第61話:凍てつく聞く耳と、ゼロ距離の暴発
猛吹雪の吹き荒れる、北の辺境イルクの村。
その広場の中心で、時は凍りついていた。
アッシュの首筋、頸動脈の皮一枚のところに、ガレスの白銀の双剣がピタリと突きつけられている。
少しでも動けば、血飛沫が舞う。
「……兄様の剣を、そんな下品な構えで振るうな。この、泥棒が」
円卓第六位、ガレス。
中性的な美貌を持つ彼女の瞳には、一切の感情がなかった。あるのは、兄を汚されたことへの、絶対零度の静かなる殺意だけ。
「……ッ、待ちなさい! ガレス卿!」
凍りついた空気を破ったのは、エレンだった。
彼女はアッシュの窮地に顔を蒼白にしながらも、懐からアグラヴェインの署名が入った王室の親書を取り出し、ガレスに見せつけた。
「私たちは盗賊ではないわ! これは円卓第七位、アグラヴェイン卿からの正式な特命を記した親書よ! 私たちは、あなたの協力が必要で……」
「――アグラヴェイン?」
ガレスの眉が、ピクリと動いた。
「……ああ、あの陰険眼鏡ですか。王都の地下で、カビ臭い陰謀ばかり巡らせている」
ガレスは親書に視線を向けることすらしなかった。
彼女にとって、兄ガウェイン以外の円卓の騎士など、取るに足らない雑音でしかない。
「……兄様の名を騙る泥棒に、それを焚き付ける陰険眼鏡。……まとめて、凍りつけばいい」
ヒュンッ!!
風を切る音すら遅れて届くほどの、神速。
ガレスの手首が、エレンの動体視力すら完全に置き去りにして返された。
アッシュの首を狙っていた刃の一つが、今度は親書を持つエレンの手首を、紙ごと切り落とそうと閃いたのだ。
「エレンッ!!」
アッシュが吼えた。
「……へェ、面白ェ」
その少し後方。モルドレッドは、大剣の柄に手をかけたまま、ニヤニヤと凶悪な笑みを浮かべて動かなかった。
アッシュの首が飛ぶか、エレンの手が飛ぶか。この極上の見世物を、特等席で楽しむ構えだ。
だが、アッシュは違った。
相棒に刃が向けられた瞬間、彼の思考から「自分の首の安全」は完全に消え失せた。
「テメェ……人のツレに、何晒してやがる!!」
アッシュは、残ったもう一本の刃が自分の首に食い込むのも構わず、強引に体をねじ込んだ。
首筋の肉が裂け、熱い鮮血が猛吹雪の中に散る。
だが彼は止まらない。右腕の無骨な鉄塊――黒陽シリンダーの排熱口を、ガレスの美しく整った腹部の軽鎧に、ゼロ距離で押し当てたのだ。
「……なッ!?」
ガレスの動きが一瞬止まる。剣の間合いを完全に無視した、捨て身の超接近戦。
「下品で悪かったなッ……!!」
ドォォォォォォォンッ!!!!
アッシュがシリンダーの排熱弁を全開放した。
圧縮された熱風と強烈な衝撃波が、雪原の真ん中で爆発的に膨れ上がる。
炎を伴わない純粋な圧力の解放。だが、その規格外の推進力は、至近距離の雪を一瞬にして蒸発させ、分厚い雪のクレーターを穿った。
「きゃぁぁぁっ!?」
至近距離で爆風を浴びたガレスの小さな体が、木の葉のように吹き飛ばされ、数メートル先の雪山に突っ込んだ。
「……ぐ、ぅ……ッ!」
アッシュもまた、反動で後方へたたらを踏み、首筋からツーッと鮮血を流す。ガレスの刃がわずかに肉を裂いたのだ。
「アッシュ! 大丈夫!?」
エレンが駆け寄る。親書は無事だったが、肝心の相手が吹き飛んでしまった。
「……ああ、かすり傷だ。……それより、あのクソアマ、今の直撃で……」
アッシュが荒い息を吐きながら、雪煙の上がる方角を睨む。
ザッ、ザッ……。
猛吹雪の中から、ゆらりと影が立ち上がった。
「……最低です」
ガレスは、無傷だった。
アッシュのゼロ距離排熱を喰らった腹部の鎧は、純白の輝きを失い、黒く煤けてはいたが、彼女自身は涼しい顔で雪を払いのけていた。
円卓の騎士の装甲。生半可な熱量では傷一つつかない、絶対的な強者の防御力。
「兄様の剣技とは似ても似つかない、野蛮で、下品で、汚らわしい熱。……やはり、ただの泥棒ですね」
ガレスが、白銀の双剣を再び構える。
その構えは、先ほどまでの静かな殺意とは違っていた。
明確な「敵」として認識し、確実に息の根を止めるための、本気の戦闘態勢。
「……アッシュ、来るわよ! 彼女の『加速』は、円卓でも随一と言われているわ!」
エレンがレイピアを抜き、警告する。
「ケッ、上等だ……! あのツラした女には、ロクな思い出がねえんだよ!!」
吐き捨てた悪態の裏で。アッシュの脳裏に、かつて故郷の村で理不尽な炎に焼かれ、灰となって消えた『生意気な少女』の面影がほんの一瞬だけフラッシュバックする。
過去に囚われたままの、この意固地で不器用な純白の少女を、彼はどうしても放っておくことができなかった。
アッシュは首の血を無造作に拭うと、その不器用な優しさを隠すように獰猛に笑い、大剣を担ぎ直して黒陽シリンダーをギチギチと鳴らした。
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