第21話 過去の意味
自分の部屋のドアをガチャリと開けてから、後ろを振り返る。
「ほれ」
「あー……えっと、お邪魔します」
平然とした声音でそう言った彼女だが、その表情はどこか硬い。ホラー映画を前に痩せ我慢していた時を思い出す。
まあ、一人暮らしの男の部屋に上がるのに警戒するなという方が無理な話なので、一々指摘はしない。ただ、料理を始めるまでには多少は慣れてほしい。
廊下を抜けてリビングに入ると、水無月はキョロキョロと部屋の中を見渡す。
「そんなに見ても、所詮は同じ部屋だぞ」
「それは分かってるよ。ただ、同じ間取りでもこんなに雰囲気が違うんだなぁと思って」
私物はほとんど自室に保管しているため、リビングはそれほど物が多くなく、まず一般的なサイズのソファと付随するテーブル。その前にはテレビと大きめのテレビ台があり、必要な小物はそこに収納している。
他に目立つものというと、高さのある本棚くらいだろうか。中身の大半は父さんからの預かり物が占めている。
物が少ないとはいえ、イコール部屋が綺麗というわけでもなく、歩ける場所がないほどではないにせよ、床には多少物が落ちているし、テーブルの上もごちゃごちゃしている。
「なんか、思ったより普通だね」
「普通って、逆に何を期待してたんだよ」
「めっちゃ丁寧に整理整頓されてる感じを想像してた」
「ああ、家事が出来るからってか? 悪いが、部屋の綺麗さは性格の方が反映されるぞ」
「なるほど。そう言われてみると納得」
やろうと思えばかなり綺麗にできる自信はあるが、そもそも部屋が多少汚くても気にならない性分なのだ。
歩く場所がないだとか、匂いがキツいだとか、そういう実害があるものは別にして、見栄えが悪いだけならどうでもいい。
とはいえ、来客があるのだからもう少し片付けておくべきだったか。
ひとまず買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込んでからリビングに戻ると、水無月は顎に手を当てながら本棚を眺めていた。何気ない仕草なのに、どこか絵になっている。
やがて、水無月は一冊の本に手を伸ばす。
その先にあるのは……なんとラノベだ。
しかし、彼女は俺の姿に気がつくと、「わっ」と声を上げながら伸ばしていた手をひょいと引っ込める。そして、無実をアピールするかのように両腕を上げた。
「いや、なんで万引きがバレた時みたいなリアクションなんだよ」
「……なんとなく?」
なんだそれ。いつになく挙動不審だったぞ。
「にしても意外だな。ラノベとか読むのか」
「あ、やっぱりバレてたか。……まあ、読むっちゃ読むけど、せいぜい嗜む程度だよ。気に入ったアニメの原作だけ追うみたいな」
「……思ったより普通にオタクしてるな」
アニメだけでなく原作まで追っている時点で、彼女も立派なオタクと言っていい。
むしろ、俺や父さんのようにアニメ化していないラノベもゴリゴリに追っているオタクの方が珍しいはずだ。
「藤咲くんこそ、意外とこういうラブコメとか読むんだ。恋愛とか全然興味無さそうなのに」
「……水無月からどう見えてるかは知らないが、普通に興味くらいあるぞ。なんならラブコメが一番好きなまである」
まあ、だからといって実際に現実でそういう恋愛をしてみたいかと言われると、また話は変わってくるわけだが。
「へぇ……なんか、ちょっと安心したよ」
「安心?」
「うん。意外と普通の男子高校生っぽいところもあるんだなって」
「……言っておくが、俺はお前が思ってるほど大人じゃないぞ。家事が一通り出来るのも、そうせざるを得ない環境だっただけで……」
そこまで言って、俺は言葉を止める。それ以上自分のことを語るのは野暮だと思ったからだ。
「あー、この前言ってた親が忙しいって話?」
意図的かは分からないが、水無月は言い淀んだ俺をフォローするかのようにそう言った。
その問いかけに乗って首を縦に振ろうするその寸前に……ふと思った。
別に、水無月はもうただの他人というわけでもないし、彼女に変に気を遣わせ続けるくらいなら、この場で言ってしまっても良いのではないだろうか。
俺自身、母親のことについて未だに引きずっているわけでもないし、むしろ濁すことで変に重い事情があると勘違いされる方が困る。
……そんな風に考えた結果、俺は正直に打ち明けることにした。
「いや、そうじゃなくて……俺が小四の時に両親が離婚してな。それ以来ずっと父さんと二人暮らしだったんだ」
そう告げると、水無月は目を丸くする。その瞳に困惑の色が映っているのを見て若干後悔するも、俺はそのまま続けた。
「親が忙しかったってのも嘘じゃない。実際、俺を養うために一人で稼いでくれていた父さんに家事をする余裕なんてなかったからな。俺がやるしかなかったってわけだ」
「……そう、なんだ。……ていうか、そんな大事なこと、私なんかに話しちゃって大丈夫?」
「これから料理を教えていくんだし、完全に無関係ってわけでもないだろ? その時に変に気にされるくらいなら、先に言っておいた方がマシだと思ってな」
「……まあ、君が気にしてないんだったら別に良いけどさ」
それにしたってあっさりしすぎじゃない? と、水無月は呆れたようにため息をついた。
自分でも冷淡だと思うことは稀にある。
でも、もうかれこれ五年以上前の話だ。
それに、俺は後から事実を知らされただけで、二人の間にどういったやり取りがあったのかまでは知らない。
二人が離婚したこと。母さんの不倫が原因であること。俺が聞いたのはそれだけ。
なんで母さんは……? そもそもいつから……? 相手は? などと俺がいくら尋ねても、父さんがそれ以上口を開くことはなかった。
今に思えば、どうか自分達のことなんて気にせずに生きてほしいという、父さんなりの優しさだったのかもしれない。
けれど、当時の俺にはそれがかえって良くなかったのだ。
家族への疑心がきっかけとなり、他者への不信感を少しずつ募らせていった結果、俺は一度完全に孤独になることを選んだ。
今でこそ黒歴史だと自虐しているものの、思えばあれも必要な過程だったのだろう。
ひたすら自分の内面と向き合うしかなかったあの時間があったからこそ、今の俺は冷静に振り返ることが出来ている。
とはいえ、他人との接し方に関しては、まだ自分の中で割り切れてない部分も多い。いやまあ、つい最近変え始めたばかりのことなので当然だが。
人を完全に信じきることも、逆に全てにおいて疑うことも良くないと、すでに嫌と言うほど思い知った。
では、どこまで信じていいのか。どこまで自分の心を預けてもいいのか。
その塩梅を、俺は未だに掴めきれずにいる。皮肉なことに、解を出すにはあまりにも経験が足りない。
そんな思考に浸っていると、水無月がふと口を開いた。
「でも、そっか……やっぱり凄いね、君は」
「え?」
「だって、お母さんがいなくなってからずっと一人でやってきたんでしょ? 教えてくれる相手もいない中で」
「いや、それは……前も言っただろ。そうせざるを得ない環境だっただけだって」
「それでも頑張ったことは事実じゃん。それは私が保証するよ。だって、君の料理死ぬほど美味しいし」
「……そうか」
俺が頑張った、か。
今でこそ料理は趣味の一つと言えるほど好きだが、そんなことを考えたことは一度も無かった。
ただ、俺がやらなければならないこととして淡々とこなしていくうちに、その先に面白さを見出すことができただけ。
父さんが美味しいと褒めてくれることはあっても、俺は頑張った、と自分自身を褒めてやったことは、なかったかもしれない……。
「うん。だから、私も頑張らないとね! 藤咲くんの一番弟子として」
「……はっ、そうだな。俺に教わるからには、最低でもいっぱしの主婦レベルには成ってもらわないと困る」
「え、そう言われるとハードル高いな」
さっきまでやる気ありげにグッと拳を握っていたのに、急に現実に戻ったように大人しくなった水無月に、思わず笑みがこぼれる。
「冗談だ。俺は雇われた身だからな。お前が満足いくところまででいい」
「……いや、折角なら成ってみせますよ、一人前の主婦。元はと言えば、これは花嫁修業だからね」
「ははっ、そういえばそうだったな」
人との関わり方なんて、結局分からないことだらけだ。
誰をどこまで信じていいのかなんて、本当にはっきりとした答えが見つかることはないかもしれない。
だが……やはり彼女には敵わないな。本当に。




