第37話:這い寄る影鴉と、暴かれる火の粉
『ガウェインの鉄靴』の奥深く、医務室での静かな時間が流れていた、その時だった。
フッ……と。
部屋を照らしていたランタンの火が、風もないのに不自然に掻き消えた。
「……?」
エレンが眉をひそめる。
同時に、要塞全体に響いていた重厚な機関音が、まるで何かに首を絞められたかのように「ゴフッ、ガガガ……」と不規則に咳き込み、完全に沈黙した。
完全な暗闇。
そして、異常なほどの「無音」。
『――アッシュ! 小娘! 操舵室の動力が……ガァッ!?』
艦内通信の拡声器からガラムのダミ声が響いたが、それも何者かに断ち切られるようにプツリと途絶えた。
「ガラム殿!? ……アッシュ、ただの故障じゃないわ。何かが要塞の中に入り込んで……」
エレンが白銀の細剣を抜こうとした瞬間。
暗闇の奥、医務室の『壁の影』そのものが、ズルリと剥がれ落ちた。
音も、匂いも、殺気すらない。
それは、極端に細く、ノイズの走った歪な線画で描かれたような『黒装束の暗殺者』だった。
影の中から音もなく滑り出た薄刃の短剣が、暗闇に目が慣れていないエレンの細い首筋へと、一直線に吸い込まれていく。
「(……見えないッ!)」
エレンが咄嗟に身をよじるが、剣の軌道に間に合わない。
ガギィィィィンッ!!!
その薄刃を、横から割り込んだ『分厚く巨大な黒鉄の塊』が、火花を散らして強引に弾き飛ばした。
アッシュの新しい右腕、『黒陽シリンダーVer.2』だ。
「……テメェら。俺の治療中に、随分と無作法な真似をしてくれるじゃねえか」
暗闇の中、重傷のはずのアッシュが、ギチギチと右腕の関節を鳴らしながら立ち上がっていた。
暗殺者は舌打ち一つせず、ただ冷たく感情のない声で囁いた。
「……流石は、大魔将を退けた泥犬。だが、貴様らの役目はそこまでだ」
「あァ?」
影の中から、さらに複数の暗殺者たちが湧き出してくる。
彼らの胸元には、王都キャメロットの暗部を象徴する『三つ目の鴉』の紋章が刻まれていた。
アグラヴェイン直属の暗殺部隊、『影鴉』。
「……王の勅命は絶対だ。だが、アグラヴェイン卿は貴様ら『偽物』が最深部に到達し、生還することなど端から望んでおられない。魔王軍の戦力を削る『良き囮』としての役目は終わった。あとは名誉の戦死として、そこで静かに死ね」
エレンの顔から、スッと血の気が引いた。
「……王の神聖な勅命すら、あの男にとってはただの盤面の一部だというの……!」
エレンの声が、怒りと絶望で震える。
王の命令は本物だった。だが、冷血な知将はそれを隠れ蓑にし、アッシュたちを魔王軍の最も分厚い壁(大魔将)に激突させて消耗させ、用済みになった瞬間、自分たちの手の者で口を封じる。そして、本隊が安全に手柄だけをかっさらう。
それが、彼女がかつて命を懸けて守ろうとした『王都キャメロット』の真の姿だった。
「……最初から、私たちを殺すための……ッ!」
「――四の五のとうるせえぞ、コウモリ野郎」
絶望に染まりかけたエレンの声を、アッシュの野太い声が叩き斬った。
「大魔将だの、アグラヴェインだの……どいつもこいつも、俺たちを舐め腐りやがって」
アッシュは、全身の包帯から血を滲ませながら、右腕の極厚の装甲を暗闇の中でギリギリと鳴らした。
暗殺者たちは、薄笑いを浮かべて影の中に溶け込もうとする。彼らは音もなく、光もなく、ただ確実に急所だけを狙うプロフェッショナルだ。暗闇の閉鎖空間では、彼らに絶対の分がある。
だが、彼らは致命的な勘違いをしていた。
アッシュは、美しく静かな魔法を使う騎士ではない。
やかましく、泥臭く、周囲を巻き込んで暴走する『ただのボイラー』だということを。
「テメェらが影に隠れてコソコソすんなら……」
アッシュが、右腕の剥き出しになった太い『排気管』のロックを、全て物理的に叩き割った。
「俺が、力任せに『照明』をつけてやるよォォォッ!!!」
「排熱弁・全開ッ!!!!」
――ドバァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!
医務室の狭い空間で、圧倒的な爆発が起きた。
いや、炎ではない。アッシュの右腕から、極限まで圧縮されていた『黄金の火の粉』と『超高熱の白煙』が、狂ったような轟音と共に全方位に向かって撒き散らされたのだ。
「なッ……!? グアァァァァッ!?」
隠れる影など、一瞬で消し飛んだ。
部屋中が、目を焼くような眩い黄金色の火花と、むせ返るような重油の煙で完全に満たされる。
ノイズのように影に溶け込んでいた暗殺者たちは、超高熱の火の粉を全身に浴びて火ダルマになり、絶叫を上げて床を転げ回った。
暗殺者の命である「静寂」と「暗闇」が、アッシュの暴力的なまでの「騒音」と「閃光」によって、理不尽に塗り潰されたのだ。
「エレン! 影から炙り出された間抜け共だ! 串刺しにしろ!!」
「……ッ、ええ! 了解よ!」
アッシュの火の粉に照らされ、エレンの瞳に再び気高い光が宿る。
王都への未練は、今完全に断ち切られた。
彼女の白銀のレイピアが、明瞭に姿を現した暗殺者たちの急所を、次々と正確無比な軌道で貫いていく。
「クソッ……こんな、馬鹿げた力が……!」
生き残った最後の一人が、這いつくばって逃げようとした。
だがその背中を、アッシュの分厚い鉄靴が容赦なく踏み砕いた。
「あのメガネ野郎に伝言だ。……俺たちを殺したきゃ、影のネズミじゃなく、テメェらの自慢の『円卓のバケモノ共』を直接差し向けろってな」
アッシュは、赤熱した右腕で暗殺者の首根っこを掴み上げ、そのまま壁ごと外の荒野に向かってブン投げた。
「シューゥゥゥゥ……ッ」
火の粉と白煙が晴れる。
壁に大穴の空いた医務室で、アッシュは咳き込みながら、獰猛な笑みを浮かべていた。
「まったく……次から次へと、息つく暇もねえな」
「……貴方のその、デタラメな解決方法には、本当に呆れるわ」
エレンもまた、煤で顔を汚しながら、どこか憑き物が落ちたようにフッと笑った。
魔王軍との死闘、そして王都からの冷酷な裏切り。
前門の虎、後門の狼。
だが、偽物の英雄と銀の従騎士は、もはやどんな絶望が相手でも、決してその足を止めるつもりはなかった。
第37話、お読みいただきありがとうございます。
暗闇を吹き飛ばす泥臭い閃光。王都の陰謀にも、二人はもう揺るぎません。
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