第88話:盤面の反逆と、排気弁の咆哮
「力比べに付き合ってやるほど、俺はお利口じゃねえんだよ」
アッシュの右腕から、空気を切り裂くような破裂音が鳴り響いた。
黒陽シリンダーの『強制排気』。ガラハッドの足元の石畳に向けて、超高圧の蒸気と黒煙が一気に噴射される。
『……ッ?』
ガラハッドの視界が濃密な煙に遮られ、同時に、足元の石畳が蒸気の圧力で粉砕された。
強固な踏み込みの姿勢を強制的に崩された一瞬の隙。アッシュはその排気の反動を利用し、ガラハッドの重すぎる剣圧から身体を滑らせるように横へと離脱した。
(まともに打ち合えば、三撃で俺の大剣がへし折られる。なら、まともに受けなきゃいいだけの話だ)
アッシュの脳内で、戦場の地形と自身の武装のギミックが猛烈な勢いで噛み合っていく。
ガラハッドが煙を裂いて追撃に踏み込む。
無駄な予備動作が一切ない、首筋を正確に狙った水平の薙ぎ払い。
アッシュは大剣を盾にするのではなく、刃の『腹』を斜めに当て、同時に右腕のシリンダーの左側排気弁だけを開放した。
ギィィィィンッ!!
斜めの装甲と、横方向への推力。二つの力を組み合わせることで、ガラハッドの凶悪な剣閃を、自らの首の皮一枚のところで強引に「逸らす」ことに成功する。
火花が散り、アッシュの数本の髪の毛が熱でチリチリと焦げ落ちた。
『小賢しい。だが、その足掻きも長くは続かない』
ガラハッドの剣撃が加速する。上段からの振り下ろし、袈裟斬り、下段からの斬り上げ。
息つく暇もない死の連撃。
だがアッシュは、後退しながら王城の庭園に散乱する瓦礫へとガラハッドを誘導していた。要塞が外壁をぶち破った際に生じた、無数の石の破片と不安定なクレーター。
「お前の剣は、綺麗すぎるんだよ!」
ガラハッドが踏み込んだ先。そこは、アッシュが意図的に蹴り飛ばしておいた、丸みを帯びた兜の残骸の上だった。
ガキンッ、と硬質な音が響き、ガラハッドの体勢がほんの数ミリだけ前傾する。
教科書通りの美しい剣術を脳に叩き込まれているからこそ、足場の僅かな狂いが、剣の軌道に致命的なノイズを生む。
「――もらったぜ」
アッシュはその数ミリの隙を見逃さなかった。
大剣を地面に突き立てて支点にし、シリンダーの全推力を脚部のバネに伝達。
低い姿勢のまま、ガラハッドの懐の最も深い場所――黒い聖剣の死角へと、弾丸のような速度で潜り込んだのだ。
『……シッ!』
ガラハッドが即座に反応し、柄の底でアッシュの頭蓋を砕こうと腕を振り下ろす。
だが、アッシュはそれすらも読んでいた。
彼は顔面を庇うことを放棄し、首をわずかに傾けてその痛撃を肩の装甲で受け止める。骨が砕ける嫌な音が響いたが、アッシュは決して足を止めなかった。
肉を切らせ、骨を断つ。
強力な魔法も、圧倒的な才能もない男が、自らの命をチップにして手に入れた、たった一度きりの致命の距離。
「目を覚ませ、第十二位……ッ!!」
アッシュの右腕、聖杯を括り付けた黒陽シリンダーが、ガラハッドの胸のど真ん中にピタリと押し当てられた。
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