心に蓋、矛盾5
「そんなに簡単に許しちゃだめだよ」
許すも何も、手を掴まれてここへ連れて来られた時から、私には拒否権などなかった。それを、分かっていながらそんな事を言っているのだろうか。もっと、抗った方が良かったのだろうか。
「そんなんだから楠くんに唇を許したんでしょ」
「あんなの違います!」
ほとんど声が重なっていた。
「でも、事実でしょ」
「それは、そうですけど……」
「じゃあ、何が違うって言うの」
「私だって、そういう事は好きな人とって……」
沖田さんは、眉を軽く上げるだけだった。
お互いが黙りこむ。そして、短い沈黙のあと、先に口を開いたのは沖田さんだった。
「ここから一人で帰れるよね?」
それには頷くしかなかった。私の反応を見るなりすぐ、沖田さんは来た道を戻って行った。その背中を見送るけれど、振り返る事はなかった。
乱れた着物を適当に直し、見えない首筋に手を当てる。沖田さんの唇の感触が、まだ残っている。その唇が、私のそれに重なると思った。勘違いが、馬鹿みたいだ。出来る事なら、今朝目が覚めた瞬間まで時間を戻したい。
この場所は、一人では寂しすぎる。幹にもたれて空を見上げるけれど、遮る物が多すぎて、ほとんど隠れてしまっている。
「好きな人と——」、そう言った沖田さんの好きな人は、間違いなく彼女なのだろう。分かってはいたけれど、それでも期待した。めちゃくちゃ期待した。私に気持ちがなくても、求められるなら委ねようと思った。こんな自分は、初めてだった。
優しくされたり、冷たくされたり。笑顔に心が満たされたり、辛い言葉を言われたり——正直感情が追いつかない時もあるけれど、それでも結局は、好きの感情だけが残る。
屯所に戻るとすぐ、気を紛らすように庭の掃除を始めた。ほとんど誰もいない事に、とりあえずは安心する。乱れた気持ちのままでは、誰にも会いたくはなかった。
自分の心をそうするかのように、隅々まで綺麗にほうきで掃いていく。それが終わると、次は乾いた洗濯物を取り込んだ。縁側でそれらをたたみながら、次は何をしようかと頭を悩ませる。そうしていると、玄関の方が騒がしくなった。
出掛けていた隊士の方たちが戻ってきたのだろう。
土方さんの声が聞こえ、そのすぐあとに他の隊士の方たちの声が聞こえた。
玄関へ向かい、皆さんを出迎える。
「お疲れ様です」
「くれは、もう体は大丈夫なのか?」
そう言ってくれたのは土方さんだ。
「はい、昨日はすみませんでした。でも、もう平気です」
「そうか、あんまり無理するんじゃねえぞ。それから──」
何か言いかけた土方さんが、一瞬言葉に詰まったように見えた。
「土方さん?」
「あ、いや。あとで部屋まで茶を持ってきてくれねぇか?」
「はい、分かりました」
言われてすぐに台所へ向かう。手際良くお茶を淹れ、それをお盆に乗せた。
「土方さん、くれはです」
「ああ、入ってくれ」
「失礼します」
襖を引いて中へ入ると、浴衣の帯を締めているところだった。
「土方さん、ここに置きますね」
言いながら、座布団のそばに湯飲みを置いた。
「ああ」
すぐに踵を返そうとすると、「そこに座れ」と言われ、座布団の前に腰を下ろした。
「何か頼まれ事ですか?」
「いや、そうじゃない」
湯飲みに手を伸ばし、一口飲むなり腕組みをした。
「単刀直入に聞くが、お前、男ができたのか?」
予想外すぎる一言に、開いた口が塞がらなかった。
「そうなのか?」
「……いえ、違います」
土方さんは鼻から大きく息を吐いた。
「俺の勘違いかもしれないが……」
そう言うと、ずいっと私に近寄った。
伸ばした手は、私の首筋にある。瞬間、「あっ」となった。
「じゃあこれは、誰にやられた? ここの奴か? それとも知らない奴か?」
心配と苛立ちが混ざったような声だった。
「これは……」
私の言葉を待っているのか、土方さんは黙っている。
「言えないような相手なのか?」
その声には、苛立ちだけが残っていた。
嘘を付くか、本当の事を話すか。瞬時にあれやこれやと考えた結果、本当の事に脚色する事にした。
「あの、言いたくない、相手です」
そう言うと、土方さんの眉根がぐっと寄った。
「知らない男の人に、襲われて……」
半分は事実なのだからと、動揺しないよう必死だった。
「でも、大丈夫です。あの、この事、誰にも言わないでもらえませんか?」
声が震えた。
「お前、本当に平気か?」
気遣いに、胸が苦しくなる。
「はい。その、運良く逃げれられましたし、気を付けていなかった私も悪いんです」
そう言うと、土方さんは渋い顔をした。
「平気な訳ないだろ。素直になれ」
優しい言葉に心が痛む。
我慢出来ずに、涙がこぼれた。それは、色んな意味の涙だった。




