの無慈悲な矢の軌道だ。
「レオ……起きて!」
私は彼にしがみつき、叫んだ。
まどろみの淵にいたはずのレオは、私の声が終わるより早く目を見開いた。
琥珀色の瞳が鋭く光り、一瞬で「死神」のそれに切り替わる。
「……気づいたか、エラ」
レオが私を抱き寄せ、ベッドから床へと転がり落ちた。
その刹那、ズ、ズンッ! と重い衝撃音が響き、私たちがいた場所を三本の太い矢が貫いた。
屋根を突き破り、床板を砕く威力。普通の弓ではない。
「ちっ、もう来やがったか。しつこいねえ」
扉を蹴破って飛び込んできたのは、既に身支度を整えたロザリンだった。
彼女の手に握られた短剣が、月の光を反射して冷たく光る。
「裏口は塞がれてます。閣下、正面突破しかありませんよ!」
「……エララ、離れるな」
レオが私の腰を引き寄せ、低く命じた。
足首の「赤き鎖」が脈打つ。
彼と密着している今は痛みこそないが、共感した神経が彼の「冷徹な殺意」をダイレクトに伝えてくる。
怖くはなかった。
今の私には、彼の殺意すら、私を守るための温かな防壁に感じられたから。
◆
宿の外は、土砂降りの雨だった。
泥を跳ね上げながら、私たちは裏庭の囁く森へと逃げ込む。
背後から、鎧の擦れ合う音と、異様な呻き声が追いかけてくる。
それは帝国兵の規律正しい行進音ではない。もっと、飢えた獣が獲物を追うような、粘り気のある執着。
(レオ、右! 木の上!)
私の「銀の瞳」が、闇に潜む敵を射抜く。
レオは振り返ることもなく、左腕の銀の龍を解放した。
ドォンッ! という衝撃波が、雨粒を弾き飛ばしながら大気を震わせる。
木の上から、黒い装束を纏った男が枯れ葉のように落ちてきた。
だが、その男は地面に叩きつけられても、痛がる様子もなく、ゆらりと立ち上がった。
「……様子がおかしいわ。あの人たち、人間じゃないみたい」
「……カイルの『銀薔薇』だ」
レオが剣を抜き、私の前に立つ。
彼の背中から伝わってくる感情は、嫌悪と、そして深い悲しみ。
「奴の魔力に当てられ、自我を焼き切られた騎士の成れの果てだ。……痛みを感じず、ただ命令だけを遂行する生ける屍。セバスチャン卿め、そこまで落ちたか」
森の奥から、十数人の「それ」が姿を現した。
かつてのレトラ王国の騎士団、あるいは帝国の精鋭たちだったのだろう。
しかし、今の彼らの瞳には、カイルの鎧と同じ、不気味な「銀の光」が宿っている。
「エララ、目を閉じていろ」
「……いいえ、閉じません。私は貴方の『目』になるって、決めたのだから」
私はレオの背中に手を添えた。
指輪が熱を持ち、銀の瞳がさらに深く、世界の理を見通していく。
(前方、三人が同時に踏み込む。……右の男は、首元が薄い!)
私の予言を、レオが即座に「現実」へと書き換えていく。
銀の龍を宿した剣が閃くたび、銀薔薇の刺客たちが泥の中に沈んでいった。
圧倒的な連携。
言葉を交わさずとも、思考が、感覚が、魂が溶け合っている私たちを止められる者などいなかった。
だが。
最後の一人を、レオが切り伏せようとした瞬間。
その刺客が放った言葉に、私の心臓が凍りついた。
「……ハスカール……様……。エララ、様……」
それは、自我を失ったはずの屍から漏れた、あまりに人間的な、掠れた声だった。
レオの剣が、寸前で止まる。
「……お前、まさか……」
雨に打たれ、兜が外れた刺客の顔。
それは、かつてレオと共に私を守り、私の幼い頃の教育係でもあった、老騎士の姿だった。
「……なぜ……。なぜ、貴方がカイルの刺客に……」
私の声が震える。
老騎士は、銀色の光を宿した瞳から、一筋の血の涙を流した。
「……カイル様こそ……救済。ハスカール様は……裏切り者……。エララ様を……取り戻さ、ねば……」
その体から、黒い蔦のような魔力が噴き出し、爆発的な膨張を始める。
「呪核」の暴走。カイルが彼らに植え付けた、標的を道連れにするための最後の一撃。
「下がれ、エララ!」
レオが私を突き飛ばし、自らの体を盾にして、黒い衝撃を真っ向から受け止めた。
「レオ!!」
立ち込める黒煙と、雨の匂い。
衝撃が収まったとき、レオは膝を突き、激しく吐血していた。
そして、私の足首の「赤き鎖」が、これまでにないほど禍々しい色に染まり、私の意識を真っ暗な闇へと引きずり込んでいく。
(……ああ、これは……。カイルの『執着』が、リンクを通じて私を……)
意識が途切れる寸前。
森の奥から、規則正しい拍手の音が聞こえてきた。
「素晴らしい。……やはり君たちは、苦しむ姿こそが最も美しい」
そこには、かつての太陽のような面影を完全に捨て去った、白銀の死神が立っていた。
宿屋での一夜から一転、かつての師や仲間たちが「屍の兵」として襲いかかる絶望。
カイルの歪んだ「救済」が、ついにレオとエララを直接的に追い詰めます。
老騎士の命を賭した自爆、そしてレオの負傷……。
リンクしているからこそ、レオの肉体的な苦痛がエララの精神を犯し、
その隙を突くように、カイル本人が二人の前に降臨します。
次話、第15話「影の調律師、古の隠れ里」
絶体絶命の二人の前に現れるのは、敵か、味方か。
物語の根源を知る「第三の勢力」が、ついに動き出します。
「レオがボロボロで辛い……!」「カイル君の闇が深すぎてゾクゾクする」
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