第18話:血塗られた一歩と、白亜を砕く蒸気の牙
「どうした、偽物。得意の『熱』で無様に暴れ回ってみせろ。……それとも、己の死を前にして足がすくんだか?」
白亜の法廷。知将が張り巡らせた見えない死の檻の中で、アグラヴェインが冷笑する。
一歩でも踏み出せば肉が削がれ、無闇に大剣を振れば自分の首が飛ぶ。アグラヴェインの指先が支配する、完全な死の領域。
だが、アッシュは動かない。右腕の『黒陽シリンダー』からは、威嚇するような蒸気一つ上がっていなかった。完全に排熱弁を閉じ、暴れ狂う熱を自らの骨と肉の中に封じ込めているのだ。
(……見えねえ。見えねえなら、殺意の『匂い』を嗅ぎ分けろ)
アッシュは目を細め、呼吸を深く、静かに落とした。
脳裏に蘇るのは、路地裏で狂ったように大剣を振り下ろしてきたモルドレッドの姿。あの狂犬の理不尽な暴力に比べれば、アグラヴェインの放つ殺意は、あまりにも『理路整然』としすぎている。
「……行くぞ」
アッシュが、一歩、踏み出した。
シュガァッ!!
見えない銀糸がアッシュの左肩の肉を浅く裂き、白亜の床に赤い血飛沫が散る。
法廷の騎士たちが息を呑む中。アッシュは顔色一つ変えずに、二歩目を踏み出した。
「馬鹿な……自殺志願者か?」
アグラヴェインの指先が、微かに弾かれる。
今度はアッシュの右腿、そして脇腹から同時に鮮血が吹き出した。
痛い。だが、致命傷ではない!
エレンに徹底的に叩き込まれた『完璧な足幅と体幹の重心移動』。
アッシュは、自分の肉が切られる感触と、モルドレッドとの死闘で培った『殺気の出どころ』を本能で結びつけ、不可視の糸の『隙間』を縫うように、極小の動作ですり抜けていく。
「(……熱に頼っていないだと!? この泥棒が、いつの間にこれほどの『剣士の歩法』を!)」
アグラヴェインの完璧な冷笑に、初めて『焦り』の亀裂が走った。
ただの力任せのボイラーだと思っていた男が。血みどろになりながらも、確かな『技術』を持って、自分の絶対領域を侵食してくる。
「舐めるなッ!!」
アグラヴェインが、両手の十指を激しく交差させる。
網の目を狭め、逃げ場のない完全な『断頭の糸』が、アッシュの首元へ迫る。
激突まで、残り一歩。
アッシュの全身はすでに無数の裂傷から血を流し、青い外套はボロボロに引き裂かれていた。
だが、その血に塗れた顔に浮かんでいたのは――獰猛な、歓喜の笑みだった。
「……捕まえたぜ、陰険野郎」
踏み込みの、最終到達点。
アグラヴェインの懐、その完璧な石鹸の香りがする至近距離に、泥と血と鉄錆の匂いを纏ったアッシュが潜り込んだ。
そして。
ここまで一滴の蒸気も出さず、極限まで右腕の籠手の中に圧縮し続けてきた『致死量の熱』。
骨が砕けるほどの激痛に耐え、溜め込んだその全エネルギーを、大剣の刃の先端へと一気に解放する。
「消し飛びなァッ!! 『蒸気の牙』ッ!!!」
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
白亜の法廷を、圧倒的な爆発音と黄金の閃光が飲み込んだ。
アグラヴェインが咄嗟に防御のために束ねた数十本の強靭な銀糸が、超高圧の蒸気と質量を持った大剣の一撃によって、悲鳴を上げる間もなく「パァンッ!」と弾け飛ぶ。
「ガ、ァァァァァッ!?」
鋼の糸を力任せに粉砕された衝撃と、黄金の熱波。
『鉄の処刑人』の華奢な体が、木の葉のように吹き飛ばされ、法廷の巨大な大理石の柱に激突して崩れ落ちた。
「シューゥゥゥゥ……」
濛々たる黄金の蒸気が晴れた後。
そこには、全身から血を流しながらも、赤熱した黒鉄の右腕を高く掲げ、大剣を地に突き立てて立つアッシュの姿があった。
「神明裁判は……俺の勝ちだ。文句、あるか?」
荒い息を吐きながら、アッシュが法廷の騎士たち、そして崩れ落ちたアグラヴェインを睨みつける。
誰一人として、言葉を発する者はいなかった。
その泥臭く、不格好で、しかし圧倒的な執念と技術に裏打ちされた一撃は、王都の法すらも黙らせる『本物の武威』そのものだったからだ。
「……アッシュ……!」
拘束を解かれたエレンが、胃を押さえるのも忘れて、涙ぐみながらアッシュの血まみれの背中を見つめていた。
白亜の王都に。
偽りの英雄が初めて自らの実力で「己の居場所」を叩き割ってこじ開けた、劇的な決着。
だが、その勝利の余韻に浸る暇もなく。静まり返った法廷の最奥、誰も座っていないはずの『黄金の玉座』の裏側から、ひどく無機質で不気味な拍手の音が鳴り響こうとしていた。
第18話、お読みいただきありがとうございます。
アッシュがアグラヴェインの強さを超えたわけでは、決してない。
ただ、今この瞬間だけはアッシュがつよかった、それだけ。
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