第1話「曾祖母の残したノート」
登場人物紹介
斉藤 由紀/28歳
本作の主人公。動物の細胞を研究する研究者。
百年以上前に感染症を広めた罪で処刑された黒田理沙の曾孫。
幼い頃に見つけた曾祖母の研究ノートをきっかけに、過去の事件に疑問を抱く。
真相を確かめるため、かつて曾祖母が働いていた研究所に就職する。
斉藤 直人/27歳
由紀の夫で、獣医。
由紀とは幼馴染で、幼い頃から一緒に動物の世話をして育った。
由紀のよき理解者であり、動物に関する専門知識を生かして彼女の調査に協力する。
水野 圭一/33歳
由紀が勤める研究所の研究員で、直属の上司。
穏やかで親切な性格で、研究所の仕事に慣れない由紀をサポートする。
百年以上前の研究所の歴史についても詳しい。
黒田 理沙
由紀の曾祖母。百年以上前に動物の細胞に関する研究を行っていた研究者。
感染症を広め、食糧危機を引き起こした罪で処刑された。
しかし、遺された研究ノートには、動物の命を救おうとしていたことを思わせる記述が残されている。
由紀の祖母
黒田理沙について、家族から伝え聞いた話を知る人物。
理沙の遺品を大切に保管しており、由紀が過去の事件を調べるうえで重要な手がかりを与える。
この世界の主食は、昆虫だ。
かつて人々の食卓に並んでいた肉や魚は、今では食べられなくなっている。
牛、豚、鶏、そして。
それらが食卓から姿を消したのは、百年以上前のことだった。
当時、家畜や養殖魚の間で危険なウイルスや寄生虫による感染症が発生した。
感染症は瞬く間に広がり、食肉や魚介類の供給が停止した。
国民は深刻な食糧難に陥った。
政府は代替食品として昆虫食を普及させ、現在の食文化が形成されたという。
そして、その感染症を引き起こしたとされる人物が、私の曾祖母だった。
黒田理沙。
かつて動物の細胞について研究していた女性だ。
曾祖母は、研究に使用していたウイルスや寄生虫を家畜や養殖魚に意図的にばらまき、感染症を引き起こしたとされている。
その結果、国民から肉や魚を奪い、深刻な食糧難を招いた罪で処刑された。
私がその事実を知ったのは、小学生の頃だった。
「お前の曾祖母、犯罪者なんだろ?」
同級生の男子にそう言われた。
「みんなが肉とか魚を食べられなくなったの、そいつが感染症を広めたせいなんだってな」
「違うもん!」
私は言い返した。
「犯罪者の子孫!」
そう呼ばれることもあった。
私が廊下を歩くと、わざと避ける子もいた。
「ウイルスうつるんじゃね?」
そんなことを言われた日もあった。
そんな時、いつも助けてくれたのが直人だった。
「おい、やめろよ」
直人は私の前に立った。
「だって、こいつの曾祖母が悪いんだろ?」
「由紀が何かしたのかよ」
「してないけど」
「だったら由紀に言うなよ!」
直人がそう言うと、男子たちは面白くなさそうに立ち去った。
「……ありがとう」
「気にすんなって」
直人はいつものように笑った。
斉藤直人。
私より一つ年下の幼馴染だ。
直人の家では、昔から犬や猫を数匹飼っていた。
私は小さい頃から、よく遊びに行っていた。
学校が終わると、ランドセルを背負ったまま直人の家へ向かう。
「直人ー!」
玄関から声をかけると、奥から直人が顔を出した。
「由紀、また来たの?」
「またって何よ。遊びに来ちゃダメなの?」
「昨日も来たじゃん」
「今日も遊びたいんだもん!」
すると、直人の足元から一匹の犬が飛び出してきた。
「あっ!」
私はしゃがんで、駆け寄ってきた犬を撫でた。
「今日も元気だね!」
犬は嬉しそうに尻尾を振っている。
「さっきまで寝てたのに」
直人は笑った。
窓際では猫が日向ぼっこをしていて、お気に入りのクッションでは別の犬が眠っていた。
「ねえ、直人。この子、どこにいるの?」
「ソファーの下じゃない?」
二人で床にしゃがみ、ソファーの下をのぞき込む。
「あっ、いた!」
猫は私たちを見ると、ゆっくりと出てきた。
「かわいい!」
私はそっと背中を撫でた。
ある日、飼っている犬が食欲をなくしたことがあった。
「……大丈夫かな」
直人は犬のそばに座り、心配そうに顔をのぞき込んでいた。
「病院に連れていくんでしょ?」
「うん。お母さんが連れていくって」
「きっと元気になるよ」
「……うん」
直人は犬の頭を優しく撫でた。
「早く元気になってね」
私にとって、直人の家は学校よりもずっと居心地のいい場所だった。
直人は、私の曾祖母のことで何かを言ったりしなかった。
いつも、ただの由紀として接してくれた。
だから私は、直人と一緒にいる時間が大好きだった。
*
曾祖母について、私はずっと疑問を抱いていた。
なぜ、家畜や魚に感染症を広めたのだろう。
動物の研究をしていた人が、どうして多くの人を苦しめるようなことをしたのだろう。
家族に尋ねたこともあった。
けれど、詳しいことを知っている人はいなかった。
分かっているのは、曾祖母が研究者だったこと。
感染症を引き起こした罪で処刑されたということだけだった。
そんなある日のこと。
私は家の使われていない部屋で、古い荷物を整理する手伝いをしていた。
棚には、長い間誰も触れていないような箱や書類が積まれていた。
埃を払いながら整理していると、棚の奥に一冊のノートが挟まっているのを見つけた。
「……何だろう?」
表紙は茶色く変色し、角が擦り切れていた。
開いてみると、細かな文字がびっしりと書かれている。
難しい言葉ばかりで、ほとんど意味が分からなかった。
けれど、ページをめくっているうちに、一つの名前が目に入った。
『黒田理沙』
「……えっ? 直人に見せに行かなきゃ!」
その日の夕方。
私はノートを抱えて、直人の家へ走った。
「直人!」
玄関から声をかけると、直人が顔を出した。
「どうしたの?」
「これ、見て!」
私は古いノートを差し出した。
「何これ?」
「曾祖母のノート!」
「えっ?」
直人は驚いた顔をした。
「由紀の曾祖母って……」
「うん。黒田理沙」
表紙には題名も何も書かれていない。
直人はノートを受け取り、ページを開いた。
「……漢字ばっかり」
「でしょ? 全然読めないの」
「何が書いてあるの?」
「分かんない。でも、牛とか豚とか書いてあるんだよ」
「本当だ」
直人はノートをのぞき込んだ。
「動物の研究をしてたのかな?」
私はノートに目を落とした。
『損傷した細胞を再生させるには』
そんな言葉が書かれていた。
「うん。もしかしたら、動物を助けたかったのかも」
「どうして?」
「……分かんない」
私は少し考えた。
「でも、そうだったらいいなって」
直人はもう一度ノートを見た。
「じゃあ、読めるようになればいいじゃん」
「どうやって?」
「勉強すれば?」
「えー! 難しそう!」
直人は笑った。
私はノートを見つめた。
「……じゃあ、私、研究者になる!」
「えっ?」
「研究者になったら、これ、全部読めるでしょ?」
「たぶん!」
「そしたら、曾祖母が何をしてたのか分かるよね!」
「うん!」
私は嬉しくなって、ノートを胸に抱きしめた。
「僕も手伝う!」
「本当?」
「うん! 僕、動物が好きだから、犬や猫や生き物を助けたいんだ」
直人は足元にやってきた猫を抱き上げた。
「この子たちが病気になっても、僕が治してあげられたらいいなって」
「じゃあ、直人は動物のお医者さんになるの?」
「うん! 獣医さん!」
「すごい!」
「由紀が研究者になったら、僕も手伝えるでしょ?」
「うん! 一緒に調べよう!」
直人は嬉しそうに笑った。
「約束ね!」
私は小指を差し出した。
直人も小指を伸ばし、私の指に絡めた。
「うん、約束!」
「ありがとう、直人!」
そうして私は、この日を境に、曾祖母が本当は何をしていたのか知りたくて、勉強を始めた。
あの日、直人と交わした約束。
それが、私たち二人の将来を決めるきっかけになった。
曾祖母が残したノートの本当の意味を確かめるために、私は細胞の研究者になることを決めた。
私は、そのノートをぎゅっと握りしめた。
『undying ―食卓から消えたもの』は、私が最初に思いついた物語でした。
ですが、なかなか納得のいく形にできず、今回、構成から見直して書き直しました。
当初のSFディストピアからミステリーへと変更し、数え歌を使った謎解きも取り入れています。
全25話予定、毎日20時更新です。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします!




