第69話:暴走する結界と、死の心臓の記憶
氷の神殿に、ひび割れるような高い亀裂の音が響き渡った。
マーリンの構築した結界システムが、アッシュの『泥臭い自己犠牲』をガウェインの本質と判定し、自らその役目を終えようとしていたのだ。
「認めません……っ。お前のような偽物が、兄様の心を理解しているなど……絶対に!」
ガレスは白銀の剣を握りしめ、ギリッと血が滲むほど唇を噛み締めた。
彼女の足元から溶け始めていた氷が、突如として『黒く濁った吹雪』へと変貌し、神殿内に荒れ狂う。
「……おい、なんだあの魔力は。雪虫の野郎、癇癪起こしてんのか?」
アッシュが、黒陽シリンダーを唸らせながら顔をしかめた。
「違うわ! ガレスは自分の莫大な魔力を流し込んで、強制的に神殿のシステムを上書きしようとしてるのよ!」
エレンが風圧に耐えながら叫ぶ。
「兄様は、誰よりも気高く、強かった。……その兄様でさえ命を落とした絶望を、偽物のあなたが越えられるはずがない!!」
ガレスの悲痛な叫びと共に、黒い吹雪が神殿全体を飲み込んだ。
アッシュだけでなく、彼を外から見守っていたエレン、ベリンダ、モルドレッドごと、現実の神殿の空間そのものが、強引に別の景色へと塗り替えられていく。
(……また幻術か! 今度はなんだ!?)
アッシュが再び目を開けた時。
そこは、抜けるような青空の広がる雪原などではなく。
空は赤黒く淀み、大地は腐り、見渡す限りの地平線を『何万という魔王軍の残党』が埋め尽くしている、この世の地獄のような荒野だった。
「……ッ、おい! エレン、狂犬、ベリンダ! 無事か!」
アッシュが、死臭の漂う荒野で声を上げる。
「ええ、無傷よ! ガレスの結界暴走に、私たちまで強制的に引きずり込まれたみたいね……!」
エレンがレイピアを構え、アッシュの背中をかばうように着地した。ベリンダとモルドレッドもすぐ側にいる。
そして、エレンが周囲を見渡し、息を呑んだ。
「ここは……!」
歴史書でしか読んだことのない、五年前の『最悪の激戦地』。
「……『死の心臓』の防衛戦。ガウェイン様と、お父様が……殿を務めて戦死した場所よ」
ベリンダが、自分の父親が死んだその荒野を、震える声で見渡した。
「ギャハハハッ! 面白ェじゃねェか! テメェの兄貴が死んだ場所で、俺たちもまとめて殺そうって腹かよ!」
モルドレッドが、地平線を埋め尽くす巨大なオークの幻影の群れを前に、ギザギザの大剣を構えて凶悪に笑う。
これは先ほどの試験とは全く違う。
ガレスのトラウマそのものが具現化した、神殿にいる全員を巻き込む『終わりのない防衛戦の追体験』だ。
「……兄様は、ここでたった一人でこの絶望を食い止め、そして死んだのです」
空中に浮かぶガレスの幻影が、冷たく見下ろしてくる。
「証明してみせなさい、偽物。あなたが本当に太陽の看板を背負う覚悟があるというのなら……兄様を殺したこの絶望の群れを前に、どこまで泥を啜って立っていられるか!」
「……上等だ」
アッシュは、名もなき大剣を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべた。
「お前の兄貴がここで死んだのは、たった一人で全部背負い込もうとした、お人好しの馬鹿野郎だったからだ。……だがな」
アッシュの隣に、エレンの白銀のレイピアが煌めく。
ベリンダが漆黒の大盾をドンと地に突き立て、モルドレッドが赤黒い血雷をバチバチと迸らせる。
「今の俺の背中には、一緒に泥を被ってくれる最高にイカれた連中がついてんだよ!!」
右腕の黒陽シリンダーが、極限の排熱音を荒野に轟かせる。
大剣の刃がドロドロの赤熱状態へと変貌し、アッシュは迫り来る魔族の群れへと真正面から突っ込んでいった。
「オラァァァァァッ!! そこを退けェェェッ!!」
アッシュの極限の溶断が、巨大な魔獣を次々と焼き斬る。
その死角をエレンの神速の突きがカバーし、モルドレッドが暴れ狂って敵陣を掻き乱し、ベリンダの絶対の盾が背後からの攻撃を完全に弾き返す。
それは、五年前のガウェインにはできなかった『仲間との共闘』。
決して美しくはない。泥と血に塗れ、悪態をつきながら、それでも一歩も引かずに絶望の群れを押し返していく泥犬たちの姿。
「……なぜ」
空中のガレスが、信じられないものを見るように呟く。
「なぜ……あんな無様な戦い方で、兄様を殺した群れを……押し返しているのですか……?」
彼女のトラウマである「絶対に越えられない絶望」が、彼らによって、少しずつ、だが確実に打ち砕かれていく。
ガレスの心の奥底に分厚く張っていた氷が、激しい音を立てて崩れ始めていた。
第69話、お読みいただきありがとうございます。
少しでも『面白い』『続きが気になる』と思っていただけましたら、ぜひページ下部よりブックマークや星での評価をよろしくお願いいたします! 執筆の大きな励みになります。




