変化8
久しぶりの夜更かしに予想以上にまぶたが重い。沖田さんの事を待っていた訳ではないけれど、いつ帰ってくるのだろうかと気になって眠れなかった。こんな日は、五月晴れを恨めしく思う。
今日は、農家の方が野菜を分けて下さると言うので、今は楠さんと二人でその方の畑へ向かう途中だ。
「寝不足ですか?」
私の顔を覗き込むようにして彼が聞いてきた。
大きな俵型のかごを背負い、肩紐をぎゅっと握っている。
「ああ、えっと、少しだけ。色々と考え事をしていたら、眠れなくなってしまって……」
「何か悩み事ですか?」
「そんな、大した事ではないので」
言いながら、本当にそうだと言い聞かせる。
「僕で良かったら、話聞きますよ」
「いえ、大丈夫です。でも、ありがとうございます」
楠さんの気遣いは嬉しいけれど、相談をするにはお互いの事を知らなさすぎる。それに、この気持ちを誰かに話すのは、ものすごく勇気がいる。
——野菜を分けて下さった農家のおじいさんは、丸い顔が特徴で、物腰の柔らかな方だった。おじいさんは、私たちに会うなり何よりも早く頭を下げてお礼の言葉を並べた。聞けば以前、買い物に出かけた際に、見るからに柄の悪そうな若者数人に囲まれた時、沖田さんたちに助けてもらったと言い、今回は、それのお礼だと言っていた。本来なら自ら出向きたかったみたいなのだけれど、年齢も年齢なので、楠さんが背負っている量をおじいさん一人でとなると、到底無理だっただろう。
帰り際、玄関先で何度も頭を下げるものだから、実際は関係のない私からすれば、正直、落ち着かない思いだった。
「重たくないですか?」
かごからはみ出すほどの野菜を、楠さんは一人で担いでくれている。
「これくらい平気ですよ」
手振りを付け、にこにこしながら言うものだから、ここは彼に頼る事にした。
もちろん私も手伝うつもりで大きな風呂敷を持ってきていたのだけれど、自分が持つと言ってほとんど強引に全部を持ってくれた。大根一つでも重たいはずなのに、本当に平気な顔をしている。
屯所に戻り、表玄関からではなく、裏の勝手口から台所に入った。
「ここに置きますね」
よいしょと言いながら、勝手口から入ってすぐの壁際に、背負っていたかごを下ろした。
「本当にありがとうございます」
「そんな、これくらい大した事じゃないですから。それに、僕たちの事でもあるんですから」
かごから野菜を取り出しながら、疲れた様子を見せる事なく涼しい顔で言った。
「あとは私がやっておきますので、楠さんは休んで下さい」
「一人で大丈夫ですか?」
「はい、任せて下さい」
「それじゃあ、任せますね」
柔らかく笑うと、再び勝手口から出て行った。
かごを元の場所へ戻し、野菜を日の当たらない場所へ置き直す。それが済むと、ほとんどする事もなく、とりあえず上がり口に腰を下ろした。夕飯の準備をするにはまだ早く、かと言って用事や頼まれ事もなかったので、自分のために温かいお茶を淹れる事にした。
ここへ来てから毎日のようにそうしているけれど、今までの私からすれば考えられない事だった。お茶はコンビニかスーパーで、その日の気分で好きなものを好きな時に買っていたし、ペットボトルが当たり前すぎて、湯飲みを使うのも実家で暮らしていた時以来だった。それにそもそも、急須を使った事がない。それでも人は、順応していく——
湯飲みを両手で包むようにして一口飲み、小さく息を吐いた。
何を考えるでもなく、開きっぱなしの勝手口から奥の庭をぼんやりと眺めていた。目線を上げれば、遠くまで青色が続いている。
不意に、昨日の事を思い出した。沖田さんとはあれきり顔を合わせていない。と言うよりも、屯所に戻ってきたのかどうかも分からない。考えてもどうしようもないのだけれど、一度考え始めてしまうと止まらなかった。
胸が苦しい——抱えた膝に、頭を乗せた。そうしながら、気が付けばうつらうつらとしていた。胸が苦しくても、睡魔には勝てないようだ。寝落ちしそうになり、自嘲気味に笑ってしまった。
ようやく沖田さんと顔を合わせたのは、夕飯が終わって部屋に戻ってからだった。部屋の襖を開けたと同時に、今まさに出て行こうとする沖田さんとばったり会った。驚いてお帰りなさいも言えずにいると、「出かけてくる」と早口に言われただけだった。すっと隣を通り過ぎる姿を目で追いながら、「分かりました」と素っ気ない返事で見送る事しかできなかった。
隊服を羽織っていない事から、私用である事は間違いなくて、それが、色んな事を想像させる。どこに行くのか聞くくらいすればいいのだけれど、今の私にはそれすら難しい事だった。
現代であろうと、百六十年前であろうと、恋はタイミングを選んではくれない。
考えすぎて頭の中で迷子になりそうになる。
たぶん、沖田さんは今日も帰ってはこないだろう。なんとなく、そんな気がした。




