↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/58

変化4





 柔らかく笑ったその人を見て、あっと名前を思い出した。


「楠(くすのき)さんは、今日はお休みですか?」

「ん、まあ、そんなとこかな」

「そうなんですね。それじゃあ私はもう少し掃除が残っていますので」


 失礼しますと言って軽く頭を下げ、桶を持って立ち去ろうとすると、すれ違いざまに腕をつかまれた。


「あの、このあとも何か予定が入ってますか?」


 斜め上に見る彼は、どこか楽しそうな顔をしている。


「えっと、今日は久しぶりに壬生寺に行く予定です」

「そう。じゃあ、先に行ってますね」


 そう言うと、私が口を開くよりも先に踵を返し、足早に行ってしまった。

 立ち尽くしたまま、楠さんの言った言葉の意味を考えてみたけれど、どう考えても私の事を待っていると言う意味だろう。

 勝手に決めたのは彼だけれど、待たせるのも悪いと思い、残りの掃除を手際良く済ませてから壬生寺へと向かった。

 屯所から壬生寺までは目と鼻の先だ。

 歩いて数分とかからない距離を、整えた着物を崩さないよう気を付けながら早足で歩いて行く。右手に正面の門が見えてくると、何やら賑やかな声が聞こえてきた。その声に引き寄せられるように門をくぐると、近所の子供たちなのか、数人がそこにいた。

 その中には、大きな口を開けて笑っている楠さんの姿もあった。普段見る事のない彼の姿を見て、声をかける事を戸惑ってしまった。もちろん、悪い意味のそれではない。

 どうしようかと二の足を踏んでいると、彼が私に気付いて片手を上げた。それからすぐ、その場にしゃがむなり子供たちに何かを話している。その内容までは聞こえないけれど、子供たちは手を振りどこかへ行ってしまった。それを見送り、私に向かって手招きをすから、ほとんど自然に彼の元へと向かっていた。


「早かったんですね」


 言いながら、乱れた着物を直している。


「はい、もうほとんど終わっていましたから」

「そうだったんですか。いつもありがとうございます」

「そんな、大した事ではないですから。気にしないで下さい」

「そこ、座りませんか?」


 彼に促されるままに、本堂の隅に並んで腰を下ろした。ここからは、壬生寺の門が正面に見える。

 改めて境内をぐるりと見回すけれど、これと言って特別何かを感じる事はなかった。


「くれはさん」

「はい」

「そう言えばさっき、久しぶりにここへ来ると言っていましたけど、ここへは何をしに?」

「ああ、えっと……」


 何(・)を(・)、と言われ返答に困った。

 私の事情を知るのは近藤さんを始め、一部の人間だけだからだ。


「息抜きですか?」

「まあ、そんなところです」


 その答えは、今となればあながち間違いではなかった。


「そうですよね。くれはさんだってたまには一人でゆっくりしたいですよね」


 大人びた気遣いに惑わされるけれど、歳は私よりも三つほど下だ。


「楠さんはここへはよく来られるんですか?」

「よくってほどじゃないですけど、来ればさっきみたいに子供たちと遊んだりしてます」

「子供が好きなんですね」

「はい。でも、正確には僕が遊んでもらってるようなものですけどね」


 そう言っていたずらっぽく笑うから、その幼さにほっとした。


「楠さんの息抜きは、子供たちと遊ぶ事なんなんですね」

「まあ、確かに。遠からずってとこですかね」

「子供たち帰ってしまいましたけど、私、邪魔ではなかったですか?」

「そんな、気にしないで下さい。僕が帰るように言ったんです」

「え? そうなんですか」

「……その、くれはさんと、ゆっくり話がしたかったから」


 照れくさそうにそう言うと、あからさまに頬を赤く染めている。


「話、ですか?」


 確認するように聞き返すと、遠慮がちに頷いた。


「くれはさんが来てから屯所の中が以前よりも明るくなりました。やっぱり、女の人はいるだけで全然違います」


 私には大げさに聞こえるけれど、本人は至ってまじめに言ってくれている。

 何と返せばいいのか分からず、とりあえずのお礼を言った。


「僕は、近藤さんや他の皆さんの考えや志に共感し、厳しい事も辛い事も覚悟の上で入隊しました」


 楠さんの顔は、真剣そのものだった。


「ただ——」


 そこで一呼吸ついてから、再び話を続けた。


「くれはさんの事を思うと、胸が苦しくなって、不思議な気持ちになるんです。だから、稽古の最中、不意に心が乱れると言うか……」


 彼の言うそれの正体にすぐに気が付いたけれど、私の口からは言えるはずもなく、曖昧な相づちを打つ事しかできなかった。


「——お、お休みの日は、ここへ来る以外は何をされてるんですか?」


 どうにか話題を変えようと、当たり障りのない質問をした。すると、斜め上辺りに視線を泳がせながら小さく唸った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。