第71話:雪解けの涙と、星見の塔へ
五年間、凍りついていた少女の時間が動き出した。
氷の神殿に響き渡るガレスの慟哭を、アッシュたちはただ静かに見守っていた。
「……痛ッ! おいエレン、ポーション滲みすぎだろ!」
「動かないの! 左肩の肉がごっそり抉れてるのよ!? 少しは大人しくしてなさい!」
神殿の隅では、緊張の糸が切れた泥犬たちが、いつもの騒がしいやり取りを繰り広げていた。
ベリンダが呆れたようにため息をつき、モルドレッドは「俺も少し斬り足りねェな」と物騒なことを言いながら大剣の血糊を拭っている。
その騒がしくも温かい日常の音は、ガレスにとって、ひどく懐かしいものに感じられた。
かつて兄様が生きていた頃の円卓には、こんな風に泥臭く笑い合う時間が確かにあったのだ。
「……ホッホッホ。見事な決着じゃったな、若き太陽と、その仲間たちよ」
突如、神殿の最奥から、深く響く老人の声が木霊した。
それと同時に、ガレスの玉座の背後にあった巨大な氷の壁が、音を立てて真っ二つに割れ、上方へと続く果てしない螺旋階段が姿を現す。
「大魔術師、マーリン……!」
エレンが傷の治療を止め、階段の奥を警戒するように見上げた。
「さあ、上へ参れ。お主らが探し求めている『呪縛の解呪』の答えは、この塔の頂にあるぞい」
声は楽しげにそう告げると、再び静寂の中へと溶けていった。
「……行きましょう、アッシュ」
「ああ。さっさと用を済ませて、王都の温かいベッドで寝てえな……」
アッシュが重い腰を上げ、ボロボロになった外套を羽織り直して階段へ向かおうとした、その時だった。
「――お待ちなさい」
背後から、少し鼻声の、しかし凛とした声が響いた。
振り返ると、泣き腫らした目を真っ赤にしながらも、純白の軽鎧を整えたガレスが立ち上がっていた。
彼女は床に落ちていた白銀の双剣を拾い上げ、ツカツカとアッシュたちの前へと歩み寄る。
「……なんだ。まだやるってなら、俺はもう両腕上がらねえぞ」
アッシュが肩をすくめる。
「……ち、違います。誰があなたなんかと……っ」
ガレスはプイッと顔を背け、少しだけ頬を赤らめた。
「この神殿からマーリンの塔の最上階へ続く階段には、古の強力な魔術トラップが多数仕掛けられています。……重たい剣を振り回すしか能のない、不器用でガサツなあなたたちだけでは、途中で命を落とすのがオチです」
ガレスは、コホンと一つ咳払いをして、アッシュを真っ直ぐに見上げた。
「……私が、案内してあげます。兄様の言葉を胸に刻む者が、こんなところで犬死にするのは……私としても、寝覚めが悪いですから」
「へェ」
モルドレッドが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「素直じゃねェクソガキだな。要するに、一緒に連れてってほしいってことだろ?」
「なッ!? 違います!! 私はただ、監視を……っ!」
図星を突かれたガレスが、双剣の柄を握りしめてシャアアッと威嚇する。その姿は、先ほどまでの絶対零度の狂戦士からは想像もつかないほど、年相応の少女らしさに溢れていた。
「……監視でも案内でも、好きにしろ」
アッシュは、痛む左肩を押さえながら、ニッと人の悪い笑みを浮かべた。
「ただし、足手まといにはなるなよ、ガレス。俺たちは忙しいんだ」
「……っ。言われなくても、分かっています」
ガレスはほんの少しだけ口元を綻ばせると、再びキリッとした表情を作り、アッシュたちを先導するように螺旋階段へと足を踏み出した。
『クソガキ』ではなく、初めて彼から呼ばれた自分の名前。
アッシュのそのぶっきらぼうな響きが、今の彼女には不思議と心地よかった。
一行を飲み込むように続く、長く暗い螺旋階段。
だが、その足取りは決して重くはなかった。
兄の言葉を受け継ぐ不格好な太陽と、長い呪縛から解き放たれた純白の妹騎士。
奇妙な一行は、全ての答えが待つ『星見の塔』の頂を目指して、ついに最後の扉の前に辿り着く。
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