第89話:魂の臨界点と、絶対的な赤熱
ガラハッドの胸元に密着したアッシュの右腕。
だが、その一撃を放つよりも早く、ガラハッドの全身から大魔女の呪詛が爆発的に噴出した。
『……不浄が、神の御体に触れるな』
ドス黒い瘴気の壁が、アッシュの腕を弾き返そうと凄まじい反発力を生み出す。
聖杯の放つ純白の光が、濃密な呪いに覆い隠され、再び消えかかっていた。
アッシュの右腕を包む鉄の装甲が、呪いの圧力によってミシミシとひしゃげ、内部の肉が圧迫されて血が滲み出す。
(……押し負ける。今の俺の熱じゃ、この何百年分もの呪いの底は抜けねえ)
アッシュの瞳孔が開く。
心臓が早鐘を打ち、全身の血液が沸騰するような錯覚。
彼は、かつてランスロットからの助言で開眼したあの極限の感覚を研ぎ澄ませた。
シリンダーの熱だけではない。己の命を削る恐怖、理不尽への怒り、そして、本物の騎士をこんな場所で終わらせてたまるかという、ドロドロとした執念。
その全てを燃料として、己の魂というボイラーに放り込む。
「燃えろ……ッ」
アッシュの喉の奥から、獣のような低い唸り声が漏れる。
「燃えろ、燃えろ、燃え尽きろォォォッ!!」
限界まで内部で圧縮された熱量が、聖杯を押し当てた右腕の一点に全て流し込まれる。
それに呼応するように、アッシュの強引な熱量を注ぎ込まれ続けていた浄化の聖杯が、バキッ、と微かな亀裂の音を立てた。
「おい小僧!! 聖杯が保たねえぞ!! 器が熱量に耐えきれず、自壊しちまう!!」
背後の要塞から、ガラムの焦った怒号が飛ぶ。
「知るかよ!! 奇跡なんて上等なもんは、勝手に起きるのを待っててやるほどお利口じゃねえんだよ!!」
アッシュの口から、鮮血が混じった咆哮が放たれる。
彼は右腕に己の全体重を乗せ、ガラハッドの胸を覆う呪詛の壁へと、一歩、また一歩と強引に踏み込んでいく。
「俺が、力ずくで引きずり出してやるッ!! オラァァァァァァァッ!!」
限界を突破したボイラーの排熱弁が吹き飛び、超高圧の黄金の蒸気が王城の空へと吹き上がる。
聖杯の純白の光に、アッシュの命を燃やした黄金の火の粉が混ざり合い、凄まじい熱の奔流となって呪詛の壁を強引に溶かし切った。
パキィィィンッ……!!
それは、分厚い氷が砕けるような、確かな音だった。
ガラハッドを縛り付けていた『原罪の術式』の核が、アッシュの前に、ついに焼き砕かれたのだ。
『……な……』
ガラハッドの虚無の瞳に、初めて人としての驚愕の色が走る。
砕け散る呪いの隙間を縫って、アッシュの右腕――聖杯を括り付けた分厚い鉄の拳が、ガラハッドの胸のど真ん中に深々とめり込んだ。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!!
聖杯の純白の光と、アッシュの黄金の火の粉が、ガラハッドの肉体を通して大爆発を起こす。
それは破壊の炎ではない。人間の精神の根源にこびりついた暗い呪詛だけを焼き尽くし、跡形もなく消し去る、極大の浄化の光。
眩い光の奔流が王都の夜空を貫き、上空を覆っていた分厚い暗雲を一直線に切り裂いていく。
その熱と光の嵐の中で、偽物の英雄は、本物の騎士を絶望の底から力ずくで引きずり上げるため、骨が砕けようとも決してその拳を緩めることはなかった。
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