膨らむ誤解
日が落ち、ぼんやりとした縁側を感覚だけで歩いていると、沖田さんの部屋の襖の隙間から明かり漏れているが見えた。
引手に指を添えながら、深呼吸をする。
「沖田さんお疲れ様です」
背中に向かってそう言った。
「どこか行ってたの?」
半身振り向いた横顔に、胸が高鳴った。
「山南さんの着物を届けに行っていました」
「そう」
「なんだか、久しぶりに会う気がします」
「ん?」
「ああ、えっと、沖田さんと……」
答えながら恥ずかしくなった。
「そうだっけ?」
「え、はい……」
その素っ気ない口調に、今度は違う意味で胸がきゅっとなる。
会話が途切れ、部屋の隅に腰を下ろした。
「ねぇ」
呼ばれてすぐに返事をする。
「君、男でもできた?」
驚いていると、沖田さんが続けた。
「最近髪型を変えたのは、何か心境の変化でもあったのかなって。それに、なんだか甘い香りもするから」
沖田さんはいったい、どこまで気付いているのだろう。
「私、特別な人なんてできてませし、髪型を変えたのは、ただの気分転換です」
嘘と本当が混ざると、どれだけ嘘の割合が少ないとしても、全てが嘘に聞こえる。
「君ってさ——」
言いながら私の前まで来ると、正面で片膝を着いた。
「嘘が下手だよね」
片側で一つに結んでいる髪の毛を取ると、それを後ろへとやった。
これだけ薄暗ければ見えないはずなのに、思わずそこを隠すような動きになる。
「僕が気付いてないとでも思ってた?」
たぶんそれは、今もまだ、うっすらと首筋に残っている例の痕の事を言っているのはすぐに分かった。
「どうして隠すの? ただ恥ずかしいだけ? それとも、人には言えない関係だから?」
「ち、違います……」
首に手を添えられただけで、体がどんどん熱くなっていく。
本当の事を言いたい、言えない——
「ま、誰でもいいけどさ、ここの人間には手を出さないでよね」
「え……」
勘違いしている。いや、勘違いではないけれど、ある意味では勘違いだ。けれど、ここで素直に全てを話せるほどの勇気は持ち合わせていない。
「本当にこれは何でもないんです!」
今の私には、そう言うのが精一杯だった。
沖田さんの中身のない相づちに苛立ったけれど、それもこれも自分のせいだ。
「君はもっと素直な子かと思ってたのに、意外とそうでもないんだね」
離れる手を、無意識に掴んでいた。
「何?」
「……あの」
泣きそうだった。
「一つ、聞いてもいいですか?」
声が震えた。
「沖田さんには、その、特別な人がいるんですか?」
「君には関係ないでしょ」
間髪を入れずにそう答えた。
「それに今は君の話をしてるんだけど、話をそらさないでよ」
言う通りだと思った。
「……すみません」
頭を下げ、そのままの格好でいると顎に手を添えられて上を向かされた。
「君は誰とでもそういう事するの?」
楠さんの事を思うと、どうしても言えなかった。だから、ただ黙って首を横に振る。
「僕じゃだめって事?」
跳ねるように顔を上げた。沖田さんの笑顔は、どういう意味なのだろう。思ってから、からかわれているだけだと気付いた。それでも一瞬、ほんの一瞬だけ、違う捉え方をしてしまった自分が情けなくなる。
「僕にも肌を許してくれる?」
意地悪な顔が逆光にもよく分かった。
そしてもう、限界だった。我慢していた涙が、頬を伝った。
「どうして泣くの?」
沖田さんは表情を変える事はなかった。
再び首を横に振る。
「なんか萎えちゃった」
短く息をつくと、立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
襖が閉まると同時に、涙が加速する。
いったい何が正しいのだろう——
今日で何日目になるのか、沖田さんとはまともに口をきいていない。挨拶と、あとは事務的な会話くらいだ。
いつの間にか梅雨は明け、次第に青空はその高さを増していく。
洗濯物が早く乾くのはありがたいし、何より晴れているだけで気分が違う。
たくさんの洗濯物を干す事にも慣れ、いつもより早く終わらせると、部屋に戻って出かける準備をした。今日は、壬生寺では稽古をしていないと聞いていたので、久しぶりに行ってみる事にした。
壬生寺の門をくぐるより先に、子供たちの楽しそうな声が聞こえた。そんな彼らを見ているだけで、こちらまで自然と笑顔になる。
砂利を蹴る音が、耳に心地良い。
笑い声とは反対へ足を進め、木の影に入って体を小さく丸める。
緑の香りが鼻を刺激する。自然には敵わないと思えるほど、次第に気持ちが落ち着いていく。
未来へ戻る手がかりを探せるほどの情報は、もはや何もない。今では本当にただの息抜きになっている。
ぼんやりと、遠くの空を眺める。
沖田さんは、今日も朝早くから巡察に出かけて行った。




