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第91話:煤に塗れた休息と、錆びた真実

 王都の夜明けは、鼻を突くような焦げた油の匂いと、立ち昇る煤煙に包まれていた。

 庭園のクレーターに腰を下ろしたまま、アッシュは自身の右腕をぼんやりと見つめていた。白熱を通り越して赤黒く変色した呪籠手の装甲は、至る所がひしゃげ、内蔵された黒陽シリンダーからは、今なお熱に浮かされたような微かなうなりが漏れている。


「……やりすぎたな。こいつも、俺の身体も」


 握り締めた拳を解こうとするが、指先が痺れて感覚がない。聖杯という規格外の質量を無理やり燃焼させた代償は、鉄の義手だけでなく、その中にあるアッシュの肉体さえも焼き、蝕んでいた。


「おい、アッシュ。死にたくなきゃ、さっさとその腕を外せ。熱で神経が煮えるぞ」


 瓦礫を掻き分けて現れたのは、ドワーフの鍛冶師ガラムだった。その手には、使い慣れた整備道具の入った革袋が握られている。

 ガラムはアッシュの隣に腰を下ろすと、舌打ちをしながら手際よく右腕のボルトを緩め始めた。


「……悪いな、ガラム。聖杯ってやつは、ドワーフの技術でも想定外だっただろ」

「当たり前だ。あんなモンをただの燃料にするバカがどこにいる。……だが、おかげで見たこともねえモンが拝めたぜ。魂を薪にしたあの浄化、英雄譚でもお目にかかれねえ代物だ」


 ガラムが熱を帯びた装甲を無理やり剥ぎ取ると、アッシュの生身の右腕が露わになった。

 火傷の跡が血管に沿うように走り、どす黒い内出血が痛々しい。だが、その腕は確かにまだ生きていた。


「アッシュ、大丈夫……?」


 少し離れた場所で残務にあたっていたエレンが、不安そうに駆け寄ってくる。その後ろには、傷だらけの身体を引きずりながらも、どこか晴れやかな顔をしたガレスとベリンダの姿もあった。


「ああ、生きてるよ。……腕の一本くらい、安いもんだ」


 アッシュはぶっきらぼうに答えながら、視線を足元に転がっている名もなき大剣へと向けた。

 あの日。故郷の村が燃え落ちた日、本物のガウェインが泥に突き立てていた大剣。絶望の中で彼から強引に継承し、第四四話でアグラヴェインから提示された『最高級の熱伝導材』での打ち直しを待たずして、幾度もの死線を越えてきた唯一の相棒。

 だが、今はどうだ。

 臨界点を超えた熱に晒され続けたその刀身は、こびり付いていた長年の煤や、魔族の返り血に塗れた古い錆が、皮を剥ぐようにパラパラと剥がれ落ちている。


「……ガラム。この剣、なんか変だぜ。中から別のモンが出てきてやがる」

「あん……? 何言ってやがる……」


 ガラムが作業の手を止め、地面の剣を手に取る。

 ドワーフの逞しい腕が、その剣を持ち上げた瞬間。ガラムの眉間が、かつてないほど険しく寄った。


「……なんだこりゃあ。この重心、そして刀身の芯に流れる不気味なほどの熱量はなんだ。まるで、ずっとこの時を待ってやがったみたいに……」


 ガラムの指先が、露出した銀色の地肌をなぞる。そこには、煤に汚れながらも、朝日を受けて怪しく煌めく精緻な刻印の断片が覗いていた。


「……一つ、聞いていいか。ランスロット」


 アッシュは、背後に立つ白銀の騎士へと言葉を投げた。

 最強の名を冠する男は、静かにアッシュの傍らに立ち、救い出されたガラハッドが運ばれていく様子を見つめていた。


「なんだ、アッシュ殿」

「……アンタ、本気を出しときゃ、あいつらを一撃で消し飛ばせたはずだろ。再生する隙も与えずに、跡形もなく。……身内を殺すなんて趣味じゃねえのはわかるが、それでも、死にかけてまで手加減し続けたのは何でだ。アンタほどの男が、そんな甘い判断をミスするとは思えねえ」


 アッシュの言葉は、デリカシーの欠片もない、それでいて核心を抉る問いだった。

 ランスロットはしばらくの間沈黙を守っていたが、やがてゆっくりと、その重い口を開いた。


「……私は、王の騎士だ。だが同時に、不甲斐ない父でもあった」


 その声は、朝の冷気に溶けるように静かだった。


「呪いに染まり、正気を失ったとしても、ガラハッドたちは我が誇り。……私は、彼らを怪物として始末したくはなかった。汚れなき騎士として、最後まで救いがあると信じたかったのかもしれん。王の剣としての私と、父としての私が、最後の一線で私を縛り続けていたのだ」


 ランスロットは、煤けたアッシュの横顔を真っ直ぐに見つめ、自嘲気味に微笑んだ。


「……その甘さを、貴公が打ち砕いてくれた。完璧を求めた私が救えず、偽物の太陽が、彼らを深淵から引きずり戻すとは。皮肉なものだな」


 アッシュはふんと鼻を鳴らし、ガラムが整備し始めた右腕のシリンダーから漏れる蒸気を見つめた。


「……堅苦しいんだよ、アンタは」


 エレンがその横顔を、どこか切ない眼差しで見つめている。

 彼女だけは知っている。アッシュが今手にしているものが、そしてその右腕が、どのような意味を持つのか。

 朝日が王都の瓦礫を照らし出す中、仲間たちは、束の間の、しかし最も濃密な休息の時間を噛み締めていた。

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