過去へ2
声が、ぐっと低くなった。
「私は……」
その人は、私の言葉を遮って話を続けた。
「ここは僕たちが稽古でよく使う場所です。そこにこの辺の人間ではないあなたが、どう見ても怪しい格好で現れたら疑われても当然ですよ」
「私、何も疑われるような事なんてしてません」
「そんなの、誰にも分からないじゃないですか」
言い返すつもりが確かにそうだと思ってしまった。ただ、言われている言葉は理解できるのに、意味が理解できなかった。
「——あの、一つ聞いてもいいですか?」
恐る恐る口を開いた。
「今度は何ですか?」
ぶっきらぼうな口調だった。
「ここは、何と言うお寺なんですか?」
「壬生寺だけど」
開いた口が塞がらなかった。
まさか、そんなはずがない。けれど、目の前のその人が嘘を言っているようには到底思えなかった。
「……その、壬生寺って事は、まさかここ、京都じゃないですよね?」
苦笑いしそうになるのをどうにか堪える。
「その、まさかだけど」
その答えに絶句した。
たぶん今まで、これ程の衝撃を受けた事はない。バンクーバーから羽田に向かう途中、どうすれば京都に来る事ができるのだろう。そもそも、京都に空港はないはずだ。
「……ごめんなさい。私、頭が混乱してて」
冷静になったかと思えば、再び訳が分からなくなる。おでこに手を添え、分からないなりに頭を働かせる。
しばらくして、ようやくこの状況から抜け出せるであろう考えが閃いた。と言うか、最初からこうしていれば良かったと安心すらした。バッグの中を探り、スマホを取り出した。けれど、画面の上には圏外の文字があった。
「嘘、圏外……」
「あの、それは何ですか?」
それを差しているのがスマホだと分かるのに、ゆっくり一呼吸分は時間がかかった。
「何って、これの事ですか?」
言いながら、スマホを持つ手を上げた。
「あなた、やはりどこかの間者ですか?」
その人の表情が瞬時に豹変した。
私からさっと離れたかと思うと、こちらを真っ直ぐに見据え、片足を引いて刀の柄に手を添えている。この状況を夢だと思いたくなる程、目の前で起きている事が現実すぎる。
次の瞬間、音もなく切先が私に向けられた。それを、初めて見たにも関わらず、疑う事なく本物だと確信した。
——この人、本気だ……
その刹那、場の空気ががらりと変わった。
目の前に突き付けられた刀に太陽の光が反射した。それに目が眩んだのか、それとも、状況の理解が追いつかずに思考回路が停止したのか。記憶が、そこで再び途切れてしまった。
——まぶた越しに光を感じる。徐々に意識が戻ってくる感覚に、ゆっくりと目を開けた。
目の前に見える天井が、自分の部屋のものではない事に気付くと、勢いよく上半身を起こした。
掛け布団を握り締めたまま、首だけを動かして部屋の中を見回す。
「ここ、どこ……」
思わず独り言が出た。
見た事のない部屋に、どうして自分が寝ているのか全く検討がつかなかった。
立ち上がり、息を潜めながら襖に手を掛ける。
部屋の外に出ると、左右に縁側が続いている。そこでもまた、ぐるりと周りを見るけれど、全く見覚えのない場所だった。昼間、くらいだろうか。空を見上げると太陽がちょうど真上にあった。
とりあえずこの家に住んでいる人を探そうと、襖を閉めてゆっくりと縁側を進んで行く。すると、突然後ろから声をかけられた。
「ねぇ、どこに行くの?」
驚いて振り返る。と同時に、夢ではない現実に体が硬まった。
私のすぐ後ろで立っているのは、壬生寺で会ったその人だったからだ。
「……どこって、あの、ここはどこですか? それに私、どうしてそこの部屋で眠っていたんですか?」
「とりあえず、付いてきてもらえますか?」
私の質問には答えず、さらには私には選択肢のないような口調に、不本意ながらも頷いた。
一応は、警戒しながらその人の後ろを付いて行くけれど、そんな私にはお構い無しと言ったようだった。
すぐ近くの部屋に通されると、部屋の中にいる数人の男性の視線が一斉に私に向けられた。思わず息が止まる。威圧感が、半端ではない。と思ったのもつかの間で、上座の中央に座っている男性が、ほんの少しだけ口角を上げた。
「そこに座りなさい」
思ったよりも口調が優しい。だからではないけれど、素直にその場に腰を下ろした。
「単刀直入に聞くけれど、君はいったい何者なんだね?」
いきなりのこの質問は、非常に困る。
「あの、何者とは、どういう意味ですか?」
恐る恐る聞き返す。
「お前、言葉の意味も分かんねぇのか!」
質問してきた男性の、右隣に座っている男性が、多少声を荒げながら私を睨んでいる。
顔が、怖すぎて声が出ない。ただ、見覚えのある顔だと思った。
「……あの、えっと。私は、ただの大学生です」
なんとなく、この人たちにはその答えが不正解な気がしたけれど、私には、それ以上自分を説明できるものが何もなかった。
「だいがくせい?」
壬生寺で会ったその人が、私の言った事を丁寧にも繰り返した。
「はい、そうです。あの、どうして私はここにいるんでしょうか?」
その質問に、その場にいた全員が不思議そうな顔をした。
「いやいや、それについてはこちらが聞きたいんだがね」
再び、上座の中央の男性が答える。
「君は壬生寺で倒れていたそうじゃないか」
「はい、そうなんですけど。自分でも、どうしてあそこにいたのか分からないんです。気付いたらあの場所にいて、そしてまた、気付いたらここにいました」




