第90話:夜明けの煤煙と、二人の騎士
眩い浄化の光が、王城の庭園から王都の空へと一直線に突き抜けた。
数百年にわたって地下で培養されていた大魔女の呪詛が、ガラス細工が砕けるようにパリンッと音を立てて霧散していく。
「あ、あぁ……」
大通りを埋め尽くしていた狂信者たちが、憑き物が落ちたように次々とその場に倒れ伏した。切断された肉体や致命傷を負っていた者たちは、呪いの補助を失ったことで静かに息絶え、まだ傷の浅い者たちは、ひどく混乱した顔で周囲を見渡している。
そして、爆心地たる王城の庭園。
眩い残光が収まった後には、大きくすり鉢状に陥没したクレーターだけが残されていた。
『……僕の、神様が……』
パーシヴァルが、その小さな手からぽろりと剣を取り落とし、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
そして、もう一人の異形。
アッシュの魂を乗せた拳の直撃を受けたガラハッドは、全身を覆っていた粘ついたタールのような瘴気が綺麗に焼き払われ、元の純白の修道服姿へと戻っていた。
その胸には、物理的な傷は一つもない。
アッシュの放った炎は、彼の精神の根源にこびりついていた『原罪の術式』だけを、あまりにも強引に、力ずくで焼き剥がしたのだ。
「……私は、一体……何を……」
ガラハッドの虚無だった瞳に、光が戻る。
彼が焦点の定まらない目で自身の両手を見つめ、糸が切れたようにその場に崩れ落ちようとした、その時だった。
「……っと、危ねえ」
ガラハッドの身体が地面に叩きつけられるよりも早く。
ボロボロになった分厚い鉄の腕が、その背中をガシッと受け止めた。
「お前も、『頂点の息子』なんて重荷を押し付けられてたみたいだからな。……少しは休めよ、第十二位」
アッシュは、限界を迎えてミシミシと悲鳴を上げている右腕でガラハッドをそっと地面に寝かせると、彼自身も「あー、クソッ……全霊が痛てえ」と悪態をつきながら、瓦礫の上にドカッと腰を下ろした。
右手の呪籠手に括り付けていた浄化の聖杯は、アッシュの規格外の熱量に耐えきれず、完全に粉々に砕け散っていた。
彼の全身からは、戦闘の熱と油の焦げた匂いが、立ち昇る煤煙となって王都の夜明けの空へと溶けていく。
「アッシュ!!」
エレンが、血と煤にまみれた姿で瓦礫を乗り越えて駆け寄ってくる。その後ろには、ベリンダ、ガレス、そして肩で息をしているモルドレッドの姿もあった。
全員が満身創痍。立っているのもやっとの状態だが、その顔には、理不尽な絶望を共に叩き割った者だけが浮かべる、晴れやかな笑みがあった。
アッシュがエレンたちに手を挙げようとした、その時。
カツン、カツン。
王城の門前から、重々しい足音が近づいてきた。
完璧だった白銀の鎧は砕け、清らかな素肌は呪詛によって焼け焦げ、無惨な姿となっている。だが、その背筋は一本の折れない剣のように真っ直ぐに伸びていた。
円卓の騎士、第一位、ランスロット。
彼がアッシュたちの前で歩みを止める。エレンたちが思わず姿勢を正すが、アッシュだけは瓦礫に腰を下ろしたまま、面倒くさそうに首を掻いた。
「……王都の防衛は、完了したぜ。これでアンタの仕事も、俺たちの仕事も終わりだろ」
アッシュは、煤けた顔でランスロットを見上げる。
かつて雪山で、彼を「偽物」と呼び、決してその名を呼ばなかった最強の騎士。
ランスロットは、砕けた聖杯の残骸と、正気を取り戻して眠るガラハッドを静かに見つめた後、深く、深く息を吐いた。
「……己の身を焼き、命を薪にするほどの熱。まさか、聖遺物の輝きを凌駕する熱量が、この世に存在しようとは」
その言葉は、冷ややかな見下しでも、遠回しな嫌味でもなかった。
ただ事実を、その瞳に焼き付いた奇跡を認める、一人の武人としての独白。
ランスロットは、ボロボロになった右手をゆっくりと差し出し、アッシュの目の前へと突き出した。
「感謝する、アッシュ殿。貴公がいなければ、私は今日、守るべき矜持も、何より愛すべき息子をも失うところだった」
ランスロットの澄み切ったアイスブルーの瞳が、初めて、真っ直ぐにアッシュという一人の男を捉えた。
「――貴公は紛れもなく、この王都を照らす一つの太陽だ」
その言葉を聞いた瞬間。
エレンが息を呑み、ガレスが口元を押さえて微かに震えた。
円卓最強の騎士。決して他者を認めず、完璧を求め続けた孤高の白鳥が、ただの村人から成り上がった泥犬の偽物を、明確に「太陽」と認めたのだ。
「……ケッ。ガラじゃねえこと言ってんじゃねえよ、堅物騎士様」
アッシュは照れ隠しのように鼻で笑い、差し出されたランスロットの綺麗な手を、分厚い鉄の呪籠手でガシッと力強く握り返した。
「太陽ってのは、もっとスマートに空の上から照らすもんだろ。……俺のはただの、煤けた火の粉だよ」
血と油の匂いが立ち込める王城の庭で。
決して交わるはずのなかった二人の騎士が、初めてその手を固く結び合った。
東の空から、雲の切れ間を縫って、王都を祝福するように眩しい朝陽が差し込み始めていた。
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