繋がる甘い香り8
「ありがとう。でも、自分が生まれた日をそんなふうに言ってもらったの初めてかも」
本当に驚いている顔をした。
「そうなんですか?」
「うん。君の時代ではそんなふうにお祝いの言葉を言い合ったりするの?」
「はい。誕生日には家族や友人が祝ってくれたりします。そこで贈り物を贈ったり、一緒に食事をしたりしたりするんです」
「へぇ、今とは全然違うんだね」
少し得意になった。何より、おめでとうと言われた事が初めてだと言われ、素直に嬉しかった。だからそれだけで、今日を、今を一緒にいられて良かったと思えた。
「今日は夜風が涼しいね」
「そうですね」
肌寒いとまではいかないけれど、七月にしては珍しく、肌に当たる風がひんやりと感じる。
先程とは違う、心地良い沈黙が続く。
「サヨはさ——」
突然その名前を出されて現実に引き戻される。
「七条の油小路にある旅籠屋の娘なんだ」
急な展開に、意味が分からず黙って耳を傾ける。
「僕の姉と同じ名前でね、そこから話が弾んで仲良くなったんだ」
そこまで聞いて、ようやく彼女との馴れ初めを聞かされるのだと分かった。
できるなら、両手で耳を塞ぎたい。
「だけどサヨには、許嫁がいる」
驚いて沖田さんを凝視する。
「相手がどんな人なのかは知らないけど、サヨは婚姻を拒んでるんだ。普通、親の決めた相手に反対なんてしないんだけど、彼女は気が強いから、体の弱いお姉さんを心配してか、素直に首を縦に振らないんだ。彼女の両親も、その気持ちを分かっているからか、あまり強くも言えないみたいで……」
同情はするけれど、だからと言ってそれだけで、私には関係ないと言えば関係ない。そう突き放さなければ、嘘でも二人を応援すると言いそうになる。私の気持ちとは裏腹にふわっと笑って見せるから、嫌な顔なんてできなくて、真似をするようにどうにか唇の端を上げる。それなのに、再び夜空を見上げる横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「……あ、あの。どうして私に話すんですか?」
「さぁ、どうしてだろう。なんとなく、誰かに言いたくなったのかもね」
なんとなくで、聞き流せるような事ではなかった。少なくとも、私にはそうだ。
「私に……」
細く息を吸い込む。
「私に言わないで下さいよ」
言ってから、唇をきゅっと結んだ。
「え?」
「その話を聞いてどう答えればいいんですか? 沖田さんの好きな人の話を聞いても、私は何も言えないです。そんな話、聞きたくなかったです」
言葉を探しているのか、沖田さんは黙ったままだった。
「二人は想い合ってるんでしょ? だったらそれでいいじゃないですか。わざわざそんな事、私の前で言葉にしないで下さい」
一気にそう言ってから、勢いよく立ち上がった。背中を向け、暗い縁側を感覚だけで歩いて行く。もちろん部屋には戻れなくて、台所へ行くと、勝手口から外へ出た。
月明かりがぼんやりと庭を照らしている。
視界が揺れるのは、我慢しきれなかった涙がこぼれたからだろう。
ふらふらと歩きながら、井戸の縁に手を着いた。
最悪だ。
幕末版ロミオとジュリエットとでも言いながら、切ない顔して同調すれば良かったのだろうか。
笑えない冗談に、自分が嫌になる。
彼女の話を聞く限り、サヨさんは私とは正反対の性格だった。気が強くて、面倒見が良くて、おまけにあんなに可愛くて。私なんて、恋をする事だけは一人前で、自分からは前に進めない臆病者で、いつも誰かに頼りっぱなしで……
ただ、好きで、好きで、好きで、どうしようもなく好きなだけなのに……
こうなってしまったら、気持ちを隠す事に意味などないと思った。この想いを伝えたところで、何が変わるわけでもないのだから。
悲しい結果が待っていると分かっていても、この気持ちを言葉にする事で少しは楽になれるのなら、一層の事、全てを吐き出してしまいたい。ずっとしまい込んでおく事の方が、辛い気さえする。
好きにならなければ良かったとは、思いたくない。
涙を拭い、踵を返した。




