心に蓋、矛盾
こんな日々が続いてほしいと思った——
身分や流派も関係なく、考え方が少し違ったくらいで命を落とさなくてもいい、平和な日々を過ごせたらどんなに幸せだろう。
この時代では、そんな些細な事を口にする事でさえ憚られてしまう。
分かっていてもそう願ってしまうのは、大切に想う人ができたからだ。
平助くんの作ってくれたお粥は、意外にもきちんとお粥になっていた。美味しいとか美味しくないとかと言う以前に、気持ちが嬉しかった。
食べ終えた食器を台所へ運び、それを洗おうと勝手口から外へ出る。昨日とは打って変わって抜けるような青空が広がっていた。
「くれはさん、おはようございます」
その声を、久しぶりに聞いた気がした。
「おはようございます……」
そこには楠さんが立っていた。
「もう起きても平気なんですか?」
「はい、心配かけてすみませんでした。でも、もう大丈夫です」
「そうですか、良かったです。でも、無理はしないで下さいね」
「はい、ありがとうございます」
洗い終えた食器を持ち、台所の方へ行こうと楠さんの横を通り過ぎる。それだけで、心臓が大きく跳ね上がる。
「くれはさん」
呼び止められ、半身振り返る。
「少し、いいですか?」
「……はい」
答えてから、後悔した。
裏庭の隅にある、細長い石のベンチに並んで腰を下ろした。
「今日は天気がいいですね」
楠さんが眩しそうに空を見上げて言った。
視線が定まらず、彼と同じように顔を上げた。
遠くで雲が流れている。微かに人の声が聞こえるくらいで、あとは静かなものだった。
「僕の事怖いですか?」
「え?」
急に何を言い出すのかと驚いた。
「あの時は強気な事を言いましたけど、やっぱり少し、後悔してます。自分に対してではなく、好きな人を傷付けた事に対してです」
許す許さないの問題ではなく、私なんかよりもずっと素直な彼に対して、どんな感情で向き合えばいいのか分からなくなる。
「くれはさんの事が好きなのに、自分の気持ちばかりを押し付けてしまって、本当にすみませんでした。もう少し、冷静になるべきでした」
今さらと思える事を言われても、正直何も響かない。
「僕の事、怖いですか?」
二度目のそれは、なんだか泣きそうな声だった。
短い沈黙のあと、前を向いたままゆっくりと口を開いた。
「……正直、少し怖いです」
それが全てだった。
「そう、ですよね……」
消え入りそうな声に、思わず同情しそうになる。
「くれはさんの嫌がる事は、もう絶対にしません。絶対に。だから、少しでいいから、僕の事考えてくれませんか?」
真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐな気持ちに、胸が苦しくなる。
一度は断られた相手に、二度も気持ちを伝えるのは私には到底できない事だ。それを、打たれ強いと言うのとは、また少し違う気がした。
「私、楠さんの気持ちには答えられません。だから、ごめんなさい」
彼が今思っているであろう納得できない気持ちや、諦めきれない気持ちは私にも理解できる。けれどやっぱり、嘘はつけない。
「あの——」
そう言って、静かに肩を上下させた。
「きっと、すぐには諦めきれないですけど、いつも通りに接してくれたら嬉しいです」
「分かりました」
流れていた雲が、ぴたりと止まって見える。
先ほどよりも、張り詰めていた空気が和らいでいる気がした。馬鹿だと思われるかもしれないけれど、やっぱり彼には、尖った空気は似合わないと思った。
「外にいても平気なの?」
二人同時に声の方を向くと、腕を組んで立っている沖田さんがいた。楠さんは、さっと立ち上がり沖田さんに頭を下げている。私も、楠さんにならって立ち上がった。
「部屋で休んでなきゃだめでしょ」
言ってから口角を上げるけれど、それが笑顔には見えなかった。
「すみません。天気が良かったので、つい……」
「僕が引き止めたんです」
私の言葉に重なる勢いで楠さんがそう言った。
「彼女が病み上がりだって知ってて引き止めたの?」
「え、ああ、はい……」
しどろもどろになるのも頷けるほど、沖田さんの眼差しは鋭いものだった。
「そういうのは、あまり感心しないな」
楠さんを真っ直ぐに見つめ、言いながら私たちの方へ足を向けた。目の前まで来ると、私のおでこにそっと手を当てた。
「とりあえずは大丈夫そうだね」
私が考えすぎなのか、さすがに楠さんの前でのこれは恥ずかしい。けれど、沖田さんに合わせてどうにかやり過ごす。
一瞬目元が和らいだ気がしたけれど、次にはすっと表情がなくなった。
「楠くんも今日は休みなの?」
相変わらずの雰囲気で沖田さんが聞いた。
「い、 いえ、今日は午後から巡察です」
緊張が、ひしひしとこちらにまで伝わってくる。
沖田さんは、聞いておきながら感心のなさそうな相づちを打った。




