重ならない想い2
楠さんが続けてそう聞いた。
「あ、いえ。特には何も」
土方さんの手ぬぐいを、パンパンと叩きながら答える。
「それじゃあ、あとで迎えに行きます」
そう言い残すと、私の返事も聞かずにさっさと行ってしまったものだから、「あ」でも「う」でもない声が出た。
もしかすると、昨日の話をするのかもしれない。そう思うと、面と向かって会うのは気が進まない。どちらにせよ、断れなかった自分が悪い。
一度部屋に戻り、再び襖を開けるよりも先に外から名前を呼ばれた。楠さんだ。
「行きましょうか」
さすがに隣には並べなくて、楠さんの後ろをついて行く。
八木邸を出て右に曲がり、壬生寺を通り過ぎたあたりで彼が顔を横に向けた。
「昨日は、すみませんでした」
謝られたところで、返事の正解が分からない。それに、答えられないのは彼を許していないからだ——
一晩経って昨日よりだいぶ冷静な思考に戻っているとはいえ、二人きりでいるのは正直緊張する。どちらかと言うと、怖いと言う意味でのそれだ。同じ事が起きないとは限らない。そう思うと、否が応でも身構えてしまう。
「くれはさん……」
名前を呼ばれ、とりあえずの返事をした。
「正直、混乱しています」
背中あたりに視線を向ける。
「昨日、あなたに拒まれた事です」
「ああ」と思ったけれど、それだけだった。
楠さんは立ち止まる事なく言葉を続けた。
「あの時、くれはさんにああ言われて驚きました。女の人から誘われたのは初めてで、めちゃくちゃ動揺しました。もちろん今は、そんな気がなかった事は分かっています。だけど、一瞬でも嬉しかったです」
角を曲がると細い路地に入った。日の当たらないその場所で、前を歩く彼がゆっくりと足を止めた。
「僕と同じ気持ちだと思ったから……昨日の事、怒ってますよね?」
「……あの、怒ってると言うか、驚いただけです。私こそ、世間知らずですみませんでした」
ほんの少しだけ、嘘をついた。
楠さんが再び前を向いて歩き出した。左右に並ぶ木々が次第に高さを増していく。初めて歩くこの場所は、涼しいと言うよりも、少しひんやりとしている。さらに進むと、右手に鳥居が見えてきた。お世辞にも綺麗とは言えないそれは、朱色がほとんど剥げてしまっている。
「少し座りませんか?」
半身振り返る彼に、「はい」と返事をした。
鳥居をくぐり、誰もいない境内階段に、楠さんに手振りで座るよう言われた。さすがに距離を取りすぎるのも不自然な気がして、迷いながらも隣に浅く腰を下ろした。
「あの——」
話を切り出す彼の横顔をちらりと見る。
「くれはさんは、その……」
そこまで言って言葉を濁した。
少しして、再び口を開いた。
「好きな人がいるんですか?」
「えっ」
眼差しが真剣そのものだった。
「私……」
「即答できないのが、答えですか?」
動揺して余計に何も言えなくなる。
「土方さん、ですか?」
「ち、違います!」
思わず声を上げた。
「それじゃあ、近藤さんですか?」
「違います……」
「沖田さんですか?」
「あの——」
その名前を聞いた途端、ほとんど語尾が重なる勢いだった。
「ど、どうしてそんな事を聞くんですか?」
私の質問に、分かりやすく眉を寄せた。それからすぐ、こちらに向き直るなり手を握られた。
「くれはさんの事が好きだからです」
きっぱりとした口調に、途端に緊張感が増す。
こんなふうに男の人に告白をされたのは、初めてだった。全ての感情をぎゅっとつかまれ、そのままぐちゃぐちゃに混ぜられたような気分だ。
「……僕の事、男として見てくれませんか?」
握られた手にぐっと力がこもり、さらに言葉を続けた。
「くれはさんの事を初めて見た時、あなたは笑っていました。その笑顔に、僕は心を奪われました」
映画か何かの台詞のようなそれを、この時代で聞くからなのか、素直に心に響いた。けれど、答えは決まっている。
「私……」
驚くほど小さな声は、楠さんには届かなかったのだろうか。私が話し出すよりも先に、掴んでいる手を引かれて彼に抱きしめられた。
「くれはさんの事が、好きです」
声が震えている。
「好きです……」
ゆっくり体が離れると、うつむきがちの彼と視線が合い、身を固くした。




