寒冷地でこそ、氷属性魔術師は輝く
洞穴の中が迷宮よろしく入り組んでたらどうしようかと思ったが、幸い、内部は一方通行だった。これだったら、帰りも迷うことはないはず。
……とはいえ、別の部分での違和感はある。
俺は生まれも育ちも王都だったせいで認識が遅れたが、こういった辺境のひとけの薄い土地には基本、《《魔物》》がいて当たり前だ。
魔物。
吹きだまった魔力が意識を持ち、固有の肉体を持った人類の敵。
書物や図鑑でかじった知識を並べるなら、こういった洞穴にはパルスバット(超音波や噛みつきがメインウェポン)だったりスケルトン(生き物の骨を素に生まれるやつ)だったり、そのへんがいるだろうなと覚悟していた――ちなみに魔獣も魔物の一種に括られるので、ダイアウルフも大きな枠組みで見れば、魔物の範疇だ。
ただ、進んでも進んでも魔物とは、接敵しなかった。
で、ヨルカが蹴散らしたんだったら、その辺に伸びてる魔物が転がってるはず。
その痕跡すら無いってのは……逆に不穏だ。
注意深く進んでいくと、やがて最深部に到着する。
洞穴の最奥は、沼地のようになっていた。
空気は悪い。粘っこい生臭さが漂っていて、嫌な感じだ。
そんななか、見覚えのあるコートの背中と、戦闘のために後ろの方で束ねられた白銀の髪が、俺の視界に飛び込んでくる。ヨルカだ。
「っ、よかった、とりあえず無事なよう、で……。……っっ!?」
さーて一安心、とはならなかった。
ヨルカの前には緑色の、うねうねとした、何より洞穴の天井にまで届きそうなほどに巨大な――スライムがいた。
スライム。
魔物と言えばの代名詞で、宮廷でもよく魔術のための実験に使われている。
加えて、平時なら脅威にならない魔物でもあった。子どもでも倒せるレベルの雑魚で、王都では学生向けに地下道のスライムを倒すアルバイトなんかもあるくらい。
……ただ、あれだけの大きさの個体は見たことがない。
そして勿論、大きければ大きいほど、仕留めるまでに手間がかかる。
「……え! ふ、フロスト? なんで来たの、一人で大丈夫って」
「そんなことよりも、そいつは……その大きさ、変異種だ。毒なり特異スキルなり、何か持ってるかもしれない。充分に気を付けてくれ!」
背後の俺に気付いたヨルカは、一瞬だけ何か言いたげにしたものの。
ただ、彼女もそれどころじゃないってことは肌で感じているようで、すぐに話は、目の前のスライムのそれに戻った。
「スライムの後ろの方、見える? 魔獣の骨っぽいのが沢山落ちてるでしょ――たぶんだけど、ダイアウルフのだね。こいつと戦ってたとこに私たちがちょうど来て、だから半々くらいしか、洞穴の外に出てこなかったんだと思う」
「外から討伐隊、巣には巨大スライム。ダイアウルフも踏んだり蹴ったりだな」
「思ったんだけどさ。最近のダイアウルフの気性がおかしいのも、巡り巡ったらこいつが原因なんじゃない? 雑食でしょ、スライムって」
「かもしれない。ただ、その場合はこいつ単体じゃなくて、こいつみたいな変異種が大量に発生してるって考えるべきな気がするが……だったら余計、滅入るな」
たまたま雪が多く降る年があるように、たまたま巨大スライムが沢山発生する年もあるのかもしれない。両方、俺たちからしたら厄介としか言いようがないな。
やり取りを交わして状況を把握した俺は再度、ヨルカに声をかける。
「さ、どうあれ撤退しよう。五分なら、もうとっくに過ぎてるから」
「…………」
返事が無い。
またしても嫌な予感がして、これもたぶん、当たりそうだと思った。
「こうやってボランティアの討伐隊を作ってる時点で察してほしいんだけど、駐在騎士団は基本、事が起きてからじゃないと動けないの」
唐突な内容は、ただ、辺境の領地の内実を指していた。慢性的に騎士団の人手が足りていないから、どうしても喫緊の仕事に手間を割かれる。サボってるわけじゃないのは承知で、でも、あらかじめの危険の芽を摘むってのが難しい。
「で。ダイアウルフをあれだけ貪れるような魔物が洞窟から出てきて、それがウィンタリアに来たらって考えたら……このまま逃げるってのは、ちょっと、うん」
できない相談だよと、彼女は、そう言った。
領主の娘だからか、はたまた、生まれ持った善性からか。
「わかった。だったらここで、なんとかしよう」
「お、意外とごねないんだね」
「せっかく来たのに、ヨルカを一人にはできない」
「……意外とフロストって、そういうこと言うんだね」
「スライムと戦ったことは?」
「ふふん。屋台でオ・デンを食べたのと、同じくらいはあるね」
「すまん、オ・デンってなんだ?」
「はあああああああああっ!?」
いやごめんすみません知らなくて帰ったら調べるから!
「と、とりあえず口ぶり的に、結構あるものだって判断する。ってことは、スライムのコアを壊すのが一番わかりやすい倒し方だってのも、わかるよな?」
どんなスライムにも、半透明なボディの中に丸い球体のようなものがある。
それがコアだ。突き刺したり斬ったり、もしくは外側から衝撃を与えるだけで破壊可能なので、だからこそ、素人でも簡単に討伐できるというわけだ。
「ん、勿論。でも問題は、コアがどこにあるかなんだけど……見えないよね」
小癪なことに、身体は巨大でもコアは小さいままらしい。
「とりあえず、各々が観察して探そう。見つけ次第に重点的にそこを切り刻んでいって、最終的にはコアをバッサリってのが目標。意識はヒット&アウェイ、なにかスライムに変な挙動があったら待避。さ、これでどうだろう」
「…………」
「な、なんかマズいとこでもあったかな」
訊ねると、ヨルカはどこか感心しながらで、くすと笑った。
「やっぱりフロストには、宮廷勤めは向いてないのかもね」
「同感だ」
作戦は決まった。
俺が右、ヨルカが左からスライムの身体を、ぐるりと回っていく。
通常サイズのスライムなら、適当に攻撃するだけで、ついでにコアだって破壊できてしまうだろう。
ただ、これだけ大きくてそのくせコアのサイズは変わらないとなると、仮にコアを見つけたとしても身体の奥の方にあったら、そこまで辿り着くために攻撃を重ねていかなければならない。
俺たちの体力にも、限界はある。とっとと見つけられればいいが。
ステップで距離を取りつつ、蠢いているそいつを凝視してるうち……。
「……あった! 俺の方、こっちを攻撃しようっ」
「りょう、かい!」
発見してすぐ、合流。
その後はお互いの剣撃をコア目がけて、スライムへ浴びせかける。
……ばしゅんと切り裂く度に緑色の粘っこいのが全身にかかってほんと最悪な気分になるわけだが、ただ、効いてるのは間違いない。
証拠にスライムは、うにょうにょ身体を動かしている。若干の可哀想さはあるものの、そうやって油断してこっちがやられたら、それこそ洒落にならない。
魔術が使えるなら、たぶん、それが一番楽な倒し方だ。
属性は問わない。どんな攻撃でも遠距離からぶつけてやれば、スライムはコアごと、木っ端微塵になるだろう。
ただ……今の俺の暴走っぷりで行使してしまったら最悪、スライムどころか洞穴ごとぶっ壊してしまう恐れがある。俺だけでなく、ヨルカも巻き添えになるだろう。
このまま氷魔術を使わずに済むなら、それで解決したいところだ。
ただ。
そういう油断を、この巨大スライムは見逃してくれなかった。
「! まっず……うっ――――」
「っ、ヨルカ!」
スライムは、巨体を大きく震わせて――身体ごと、俺たちの方へ転がってきた。
俺はギリギリ、避けられた。
だが、俺よりもスライムに近づいて攻撃を続けていたヨルカは、身体ごとスライムの巨体の中に埋まっていってしまって……ごぼっ、と。
水槽へ落ちたかのように、スライムの体内に絡め取られてしまう。
『っ、ぐ、このっ――っ――――』
「おい、何してんだこの、馬鹿スライムがっ――くそっ!」
さっきより本気で切り刻んでも、スライムはびくともしない。
その間も刻一刻と、ヨルカの酸素は尽きていっているようで……。
「――――」
彼女の抵抗が、ピタッと止まる。
どうやら、意識を失ったらしい――ダメだ、本当にマズい。
生きているスライムにずっと触れていると、皮膚が溶け始める。魔術学院の実験の際に、面白いからとスライムを素手でつつきまくっていた同級生がそれで、右手の指紋を無くしていた。
呼吸の問題だってある。スライムの中にいたら、単純に息ができない。
早く彼女を助けないと、取り返しがつかなくなる。
物理じゃ、間に合わない。
魔術じゃなければ、ヨルカを救えない。
俺はあれだけ馬鹿にされてきた氷魔術で、なんとかしなければならない。
…………。
ここへ来る前の俺だったら、どうせできないと嘆いていたのかもしれない。
ただ、今の自分には卑屈にうじうじしている余裕すらなかった。
ヨルカは俺に、期待してくれた。
落ちこぼれの俺を、それでも構わないと受け入れてくれた。
そうでなくとも彼女は、ダイアウルフから俺を守ってくれたんだ。
だったら、今度は俺が、彼女をピンチから救わないといけないだろうが!
「――氷の刃で、コアだけ切るイメージ。大丈夫、俺ならできる――――」
熱量は高く、それでいて心中は穏やかに。
洞穴に満ちた冷たい魔力を、俺は、俺だけのモノにしていく。
暴発なんて、させてなるものか。
俺は氷属性魔術師だ。
だから、この寒い空間を最も掌握できるのも、俺であるはずなんだ――。
☃ ☃ ☃
こんなにも大変な時だってのに。
脳裏にふと、かつて、何度も読んだ魔術書の存在が浮かび上がった。
氷属性魔術師として名を遺した大魔術師の、複製魔術書。
俺も適性が氷属性ということで、それこそ紙が擦り切れるほど何度も読み返したけれど、結局、今日までで彼の魔術を使えたことは一度もなかった。
自分の力で天候を変え、大雪を降らせる魔術。
強靱な魔物を一瞬で氷漬けにして、永遠に閉じ込めてしまう魔術。
俺には、そんなんできるわけないのかもしれない。
ただ、一つだけ思い出したことがある。
その魔術書の最後に書かれていた、大魔術師のあとがき。
そこには、こう書かれている。
『氷属性魔術師は、他の属性よりも土地の魔力に左右されやすい』
『故に温暖な場所の温暖な魔力では置物になれど、逆ならば』
『寒冷な土地の寒冷な魔力をもってすれば唯一無二、天下無双である――』
……あんなに読んだのに、どうして思い出せなかったんだろう。
やっぱり特別、俺が凄くなったわけじゃない。
このウィンタリアって場所が俺に、少しだけ優しいってだけだった。
☃ ☃ ☃
「――――ッ! これでも食ら、えッ――!」
俺は集約された魔力を、片手でなぎ払うようにして飛ばした。
刹那、無から有が。
鋭く滑らかな氷の刃が、スライムに向かって飛んでいき――器用にヨルカの身体は避け、逆に、角砂糖くらいの小ささのコアだけを両断した。
「っ――――――」
鳴き声も無く、スライムの身体は弾け飛ぶ。緑色の粘っこい体液が洞穴の至る所に飛び散り、そのグロテスクでド派手な有様が、決着の合図になる。
倒した。自分の思い描いた氷属性魔術が、思った以上の威力で成功した。
でもそんなことよりも、まずは……。
「っ、大丈夫かヨルカ、しっかりしろっ……!」
スライムの消滅と共に、彼女の身体は地面にぼとんと落ちていて。
俺はすぐさま、目を閉じたままの彼女の元に駆け寄った。
肩を揺すり、それでも起きないならと頬の辺りをぽんぽんと叩き、なのに目を覚ましてくれない。
ま、間に合わなかったんだろうか。どうしよう、思わず俺は泣きそうになる。
けど。
「……ふふ」
「えっ」
「涙もろいんだね、フロスト。本とかでも、うっかり泣いちゃうタイプでしょ」
小さな笑い声が聞こえた後、俺の腕のなかで彼女は、穏やかな笑みを浮かべてきた。
無事だった。その事実にほんとにもう、心から安心して、それで俺は――。
「…………そういう冗談いらんって!!!!」
自分でもビビるくらいの大声が、洞穴に響いたのだった。




