第49話:白亜の聖杯と、影の撤退戦
「……次元が、違いすぎる……」
王都の地下水路、旧貯水槽の最深部。
分厚い石壁に叩きつけられたアッシュは、全身の骨が軋む激痛に顔を歪めながら、血を吐き捨てた。
すぐ横では、モルドレッドが「……クソが」と呻きながら、ギザギザの大剣を杖代わりにしてかろうじて膝をついている。
「アッシュ! モルドレッド!」
エレンとベリンダが駆け寄ろうとするが、彼女たちの足は濁った水の中で凍りついたように動かなかった。
円卓第十二位、ガラハッド。
彼が指先で白銀のロザリオを揺らすだけで、その純白の修道服から溢れ出す『白飛びするほど眩い光の重圧』が、空間そのものを押し潰すように四人を縫い留めていたのだ。
「かわいそうに。そのようなちっぽけな火の粉では、私の神聖なる光の壁にヒビ一つ入れることは叶わない」
ガラハッドは、ベール越しの冷たい瞳でアッシュを見下ろした。
「ですが、安心なさい。あなた方のその不完全な魂は、私がここで全て浄化し、神の御許へと送り届けてあげましょう」
ゆっくりと、ガラハッドがロザリオを掲げる。
先ほどアッシュたちを吹き飛ばした『聖杯の洗礼』。今度は威嚇ではなく、完全に彼らを消し炭にするための致死の光が、その先端に収束していく。
「……ふざけんな。俺の、火の粉は……まだ……!」
アッシュが、極限の激痛に耐えながら『黒陽シリンダー』を強引に持ち上げる。
装甲の隙間から、彼自身の皮膚を食い破るように呪いの黒い管が蠢き、危険な排熱音が鼓膜を突き破らんばかりに鳴り響く。右腕ごと自爆してでも、この理不尽な光を道連れにする。
ただの村人として這いつくばって生きてきた男の、最後の悪あがき。
だが、アッシュが臨界点の熱源を解放しようとした、その刹那だった。
カィィィィィィィィンッ!!!!
暗く淀んだ地下空間に、冷たく鋭利な『氷の刃』が何十本も降り注いだ。
それはアッシュを狙ったものではない。ガラハッドの展開する絶対的な光の障壁に、正確無比な角度で突き刺さり、耳障りな不協和音を響かせたのだ。
「……ほう」
ガラハッドが、初めてその手を止め、視線を暗闇へと向けた。
「そこまでにしておけ、狂信者。……私の貴重な手駒を、勝手に壊されては困る」
冷たく濁った水面に響く、規則正しい靴音。
暗闇の中から、一切の無駄を省いた白亜の軍服と、冷たく光る眼鏡をかけた男が姿を現した。
円卓第七位、知将アグラヴェイン。
「……アグラヴェイン卿。暗部のネズミ捕りが、自らこんな地下の底へ足を運ばれるとは」
ガラハッドが、ベールの奥で不快そうに目を細める。
「フン。自分の管轄の地下で、得体の知れない『光のキメラ』など飼われていれば、駆除しに来るのが筋というものだ。……それに、私は貴様のその『全てを見透かしたような目』が昔から気に食わなくてな」
アグラヴェインが、指先でチェスの駒を弾く。
瞬間、彼の背後に展開された無数の魔法陣から、白亜の冷気を纏った魔力刃が、ガラハッドの光の障壁へと一斉に掃射された。
ガガガガガガガガッ!!!
圧倒的な光の防御と、冷徹な氷の弾幕が激突し、地下空間が激しく震動する。
「無駄です。あなたの冷気では、私の光を貫くことはできない」
「だろうな。だが、貴様の『視界』を塞ぐことくらいはできる」
アグラヴェインが眼鏡を押し上げた瞬間。
ガラハッドの足元の影が、まるで意志を持った沼のように、音もなく急激に膨張した。
「(……影!? しまった……!)」
常に冷静なガラハッドが、初めて僅かに動揺を見せた。
アグラヴェインの弾幕は、ガラハッドを倒すためではない。その強烈な光を利用して、地下室に極端に濃い『死角』を作り出すための囮だったのだ。
「……仕事の時間だ、野犬共」
アッシュの耳元で、一切の感情を持たない平坦な声が響いた。
円卓第十位『影の騎士ガヘリス』。
アグラヴェインの弟にして暗部の最高戦力である彼は、いつの間にかアッシュたちの背後の影から半身を乗り出していた。
「な、何すんだテメェ!?」
アッシュが叫ぶ間もなく、ガヘリスは無言のままアッシュとモルドレッドの首根っこを掴み、さらにエレンとベリンダの腕を引いて、自分自身の『底なしの黒い影』の中へと強引に引きずり込んだ。
ズブゥンッ……!
四人の姿が、闇の中に完全に溶けて消滅する。
「……逃げられましたか。やはり、暗部のネズミはすばしっこい」
ガラハッドが光の障壁を解除し、ため息をついた。
彼の視線の先には、すでにアグラヴェインの姿もなく、ただ冷たいチェスの駒だけが水の上に転がっていた。
「まあ良いでしょう。あのような偽物、いつでも浄化できます。……それよりも今は、この『神の兵器』の完成を急がねば」
ガラハッドは、檻の中で脈打つ魔王軍の心臓の欠片に、静かにロザリオを向けた。
***
王都の郊外。人気のない薄暗い路地裏。
「ガァハッ……!! ゲホッ、ゴホッ!!」
黒い影が地面から吐き出されるように膨らみ、そこからアッシュたち四人が水まみれになって転がり出た。
すぐ横の石壁には、ガヘリスが音もなく立ち、少し遅れてアグラヴェインが冷たい足音と共に姿を現した。
「……ハァ、ハァ……。テメェら……」
アッシュが、全身の痛みに顔を歪めながら、右腕を押さえてアグラヴェインを睨みつける。
「命拾いしたな、番犬。もし私が数秒遅れていれば、貴様らはあの地下で骨も残らず浄化されていたぞ」
アグラヴェインは、汚れた眼鏡をハンカチで拭きながら冷たく言い放った。
「……ああ、そうだな。メガネ野郎」
アッシュは、今回は強がることも、右腕の火の粉を撒き散らすこともできなかった。
敗北。完全なる、手も足も出ない敗北感。
旧大陸で大魔将を退け、英雄として凱旋した。その慢心が、王都に潜む「本物の化け物」の前に、あっさりとへし折られたのだ。
「だが、これでネズミの親玉の尻尾は完全に掴んだ。……第十二位、ガラハッド。奴が教団と内通し、王都の地下で魔王軍の心臓を培養しているという、動かぬ証拠をな」
アグラヴェインの眼鏡が、月光を反射して鋭く光る。
「休んでいる暇はないぞ、偽物。奴らがアレを完成させれば、王都は内側から完全に崩壊する。……ここからは、我々によるキャメロット防衛の総力戦だ」
円卓の騎士という、理不尽なまでの『本物』の実力。
それを肌で感じ、叩き潰された敗北感は、アッシュの全身を鉛のように重くしていた。
だが、俯いたままの瞳の奥で、燻る火の粉は決して消えてはいない。
王都の地下で産声を上げようとしている純白の狂気を前に。焼け焦げた右腕を強く握り締め、アッシュは静かに立ち上がった。
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