繋がる甘い香り
強くなりたい、強くなりたい、強くなりたい。
強くならなければ、ここでは生きていけない。心が弱いと負けてしまう。それも、たった一瞬で。だから、沖田さんを想う気持ちには、蓋をする事にした——
先日、もうすぐ沖田さんの誕生日だと言う事を知り、いい機会だと思った。笑顔でお祝いしたいのが本音だけれど、それはもう無理そうなので、日頃のお礼だと装ってプレゼントを用意すれば、話すきっかけになるはずだ。そこで改めて気持ちを伝え、そしてきっぱりと断られれば悔いも残らないだろう。
壬生寺の境内に大きな笹が立て掛けられた頃、あちらこちらで蝉の合唱が始まった。耳元で鳴いているのかと思うほどの大きな鳴き声は、話し声すらかき消してしまうほどだ。
最近では大きな事件もなく、屯所の中はいつにも増して穏やかだった。
今朝も暑くて早くに目が覚めると、意外にも沖田さんはまだ眠っていた。思わず寝顔を盗み見る。額に張り付いた髪の毛が、なんだか子供みたいで心が和む。時折震えるまぶたが、夢でも見ているのかと想像させた。ずっと見ていたいけれど、気持ちを抑え、部屋を出た。
井戸で顔を洗いながら、目に焼き付いている沖田さんの寝顔も一緒に洗い流す。何も見ていない、そう思えばいい。自分に言い聞かせ、台所に向かった。
「おっはよう!」
背中で元気な声が響いた。振り返らずとも、すぐに誰だか分かった。
「平助くん、おはようございます」
大根を鍋に入れてから半身振り返る。
「俺、大根の味噌汁好きなんだよな」
言いながら隣に来ると、めざしを菜箸でひっくり返してくれた。
「こんな早くにどうしたんですか?」
「暑くて目が覚めてさ、顔を洗いに来たらくれはもう準備してるから」
「私も暑くて早くに目が覚めたんです」
味噌を溶いていると、汗が耳の横を流れた。それを手ぬぐいで拭ってから、小皿に味噌汁を少し入れた。
「味見してもらってもいいですか?」
平助くんの前に差し出す。
「て言うかさ、味見しなくても上手いから」
「えっ?」
すぐに小皿を空にすると、「くれはの作る料理がまずい訳ないじゃん」、当たり前のようにそう言ってくれた。
「ありがとう」
嬉しくて、少しだけ恥ずかしくなる。
「それよりも、くれははいつになったらその他人行儀みたいな喋り方じゃなくなるんだよ」
たぶんそれは、敬語の事を言っているのだろう。
「えっと……」
今さらと言えば今さらだ。
「それじゃあ、今日からはもう少し砕けた言い方にします、じゃなくて、するね」
「おう! その方が全然いい」
平助くんの全然いいの意味はよく分からないけれど、本人がそれで納得するのならそれでいいのだろう。
朝食の準備がほとんど終わったところで、今日の当番の隊士の方たちがやって来た。来るなり彼らが申し訳ない顔をするものだから、私が勝手に早起きをしてやったのだと説明する。それと、平助くんが手伝ってくれた事は言わないでおいた。気を遣うだろうからと、口止めしたのは平助くんだった。
今日は午前中に壬生寺で稽古をすると言う平助くんに、あとから見に行ってもいいかと聞くと快く了承してくれた。道場で稽古をしている時はわざわざ見に行ったりしないけれど、外だと私がいたところでそれほど気にはならないと思ったからだ。それに、何かをしていれば余計な事を考えないで済む。
たすき掛けの紐をさっとほどき着物のしわを伸ばす。懐に入れていた手ぬぐいで首元の汗を軽く押さえた。途端、あの日の小さな痛みが蘇った。それをなかった事にするかのように首を何度も横に振る。気持ちを切り替え、屯所を出た。
今日の空は抜けるように高い。
壬生寺に近付くにつれ、隊士の方たちの威勢のいい声が重なるようにして聞こえる。それだけで、なんだか頬が緩んでしまった。
門をくぐり、こっそり様子を伺うと、平助くんの横顔が見えた。人違いかと思うほど、その横顔は真剣そのものだった。
相手を威嚇するような眼差しには恐怖さえ感じられ、普段の笑顔の彼とは全くの別人がそこにいる。
そうしているうちに、なんとなく、出て行くタイミングを失ってしまった。だから、気付いてと言わんばかりに平助くんに念を送る。そんな子供騙しと内心自分でも呆れていると、不意に顔をこちらに向けた平助くんと目が合った。私に向かって手を振る彼に、同じようにそうした。
「くれは、こっちこっち」
今度は手招きをされ、小走りに平助くんの元へと寄った。
「ずっとあそこにいたの?」
汗を拭いながら平助くんが言った。
「ずっとって訳じゃないけど、なんとなく、すぐには声をかけずらかったので」
「何気遣ってんだよ」
「だって、平助くんが平助くんじゃないみたいに見えて……」
うつむきながら答えた。
「ええ? なんだよそれ!」
「その、いつもより男らしいと言うか、格好良ったので」
そこまで言うと突然大きな声を出した。
「それじゃ普段が男らしくないみたいじゃんか!」
「えっ、いや、そう言う意味じゃなくて。ただ、真剣な平助くんを見るの初めてだったから、ちょっとびっくりしただけ、です……」
たぶん、そんな言い訳をしなくても、私の言いたい事にはとっくに気が付いているだろう。
「とにかく、いつもよりずっと格好良かった、です」
そう言うと、照れたように笑った。
「そんな事言ってもなんも出てこねぇからな!」
顔を合わせて笑っているだけで、私には小さな幸せだと思えた。
「それじゃあ、稽古の邪魔にならないように向こうに座ってますね」
そう言って建物のそばへ移動した。
日陰になっている場所に腰を下ろし、膝を抱えて頬杖をついた。




