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第65話:暖炉の火と、凍りついた時計の針

 パチパチと、暖炉の薪が爆ぜる音がする。


 アッシュが重い瞼を開けると、そこはイルクの村の集会所だった。

 上半身は包帯でグルグル巻きにされ、特にガレスの双剣を噛み合わせた左肩には、分厚い薬草の湿布が当てられている。身じろぎするだけで、骨の髄から鈍い痛みが走った。


「……起きたわね、アッシュ」


 ベッドの傍らで、エレンが温かいスープの入った木杯を持ったまま、呆れたようにため息をついた。

 部屋の隅では、ベリンダが大盾のメンテナンスをしており、モルドレッドの姿はない。外から暇を持て余して雪だるまを粉砕しているらしい物騒な音が聞こえてくる。


「……あのクソガキはどうした」

 アッシュが身を起こそうと顔をしかめると、集会所の奥から、白髭の村長が申し訳なさそうに歩み寄ってきた。


「ガレス様なら、霊峰の中腹にある氷の神殿へと戻られました。……アッシュ様、本当に申し訳ねえ。ワシらが余計な口出しをしたせいで、貴方様にこんな大怪我を……」

「気にしてねえよ。むしろ、助かった」


 アッシュは包帯越しの左肩を擦り、短く息を吐いた。


「……ただ、不思議だったな。あいつは兄貴を狂ったように崇拝してるのに、なんでアンタら領民の言葉であっさり剣を引いたんだ? 普通の狂信者なら、邪魔する奴はまとめて斬り捨てるだろ」


 その疑問に、村長は深く、悲しそうな目を伏せた。


「……ガレス様にとって、本物のガウェイン様の『教え』は、この世界における絶対の法律だからです」


 村長は暖炉の火を見つめながら、静かに語り始めた。


「五年前。魔王軍の残党が数千の規模で押し寄せた時、この村を救ってくださったのは、本物のガウェイン様と……まだあどけなさの残る、ガレス様でした」


 村長の口から語られるのは、かつての円卓の兄妹の姿だった。

 ガウェインは、どれほど絶望的な状況でも決して笑顔を絶やさず、泥に塗れながら民衆の先頭に立って戦う、文字通り太陽のような男だった。

 そして妹のガレスは、そんな兄を誇りに思い、兄の隣で剣を振るうことを至上の喜びとする、純真で明るい少女だったという。


『――兄様! 見てください、私、兄様に教わった剣筋でオークを三匹も倒しました!』

『――がははっ! さすが俺の自慢の妹だ! だがなガレス、騎士の剣ってのは敵を倒すためにあるんじゃねえ。後ろで震えてる領民たちを護るための盾なんだ。それだけは忘れるなよ!』

『――はいっ! 兄様!!』


「……本当に、眩しいお二人でした」

 村長の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。


「ですが……その直後、ガウェイン様は死の心臓の防衛戦へ向かい、二度と帰ってはこられませんでした。……遺されたガレス様は、あの日から変わってしまわれたのです」


 兄の死を受け入れられなかったガレスは、王都の政治にも、教団の教義にも一切耳を貸さなくなった。

 ただ一人、北の霊峰に籠り、「兄様が命を懸けて護ったこの土地を、私が永遠に護り続ける」という強迫観念に取り憑かれたように、感情を凍らせて魔族を狩り続ける白銀の機械へと変貌してしまったのだという。


「ガレス様の中で、時間が止まっておるのです。……アッシュ様を激しく憎むのも、兄様の死という現実を突きつけられるのが、恐ろしいからなのかもしれませぬな」


 村長の言葉に、集会所は静まり返った。

 エレンもベリンダも、ただ無言で暖炉の火を見つめている。


「(……時間が、止まってる、か)」


 アッシュは、無意識のうちに自分の右腕――黒陽シリンダーに触れていた。

 兄の残した看板の巨大さに押し潰され、絶望のまま凍りついてしまった少女。

 理不尽に大切なものを奪われ、前に進めなくなってしまったその感情は、かつて辺境の村で魔王軍にすべてを焼かれ、ただ憎悪と無力感の中で立ち尽くしていた頃の自分と、どこかひどく似ている気がした。


「……村長。飯のおかわりはあるか」

 アッシュが、突然バサリと毛布を跳ね除けて立ち上がった。


「アッシュ!? まだ傷が……」

 エレンが止めるのも聞かず、アッシュは新しい太陽の外套を無造作に羽織り、背中に大剣を背負った。


「あいつが俺を殺しにくるのは、まあ分かる。俺はどこの馬の骨とも知れねえ泥棒だからな。……けどよ」


 アッシュは、暖炉の火を背にして、獰猛にニィッと笑った。


「死んだ兄貴の影法師を追いかけて、たった一人で雪山に引きこもってるなんざ……いくらなんでも、ダサすぎるだろ」

「アッシュ……」

「……俺はあいつの兄貴じゃねえ。だから、優しく慰めてやる気なんてこれっぽっちもねえよ。ただ……」


 アッシュは、左肩の包帯をギチリと締め直した。


「あの分厚い氷を力任せにカチ割って、無理やり前に進ませてやる。……それが、偽物が本物の太陽の看板を背負うための、最初の仕事だ」


 翌朝。

 猛吹雪が吹き荒れる北の霊峰へ向けて。

 傷を押して立ち上がったアッシュと、泥犬の従騎士たちは、ガレスの待つ氷の神殿へと、静かに、だが確かな熱を帯びた足取りで出発した。

第65話、お読みいただきありがとうございます。

理不尽な喪失で立ち止まってしまった少女。同じ絶望を知るアッシュだからこそ、その氷を叩き割る覚悟を決めます。


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