繋がる甘い香り4
落ち込む前に、ため息がこぼれてしまう前に、顔を上げて部屋を出た。
台所の勝手口から裏庭に出ると、庭の端にある長椅子に、すでに平助くんが座っていた。
「待ちましたか?」
言ってから、まるでデートの待ち合わせのようだと思った。
「ううん、全然」
にっこりと笑う彼の隣に、当たり前のように腰を下ろした。
「綺麗ですね」
頭を後ろの壁にもたれさせた。
「今日は特別綺麗だよな」
平助くんも同じ格好で夜空を眺めている。
「天の川、どれか分かるか?」
「たぶん、あそこの星がたくさん集まってるところじゃなかったかな?」
言いながら指を差す。
「そうそう、でもどうして知ってんだ?」
「え、どうしてって?」
「だって、さっき見た事ないって言ってたじゃん」
「ああ——」
言いかけてから、それの説明に困った。
「私の時代にも寺子屋みたいな場所があってね、そこでは読み書きだけじゃなくて、それこそ星の事とか、植物の事とか、動物や食べ物や、とにかく色んな事を教えてくれるんです」
自分の言葉を確認しながら説明していく。
「たくさんの文章や、色んな絵を見て勉強するんですけど、その中に天の川の絵もあったから」
「へぇ、そうなんだ。なんかすげぇな」
顔を合わせてふっと笑う。
「彦星と織姫は、今頃会えたのかな?」
独り言のように呟くと、平助くんがくすくす笑った。
「くれはって子供みたいな事言うんだな」
「だって、一年にたった一日しか会えないんですよ」
「そんな本気で言うなって!」
「だって……」
「これだけ綺麗に見えてんだから、今頃一緒に散歩でもしてんじゃねぇの」
「そうですね。この時代の星空は、本当に綺麗です」
「未来では空も変わっちまうのか?」
「ううん、たぶんこの空は変わらない。だけど、私のいた時代は、夜になると街が明るくなるんです。ろうそくの灯りの何十倍も何百倍も明るい光でいっぱいになるから、空を見上げても星がくすんでよく見えないんです」
「へぇ、よく分かんないけど、なんか不思議だな」
確かにそうだと思った。この時代にいると、現代での生活は、なんだか自然に逆らって生きているように思えた。
「だから、こんなに素敵な星空を見られて幸せです。今日は、誘ってくれてありがとうございます」
「俺は別に」
声が照れている。だけど今は、からかわない事にした。
「あの、平助くんは一緒に星を見に行くような人はいないんですか?」
「な、なんだよいきなり!」
「その反応はどっちなんですか?」
結局はからかうような言い方になってしまう。
「俺は別にそういう子はいねぇよ。て言うか、いなくて悪かったな!」
「今はそうかもしれないですけど、平助くんて女の子から人気あると思うんだけどなぁ」
「慰めとかいらないから」
間延びした言い方をした。
「そんなんじゃないです! この前の稽古を見てて本当にそう思ったんです」
そう言うと、よく分からないと言ったふうに首を傾げている。
「本人は分かんないくらいの方がちょうどいいんですかね」
「それって誉められてんのか?」
「もちろんですよ」
すると、鼻から大きく息を吐いた。
「くれはは?」
「えっ?」
「くれははそういう奴とかいないの?」
「私は別に……」
すっと目を細め、明らかに疑いの眼差しでこちらを見ている。
「へぇ、好きな奴、いるんだ?」
同じ表情のままそう聞いてきた。
瞬間、言葉に詰まってしまった。
「えっ、そうなの!?」
わざとらしい言い方だった。
「いや、違っ……」
「別に隠さなくてもよくね?」
私の言葉を遮ってそう言った。
「俺の知ってる奴?」
興味津々な顔を向けられたからではないけれど、平助くんだとつい気を許してしまい、思わず頷いてしまった。すると、声も出さすに驚いている。その表情を見て、少しだけ後悔した。
「ごめんくれは、俺今驚いてる」
わざわざ口に出さなくても、とは思ったけれど、なんとなく、その気持ちは分からなくもなかった。
「驚かせてごめんなさい……」
「いや、全然。て言うか、くれはが謝る事なんていっこもないから」
「うん……」
「そっかそっか。何て言うか、もしも俺にできるが事あるならさ、何でも言ってよ。頼りになるかどうかは別として、相談くらいはのるからさ」
照れくさそうに言うものだから、まさかその好きな人を諦めようとしているところだとは言えなかった。
顔を合わせて小さく笑う。何を言うでもなく、星空を見上げた。
「誰だか聞かないんですか?」
なんとなく、そんな事を聞いた。
「え? いや、まあ。確かに誰なのか気になるけどさ。俺、聞いたらたぶんそいつの事そういう目でしか見れなくなりそうだから。だからあえて聞かなかったんだけど。でも、れはが聞いてほしいって言うなら、聞いてやってもいいぜ」
正直迷った。けれど、結局誰だとは言わなかった。それでも、私を応援してくれると言ってくれた。平助くんらしい優しさに胸が温かくなる。
「私も、平助くんにそういう人ができたら絶対に応援します」
「おう、そん時はくれはに一番に報告するよ」
——平助くんと別れて部屋に戻っても、沖田さんの姿はそこにはなかった。
お風呂に入るのも、寝る準備をするのもいつも以上に時間をかけながら、こっそりと沖田さんの帰りを待っていた。もちろん、特別な意味などないけれど……
布団に入ってからもなかなか寝付けず、それでも無理矢理に目を閉じると、気が付けば眠っていた。
それから次に襖が開くのを感じたのは朝方だったと思う。ほんのり明るくなった部屋に、人の気配を感じたからだ。けれど、それだけだった。
「どこに行ってたんですか?」、とは、例によって怖くて聞けるはずもなく、朝食の席でも、「おはようございます」と声をかけただけだった。




