第25話:泥濘を穿つ白銀と、空を裂く黄金の牙
「……クソッ! 腕が焼け切れるッ!」
紫黒色の引火性ガスが立ち込める腐海の森。
アッシュは右腕の『黒陽シリンダー』の排熱弁を完全に閉じ、内部で暴れ狂う超高温の蒸気を必死に抑え込んでいた。
骨に打ち込まれたボルトがミシミシと悲鳴を上げ、皮膚が内側から赤く焼け焦げていく。
ここで火の粉を散らせば、ガスに引火して移動要塞ごと全員が消し飛ぶ。最大の武器を封じられたアッシュは、大剣の「純粋な鉄の質量」だけで防戦するしかない。
「あははっ! どうしたの偽物さん! さっきまでの威勢はどこに行ったの!」
要塞の煙突の上で、屍姫が無邪気に笑う。
彼女の細い腕が、身の丈の倍はある巨大な大鎌を軽々と振り回す。その無骨で錆びついた質量の暴力が、エレンの白銀の細剣を何度も弾き飛ばそうとしていた。
「(……なんてデタラメな腕力。まともに受ければ、私の剣ごと叩き折られる)」
エレンは毒の泥を避けながら、極限の集中力でネクロの大鎌の軌道を見極めていた。
どんなに膂力があろうと、武器が巨大であればあるほど、振り抜いた後に必ず「遠心力に体が持っていかれる一瞬の隙」が生まれる。
「……ワンちゃんの方も、そろそろペチャンコかしら?」
ネクロが、下でボールスと殴り合っているモルドレッドに視線を向け、大鎌を大きく上段へ振りかぶった。
その、ほんのコンマ一秒の視線のブレ。
エレンの気高く澄んだ瞳が、細く鋭い知略の光を帯びた。
「――よそ見をしているのは、貴様の方よッ!!」
エレンが甲板を蹴る。
振り下ろされる巨大な大鎌の軌道を、白銀のレイピアで「受ける」のではなく、側面から「滑らせる」ようにして受け流す。
大鎌の凄まじい遠心力がネクロ自身の体勢を崩した瞬間、エレンは無防備になった屍姫の胸ぐらを掴み、要塞の煙突から毒沼スレスレの空中へと強引に投げ飛ばした。
「えッ……!?」
空中で体勢を崩すネクロ。
エレンがアッシュに向かって叫ぶ。
「アッシュ! 今よ!!」
「(……今って言われても、ここでは火が噴けねえッ!!)」
アッシュが激痛の走る右腕を抱えて歯を食いしばった、その時。
毒沼で泥まみれになりながらボールスの鉄槌を受け止めていたモルドレッドと、甲板のアッシュの視線が、偶然バチリと交差した。
『ガスが充満してるのは、沼の近くの低空だけだ』
二人の頭の悪い狂犬たちは、一切の言葉を交わすことなく、その「最高に馬鹿げた力技の結論」を瞬時に共有し、同時に獰猛な牙を剥いて笑った。
「なら、空の彼方で爆発させりゃあいいんだろォがッ!!」
モルドレッドが、防御を完全に捨てた。
ボールスの巨大な鉄槌が彼の左肩を浅く砕くが、狂犬はその痛みを起爆剤にして、ギザギザの大剣を「下から上へ」、まるでゴルフのフルスイングのようにカチ上げた。
ガギィィィィィィィィンッ!!!!
「ギャハハハハッ!! 飛べよデカブツ!!」
純粋な暴力のフルスイング。円卓の亡骸であるボールスの3メートル近い巨体が、足場の泥ごとすくい上げられ、ガス層を突き抜けて遥か上空へと打ち上げられる。
「なッ……『鉄の騎士様』!?」
落下途中だったネクロが目を丸くした。
「俺も行くぜッ!!」
アッシュが、極限まで熱を溜め込んだ右腕を、甲板の床に向けた。
火の粉は出さない。排熱弁を絞ったまま、純粋な『空気圧』だけを全力で床に叩きつける。
ドバァァァンッ!!
要塞の甲板がクレーター状に陥没し、その圧倒的な反発力で、アッシュの体が弾丸のように空高く射出された。
空中で、投げ出されたネクロと、打ち上げられたボールス。
その二つの標的が重なる、ガスが届かない遥か上空の「安全圏」へ、アッシュが到達する。
眼下には、紫黒色に淀む絶望の毒沼。
だがアッシュの瞳には、一切の迷いはない。
「さんざん我慢させやがって……! ボイラーの底が、抜けちまうだろうがッ!!」
限界まで骨を軋ませていた右腕のロックを、全て解除する。
溜め込みに溜め込んだ超高温の熱量が、大剣の刃の先端へ一気に収束していく。
「消し飛びなァ!! 『蒸気の牙』ッ!!!」
――カァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!
腐海の森の分厚い暗雲を吹き飛ばす、巨大な黄金の超新星爆発。
空中で放たれた極太の高圧蒸気が、亡骸であるボールスの分厚い装甲を紙屑のように粉砕し、その背後にいたネクロごと、圧倒的な熱量で飲み込んだ。
下弦のドス黒い泥沼と、上空で弾け飛ぶ黄金の太い火花。
「あ……ぁ……私の、コレクションが……」
蒸気に焼かれながら、ネクロがボロボロになったドレスを翻して沼の奥深くへと落下していく。
「シューゥゥゥゥ……!」
ズダンッ! と重い音を立てて要塞の甲板に着地したアッシュは、全身から白い蒸気を上げながら、黒煙を上げるシリンダーを誇らしげに空へ突き上げた。
引火性のガスは、一切燃えていない。
「ギャハハハハッ!! 最高だぜテメェら! 馬鹿みたいにデカい花火だったなぁ!」
泥だらけのモルドレッドが腹を抱えて大笑いし、エレンは「……寿命が、また縮んだわ」と、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
知略でもなく、魔法でもない。
極限の技術と、最高に頭の悪い暴力の融合によって、いびつな泥犬たちは魔王軍の幹部を退け、腐海の森の泥濘を強引に突破してみせた。
だが、彼らが安堵の息をつく暇は、この地獄の旧大陸には残されていない。
毒沼を抜けた要塞のキャタピラが次に踏み入れたのは、これまでの絶望すら生ぬるく感じるほどの、底知れぬ漆黒の荒野――本物の大魔将が待ち受ける、真の死地であった。
第25話、お読みいただきありがとうございます。
とある騎士は、拳一つで山を砕き、大地を揺らす、という逸話を持っていた。
しかし、それが可能なのは誰かと一緒にいるときだけだという噂もあった。
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