第38話:死の心臓と、英雄の永遠の火刑
暗殺者たちを退け、王都への決別を確かなものとした『ガウェインの鉄靴』は、ついに旧大陸の最深部――空の色すらも失われた、完全な虚無の領域へと足を踏み入れた。
「……信じられない。こんな景色が、この世に存在するなんて」
甲板の先端に立ったエレンが、息を呑んで立ち尽くす。
アッシュも、モルドレッドでさえも、目の前に広がる『それ』を前にして言葉を失っていた。
巨大な、すり鉢状の絶望の谷底。
そこにあったのは、直径数キロメートルにも及ぶ『巨大な魔導の肉塊』だった。
周囲の大地と同化し、黒紫色の血管を地脈のように張り巡らせたそれは、ズドクン、ズドクンと、世界そのものを震わせるような重低音の鼓動を鳴らしている。
剥き出しの筋肉、腐敗した脂、そして無数の魔族の死骸が溶け合ったような、極めて醜悪で生々しい肉の塊。
これが、魔王軍の力の源であり、魔物を無限に生み出す泥の揺り籠――【死の心臓】。
だが、アッシュたちの視線を釘付けにしたのは、その肉塊の醜悪さではなかった。
「……見ろ。あんなグロテスクな肉塊の中心で、信じられねえくらい『綺麗な火』が燃えてやがる」
アッシュが、黒陽の右腕を庇うように握りしめながら呟く。
そう。その絶望的なほど巨大な心臓の『ド真ん中』には、一本の極太の【黄金の光の柱】が、巨大な杭のように深々と突き刺さっていたのだ。
ズドクン! と心臓が脈打ち、膨張しようとするたび。
黄金の光の柱が「カァァァァッ!」と神聖な熱波を放ち、肉塊の中心をジリジリと焼き焦がして、その活動を強引に停止させている。
醜悪な黒い肉と、圧倒的に純白な極光。
相容れない二つの暴力的な存在が、互いを喰らい合うように、この谷底で『永遠の拮抗』を続けていた。
「あれは……五年前に、ガウェイン様が放った『太陽の炎』……!?」
エレンが、震える手で口元を覆った。
「ああ、間違いねえ」
操舵室から出てきたガラムが、義手で煙草を強く握り潰した。
「ガウェインの奴は、五年前の大侵攻の時、一人でここまで辿り着きやがったんだ。だが……この【死の心臓】は、あのバケモノみたいな太陽の力をもってしても、完全に消し飛ばすことはできなかった」
ガラムの声が、苦渋に満ちて低く沈む。
「だからアイツは……自分の『魂』そのものを燃料にして、極大の炎の杭に変化させた。……この五年間、アイツの魂はずっとたった一人で、あの肉塊を燃やし続けていたんだよ」
その事実の重さに、アッシュの胸の奥がギリッと軋んだ。
雪山のクレーターで見た残滓など比ではない。
あの日、辺境の村で泥に這いつくばり、自分に呪籠手を託して死んだあの男。
彼は、魂をここに置き去りにしたまま、空っぽの『抜け殻』となって旧大陸を彷徨い続け……最期の最期まで、人類の希望を繋ごうとしていたのだ。
「……王都の連中は、これを知ってたのか?」
アッシュが、低く唸るように問う。
「さあな。だが、アグラヴェインの野郎がテメェら『偽物』をここに送り込んだ理由は明白だ」
ガラムが谷底を指差す。
見れば、心臓に突き刺さっている黄金の炎は、その根元から黒い泥のような瘴気に侵食され、今にもフッと消え入りそうなほどに『細く、弱く』なっていた。
五年間燃え続けた英雄の命が、ついに尽きようとしているのだ。
「あの炎が消えれば、心臓は完全な鼓動を取り戻し、魔王軍の『真の侵攻』が始まる。……だから王都は、テメェらを囮にして時間を稼ぎ、その間に本隊を送り込んで手柄を横取りする気だったんだろうぜ」
ズドクン、ズドクン。
心臓の鼓動が、太陽の炎が弱まるのに呼応して、徐々に大きく、速くなっていく。
今まさに、本物の英雄が命を懸けて守り抜いた『封印』が、破られようとしていた。
「……フンッ」
その時。アッシュが、静かに鼻で笑った。
そして、無言のまま要塞の甲板から身を乗り出し、眼下に広がる巨大な肉塊の谷底へと飛び降りようと腰を落とす。
「待ちなさいアッシュ! 何をする気!?」
エレンが慌ててその背中を掴もうとする。
「決まってんだろ」
振り返ったアッシュの顔に、悲壮感は微塵もなかった。
そこにあったのは、油と煤にまみれた、最高に泥臭くて獰猛な『ボイラー』の笑みだった。
「本物の太陽の火が消えかかってんなら……俺のこの『やかましい火の粉』を注いで、あの肉の塊ごと、全部燃やし尽くしてやるんだよ」
アッシュの右腕、『黒陽シリンダーVer.2』が、猛烈な駆動音を立てて熱を溜め込み始める。
本物が命を懸けて繋いだ、五年の猶予。
それを、ただの泥まみれの偽物が、骨が軋む重装甲と火の粉で『完成』させる。
いびつな泥犬たちの死の心臓への最終突撃が、破滅的な鼓動の中で幕を開ける。
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