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第19話:敗者の矜持と、空座からの拍手

「シューゥゥゥゥ……」


 アッシュの右腕から吹き上がる黄金の残煙(けむり)が、白亜の法廷の天井へと立ち昇っていく。

 砕け散った大理石の柱の根元。血に濡れた純白の軍服を纏うアグラヴェインが、ゆっくりと身を起こした。


 十本の指先から垂れていた不可視の銀糸(ワイヤー)は、全て先ほどの熱で焼き切られ、彼の両手は深い火傷を負っている。

 だが、アグラヴェインの顔に、見苦しい怒りや狼狽の色は一切なかった。

 彼は無残に裂けた手袋を静かに脱ぎ捨てると、乱れた長い黒髪をかき上げ、氷点下の紫電の瞳でアッシュを真っ直ぐに見据えた。


「……私の、負けだ」


 静かな、しかし法廷全体によく通る声だった。

 周囲の騎士たちがざわめく中、アグラヴェインは己の血で汚れた口元を拭い、薄く、冷たい微笑みを浮かべる。


神明裁判(デュエル)は結審した。王都の絶対法が、貴様の武威(チカラ)を『真実』と認めたのだ。……見事な一撃であった、偉大なるガウェイン卿」


 それは嫌味ではない。

 法と秩序(システム)を絶対視する彼にとって、己が定めたルールの枠内で敗北した以上、相手の正当性を認めることこそが『鉄の処刑人』としての最大の矜持(プライド)だった。

 どれほど泥臭く、油と鉄錆の悪臭が漂う男であろうと、法が認めた以上は円卓の同胞として扱う。その冷徹なまでの潔さに、アッシュは逆に背筋が寒くなるのを感じた。


(……底が知れねえ。こいつは、王都のルールのためなら、自分の命すら盤面(ゲーム)の駒の一つでしかねえんだ)


 アッシュが大剣を下ろし、拘束を解かれたエレンが駆け寄ろうとした、まさにその時。


 パチ、パチ、パチ。


 静まり返った法廷の最奥。

 誰も座っていないはずの『黄金の玉座』の裏側から、ひどく乾いた、無機質な拍手の音が響き渡った。


「な……ッ!?」

 アッシュが咄嗟に『黒陽シリンダー』を構え直す。


 アグラヴェインを筆頭に、法廷にいた全騎士が一斉にその場に跪き、頭を深く垂れた。エレンもまた、顔面を蒼白にして床に膝をつく。

 立っているのは、アッシュただ一人。


 玉座の裏から現れたのは、顔の半分を異様な仮面で隠した『王の代弁者』だった。

 だが、その代弁者の口から発せられたのは、人間のものではない。底なし沼のように重く、そして甘ったるい『王の肉声(まりょく)』そのものだった。


『――素晴らしい。実に見事な余興であった、我らが太陽よ』


 声が響いた瞬間。

 法廷の空気が物理的な重量(プレッシャー)を持って、アッシュの両肩にのしかかった。


「ガ、ァ……ッ!」

 骨が軋む。シリンダーの熱が、見えない圧力によって無理やり抑え込まれる。

 なんだ、これは。ランスロットの時のような「澄み切った強さ」ではない。ただ純粋に、生物としての格が違う、圧倒的な『恐怖』。


『卿がこれほどまでに荒々しく、力強い炎として生まれ変わったこと、王として心から嬉しく思う。……ならば、その新しき牙、我がために振るうが良い』


 仮面の道化が、一枚の黒い封蝋が押された羊皮紙を、ふわりとアッシュの足元へと投げ落とした。


『これより卿に、魔王軍が支配する旧大陸の最深部――【死の心臓】の単独偵察、および破壊を命ずる。……卿のその美しい火の粉で、我が箱庭の憂いを払いたまえ』


 それは、暗に「お前が死ぬまで地獄の最前線で使い潰す」という、笑顔の死刑宣告に他ならなかった。

 仮面の道化は一礼すると、再び黄金の玉座の影へと溶けるように消えていく。


 残されたのは、圧倒的な重圧から解放され、脂汗を流して荒い息を吐くアッシュと、平伏したまま微動だにしない円卓の騎士たち。

 そして、血に塗れたアグラヴェインだけが、顔を上げずに冷たく呟いた。


「……王命が下った。直ちに出立の準備をしたまえ、ガウェイン卿。これより先、王都ここに卿の休む場所はない」


 アグラヴェインの謀略は打ち砕いた。しかし、その先に待っていたのは、見えない王というさらに巨大な絶望。

 アッシュは足元に落ちた黒い勅命書を踏みつけながら、ただ獰猛に、王都の天井を睨みつけて牙を剥いた。


 偽りの英雄の休みなき戦いは、息つく暇すら与えられず。いよいよ魔王軍の最も深く、暗い死地――旧大陸の最深部へと向けられることとなる。

 ……だが、その絶望的な自殺旅行(デス・ツアー)の道連れに、一番空気を読まない『同類(ダチ)』が勝手についてくるとは、この時の泥犬たちは知る由もなかった。

第19話、お読みいただきありがとうございます。

王命は、絶対。


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