過去へ8
「おにぎりっていいですね」
「ええ?」
笑いを含んだ声だった。
「誰かに作ってもらったの、久しぶりです」
沖田さんは相づちを打つでもなく、黙って聞いている。
「塩気も丁度良くて、本当に美味しいです」
これは言わなかったけれど、久しぶりに何かを口にしたせいもあったのかもしれない。
早々に食べ終え、沖田さんに重ねてお礼を言った。
「君ってやっぱり面白いね」
意味が分からず首を傾げるけれど、私を見て薄く笑うだけだった。
「あの、私何か変な事言いましたか?」
「いや。次はお風呂に案内するから準備して」
言われるがままに手早く準備をする。
暗い足元に気を付けながら、沖田さんの後に付いて行く。
「それじゃあ、あとで迎えに来るから」
すぐに戻ろうとする沖田さんの袖をぎゅっと掴んだ。たぶん、ほとんど無意識だったと思う。
「何?」
「あの、真っ暗なんですけど……」
そろそろとお風呂場を指差した。
「真っ暗って、こんなの普通でしょ?」
「そう、なんですか……」
あからさまなため息が聞こえた。
「さっさと入っちゃってよね」
そう言うと、今度はすぐに背中を向けた。
深呼吸をして、脱衣場で浴衣を脱ぐ。さらに深呼吸をして、そっと湯船に浸かった。格子窓からかすかに射す月明かりが、意外にも癒してくれる。
心地いいため息が、何度も出た。
ここへ来て二日、半分は眠っていたので実質一日ほどだけれど、体感としてはそれの何倍もある。
正直、ヘトヘトだった。未来が分からないのは当たり前だけれど、こんなにも明日が不安になった事はない——
お風呂から上がると、沖田さんが廊下で待っていてくれた。
「待ちましたか?」
「ううん」
答えるとすぐに歩きだした。
部屋に戻り、離れているとは言え並んで敷かれた布団を目にして息が止まる。けれど、動揺している事がばれないようさっさと布団に入った。続けておやすみなさいと早口に言い、迷う事なく背中を向けた。
——次の日も、その次の日も、目が覚めると同じ天井がそこにあった。ドラマやなんかでよくあるような、実は全て夢でした、と言う事はなく、少なからずそれを望んでいた私は、目を覚ますたびにため息をついていた。
変わらず朝から台所に立ち、それが終われば掃除や洗濯に取りかかる。今日が昨日なのか、昨日が今日なのか分からないほど何も代わり映えのしない日々が続いていた。
肝心な、元いた時代に戻る方法は、皆目見当がつかないままだ。
今日もまた、お昼をだいぶ過ぎた頃、壬生寺へと向かった。
始めこそ、一人で外に出かける事を許してはくれなかったけれど、今ではほとんど毎日一人でここへ来ている。帰る場所のない私が、逃げる事などしないと判断されたのかもしれない。ただ、完全に信用されてはいないようで、一人になると、誰かに見張られているような気がして仕方がない。それでも、私と現代を繋ぐ何かがあるとすれば、この場所しか考えられない。だから、ここへ来る事くらいしか、私にできることは何もない。それなのに、壬生寺は私に何も教えてはくれない。ただ、そこにあるだけだ。
あの日、私が倒れていた場所に立ち、そっと目を閉じる。再び目を開けると、そこは数分前と何も変わっていなかった。
——そうだよね……
苦笑いも、ため息も、すでに日課のようになっていた。
「何してるの?」
声の方に振り向くと、少し離れた所で沖田さんが腕を組んで立っていた。
「あ、沖田さん。別に、何もしてないですよ。ただの散歩です」
答えると、沖田さんがこちらに向かって歩いて来た。
「ねぇ、そこの日陰に座らない?」
目だけでその場所を指す。
「沖田さん、今日はもう仕事はないんですか?」
「うん、もう終わり。だから、近所の子供たちと遊ぼうと思って来てみたんだ」
「そうだったんですね」
「そう。でも、代わりに君がいた」
そう言って微笑むから、少しだけ鼓動が早くなった。
「あの、えっと、私が来た時には、すでに誰もいませんでした」
「みたいだね。それで、何か分かったの?」
伏せ目がちに首を横に振る。
「そっか……」
慰めるでも、励ますでもなく、ただ一言そう言うだけだった。
「別に、急いでる訳でもないので、いいんですけどね……」




