第66話:氷の神殿と、凍てついた太陽の記憶
猛吹雪の雪山を登ること数時間。
アッシュたちは、凍てつく霊峰の中腹にポツンと開けた、異様な空間に足を踏み入れていた。
「……なんだ、ここは。雪が……降ってねえ?」
アッシュが息を呑んで見上げた先には、巨大な『氷の神殿』がそびえ立っていた。
自然の氷穴などではない。緻密な計算で削り出されたかのような、滑らかで巨大な氷の柱が何十本も立ち並び、天井からはシャンデリアのように美しい氷柱がぶら下がっている。
神殿の敷地内に入った瞬間、外で荒れ狂っていた吹雪の音は完全に遮断され、水を打ったような静寂と、肌を刺すような絶対零度の冷気だけが満ちていた。
「大魔術師マーリンが遺した、観測と記憶の結界……。話には聞いていましたが、これほどの規模だとは」
エレンが、周囲の氷壁を見渡しながら警戒を強める。
「ようこそ、偽物の泥犬たち」
静寂の神殿の最奥。
巨大な氷の玉座に腰掛けていたのは、純白の軽鎧を纏った少女――円卓第六位、ガレスだった。
彼女の周囲には、無数の「氷の彫刻」が立ち並んでいる。いや、彫刻ではない。神殿に侵入しようとして彼女に一瞬で斬り捨てられ、そのまま氷漬けにされた巨大な魔獣たちの完璧な死骸だ。
「……わざわざ首を洗って、私の試験を受けに来たのですね。少しは褒めてあげます」
ガレスは、玉座からゆっくりと立ち上がった。
村での激昂はなりを潜め、その表情はただ冷たく、静まり返っている。
「ゴチャゴチャうっせえな。とっとと道を開けろ、妹」
アッシュは左肩の痛みに顔をしかめながら、背中の大剣に手をかけた。
モルドレッドも「へッ、今度は俺も混ぜろよ」と大剣を肩に担ぐ。
だが、ガレスは武器を抜かなかった。
代わりに、彼女がそっと指先で虚空に触れると、神殿全体を構成する氷の柱が、眩い光を放ち始めた。
「言ったはずです。私はあなたを試すと。……この神殿は、過去の記憶を完璧に再現し、対象の精神をその世界へと封じ込める『追体験の魔術領域』」
ガレスの冷たい声が、神殿中に反響する。
「あなたはこれから、私の最も尊い記憶……五年前、兄様がたった一人でこの北の大地を護り抜いた『完全無欠の戦い』を、兄様と同じ立場で追体験してもらいます」
「……あァ? 昔の映像を見せられるってのか? 悪趣味だな」
アッシュが眉をひそめる。
「ただの映像ではありません。あなたがその中で『兄様』として振る舞うのです」
ガレスの瞳が、残酷な光を帯びた。
「ルールは一つ。あなたは記憶の中で、当時の兄様と『全く同じ選択』をし、『全く同じ完璧な剣技』で魔獣を倒さなければならない」
エレンの顔色が変わった。
「……待って。アッシュはガウェイン様ではないわ! 戦い方も、剣の振り方も、何もかもが違う! そんなの……!」
「ええ、その通りです。ただの泥棒には、絶対に不可能な真似です。……だからこそ、試験なのです」
ガレスは冷酷に言い放つ。
「少しでも兄様の高貴な剣筋から外れた泥臭い真似をすれば、あるいは一つでも判断を間違えれば……その瞬間、この神殿の防衛機構が作動し、現実のあなたの首を物理的に刎ね飛ばします」
「なッ……!」
ベリンダが大盾を構え、アッシュの前に出ようとした。
だが、遅かった。
ガレスがパチン、と指を鳴らした瞬間。
アッシュの足元の氷が眩く発光し、彼の視界が白一色に染まり上がった。
「アッシュ!!」
エレンの叫び声が、遠くへフェードアウトしていく。
左肩の痛みも、右腕の極限の熱も、すべてが薄れていく――。
***
「……おい、ガウェイン! ぼーっとしてないで、早く剣を抜け!」
「……は?」
アッシュが再び目を開けた時。
そこは、凍てつく神殿の中ではなかった。
青く澄み渡る空。吹き抜ける生暖かい風。そして、目の前には数千匹の大規模な魔王軍の残党が、津波のように押し寄せてきている絶望的な戦場だった。
「(……なんだ、ここは。幻術、ってやつか……?)」
アッシュは混乱しながら、無意識に右腕の黒陽シリンダーを鳴らそうとした。
だが、排熱の重い駆動音は鳴らない。
「……あ?」
アッシュは、自分の両手を見て息を呑んだ。
呪籠手によって醜く変色し、無骨な鉄塊で覆われていたはずの右腕。
それが今、一切の汚れを知らない、美しく輝く『純白と黄金のガントレット』に包まれていたのだ。
それだけではない。彼が握っていた、いつもの刃こぼれだらけの重たい鉄塊。
それは今、羽のように軽く、太陽の光を反射して神々しく輝く『本物の聖剣』へと姿を変えていた。
「(……俺が、本物のガウェインになってる……?)」
「行くぞ、ガウェイン! 遅れを取るな!」
隣で声をかけてきたのは、五年前の記憶の再現体……まだ少し幼い顔立ちをした、純真な笑顔のガレスだった。
『――少しでも泥臭い真似をすれば、現実のあなたの首を落とします』
現実のガレスの残酷な声が、脳裏にフラッシュバックする。
逃げ場はない。大剣の重さ任せの溶断も、右腕のボイラーの排熱も、ここでは一切使えない。
「……冗談キツすぎんだろ、あのクソガキ……」
アッシュは、軽すぎる本物の聖剣を握りしめ、青空の下で一人、悪態をついた。
偽物の太陽が、一切の泥を許されない『完全無欠の本物』を演じ切らなければ即死する。
誤魔化しの効かない極限の死地に立たされたアッシュは、重圧に冷や汗を流しながら、かつて本物が駆け抜けた絶望の戦場へと足を踏み出していく。
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