繋がる甘い香り7
心なしか茶碗を洗う手がおぼつかない。
よいしょ、と当たり前のようにそう言ってから、洗い終えた茶碗や湯飲みを入れたざるを持ち上げる。不意に、以前楠さんが軽々と運んでくれた事を思い出した。そんなどうでもいい事が頭を過ってはすぐに消えた。
たすき掛けにしていた紐を外していつもの場所に引っかける。着物のしわを伸ばし、一息つこうとたたきに足を伸ばして座った。それから、ずっと懐にしまっていたサヨさんからの預かり物を取り出した。
大きなため息がひとつ。
今朝、沖田さんに話があるからと時間を作ってもらったのはいいけれど、まさかこれを渡すためのものになるとは想像もしていなかった。
告白をするつもりでいた、だから沖田さんを呼び止めるだけですごく緊張した。それなのに、こんな代償——
まさかサヨさんからの贈り物を渡したあと、「好きです」と言える勇気はないし、そんな馬鹿げた事、できるはずもない。
こんな事なら、諦めると決めた時に本当にそうしていればよかった。頭では無理だと分かっていても、心が諦めきれていない。わずかな可能性にしがみついている自分に気付かされ、胸が苦しくて、苦しくて、苦しくて——
「それで、話って何?」
誰もいない縁側の端ゆったりとあぐらを組んでいる沖田さんは、私が来るなり切り出した。
「あ、あの、えっと……」
顔だけで私に振り向くけれど、相変わらず無表情だ。
「とりあえずここ、座れば?」
自分の隣に手を置いた。
一人分ほどの間を空け、静かに腰を下ろす。
沈黙が、夜の静寂と重なり居たたまれない。やるせない思いに、おかしくもないのに笑ってしまいそうだ。
「あの……」
夜空を見上げる沖田さんの横顔に小さく口を開く。
「今日、サヨさんと言う方がここへ来ました」
分かりやすく反応すると、こちらに向き直った。
「サヨがどうかしたの?」
名前を言っただけなのに、沖田さんの口から聞くとそれだけで胸が痛む。
「その、沖田さんにこれを渡してほしいと言われて」
サヨさんから預かった、朱色の市松模様の手ぬぐいに包まれた匂い袋を差し出した。それを見るなり、暗闇でも分かるほど頬を緩めた。
下唇をぎゅっと噛む。
好きな人が幸せならそれでいいと、そんな事を言う人もいるけれど、私には綺麗事で、到底そうは思えない。大人になれないとかそういった問題ではなくて、たぶんもっと、単純な事だ。
匂い袋を鼻に近付け、さらに微笑んでいる。
「これ、預かってくれてありがとね。他の奴じゃなくて君で良かったよ」
「え?」
「もしもこれを預かってくれたのが平助だったらさ、めんどくさい事言われるのは目に見えてるからね」
そういう事かと納得し、一瞬でもぼんやりと期待してしまった自分が嫌になる。
「……彼女、可愛らしい人ですね」
笑顔を顔に張り付けて言った。
「うん、僕もそう思うよ」
力の抜けた優しい声——
私に向けられたものではないと分かってはいるけれど、頭の中でもう一度繰り返した。
恋人にからの贈り物を、大事そうに両手で包む沖田さんの姿など見たくはなかった。
「そう言えばさ」
そのままの格好で顔をだけをこちらに向けた。
「君も匂い袋を持ってなかった?」
「ああ、はい」
「誰にもらったの?」
「あれは——」
そこまで言って気が付いた。そもそも貰い物だとは知らないはずなのに、誰かにもらったと言う前提の聞き方をするのはずるいと思った。
「原田さん、です……」
「へぇ、そう」
含みのある、ゆったりとした口調だった。
「その、お礼にと言って頂いたんです」
「そっか」
「はい……」
前みたいに怒ってくれた方がいくらかましだと思った。「屯所の奴に手を出すな」と言って、軽蔑の眼差しを向けられる方がずっといい。
黙っていられると、余計な事を考えてしまう。
もどかしい気持ちを抑え、こっそりと沖田さんの手元を見る。今日、サヨさんに会わなければ、そこに握られているのは私が渡すはずの匂い袋だったかもしれない。私が選んだそれは、バッグの中にこっそりとしまってある。あそこなら、私以外に見る事はない。私ですら、久しぶりに触ったくらいだ。
沖田さんは夜空をずっと眺めている。私は、誕生日をお祝いするような言葉をかけようかどうしようか迷っていた。色んな感情が邪魔をして、すんなりとは出てきてくれない。それでも、今日しかないのだからと自分で自分の背中を押す。
「沖田さん……」
「ん?」
「先日近藤さんとお話をしていた時に偶然知ったんですけど、今日、誕生日なんですよね」
「ああ、そう言えば今日だったかな。そんな事すっかり忘れてたよ」
「あの、おめでとうございます」
明るい声を作って言った。
「え?」
「えっと、誕生日なので……」




