第8話 プレゼント。
クリスティン様が松葉杖を使い始めたころ……ある朝、フローラがいつものようにクリスティン様の部屋に出勤すると、ベッドに彼女がいなかった。
ぎょっとして探すと、洗面所の鏡で、自分を映して見ているところだった。彼女の髪はずい分と伸びたが、騎士学校に入校する短髪の少年ぐらいだ。
「クリスティン様、おはようございます!」
内心…動揺しながら、私はなるべく普通に挨拶をする。エルマさんにも、クリスティン様が鏡が見たいと言うまで見せなくていいと言われていて、手鏡は仕舞ってあったから。
「あ、おはよう、フローラ。ねえねえ、私、短い髪もなかなか似合うと思わない?」
鏡から目を離さないまま、クリスティン様がそう言った。首を傾けて自分の横顔を眺めたり…。本心からなのかどうかはわからなかったが……まんざらでもない表情のような気がする。
「そうですね。今、お隣のフール国では女性でもスラックスにショートカットが流行っていると、同僚が話していましたから」
「ふーん。そうなんだ」
「フール国はファッションも先進的ですからね。さあ、顔は洗ったんですか?朝ご飯を運んでもよろしいですか?」
そのあたりからだろうか。
クリスティン様が変わり始めた気がしたのは。
***
「このままいったら、私の腕は労働者の腕のようになってしまうわね?」
松葉杖を上手に使いこなせるようになったころ、クリスティン様はそう言って笑っていた。
図書館で本も借りてくる。フェルナンドさんのお勧めはもちろん、恋愛小説や、ミステリー物…こだわりなく何でも読んでいるようだ。この前読んでいたのは、【海辺の生物図鑑】夢中でページをめくっていた。まるで初めて本というものを知った、って感じ。うちの娘が好みの本を見ている時に近い気がする。
最近はよくお話をする。回診に来るバルト先生にもエルマさんにもよくお話をするようになった。
たまに面会にいらっしゃる父親、ギルベルト伯にも、今度来るときに買ってきてほしい本の話なんかをするようになった。今までは何を聞かれても「はい」としか言わなかったのに。とてもいい傾向だと思う。お兄様、お義姉様との関係は良好なようだし。
そんな矢先…。
クリスティン様のお誕生日に訪ねてきた彼女の父親がプレゼントを持ってきた。クリスティン様がリボンをほどくのを見てから、控室に下がった。
今日は暑いので、医局から氷を貰っておいた。
フローラは良く磨かれたグラスに氷を入れると、紅茶を注ぐ。
水滴を丁寧に拭いて、コースターと一緒にトレーに乗せて……。
「いやあああ!」
クリスティン様の叫び声に、フローラは控室のドアを押しのけて走り出した。
「どうしましたか?」
まず、クリスティン様を抱き寄せる。
何があったんだろう。両手で頭を押さえてガクガクと震えるクリスティン様と、呆然と立ちすくむ父親。
テーブルの下に落とされた、綺麗なバラの模様の箱は角が一か所つぶれて……金髪の縦ロールに仕上げられたカツラがこぼれ出ている。
クリスティン様の叫び声を聞いて、バルト先生とエルマさんが駆け込んでくる。
「……もう、無理、無理よ」
目を見開いたまま震えるクリスティン様を、エルマさんとベッドに運んでいく。
「大丈夫ですよ。ゆっくり息をしてくださいね」
エルマさんが彼女の背中をさすりながら、声をかけている。
バルト先生が落ちた箱と中身を拾い上げて、父親の肩を抱いて病室を出ていった。
私は…床に倒れた松葉杖を拾い上げて、壁に立てかけた。状況がよくわからないが…叫び声に驚いてから動悸が収まらない。
「フローラ、ここはもういいわ。今日は私が見るから」
エルマさんに背中越しにそう言われて…一礼してそっと部屋を出る。
***
看護師詰め所に戻って、煮沸して干してある包帯をくるくると巻く。
途方に暮れてしまった時に、こういう単純作業は助かる。
フローラがくるくると何十個かの包帯を丸め終わった頃に、エルマさんが戻ってきた。フェルナンドさんが駆けつけてくれたので、交代して来たらしい。
「フェルナンドさんの顔を見てほっとしたのかな、今、泣いてる」
「そうですか。あ…お茶でも出しますか?」
「そうね」
ことりとエルマさんの婦長席にお茶のカップを置くと、ものすごい勢いで指示書を書いていたエルマさんが言った、
「ありがとう。あなたは今日は備品の整理が終わったら定時で帰っていいわ」
「はい。あの……」
カップを持ったエルマさんが、私を見た。
「何?」
「あの……髪のなくなった娘のために、カツラを作ってあげるのは……そんなに悪いことなんですか?」
「……ああ」
エルマさんが一つため息をついた。
「なんでもかんでも自分の基準でものを考えちゃだめよ、フローラ。私たちもあの子の育った環境や親子関係なんかは推測するしかないんだけど、実際、あの子は傷ついたわけだし。もし自分だったら、とか、自分の娘だったら、とか…そんな個人的な感情やもしも論はいらないのよ?わかる?」
「……」
「患者さんの前では絶対に言ってはダメよ」
「はい」
***
カップを片づけて、備品庫の整理をしているうち定時になった。定時に帰るなんて久しぶりだ。
娘を託児所に迎えに行くと、思ったより早いお迎えに大喜びしてくれる。
「ママ、きょうははやいね。どこかにいくの?」
そう言われて、時間に余裕があるので娘が前から欲しがっていた髪ピンを買いに出かけた。近所の小物やさんで娘が欲しがっていたお花が付いたピンを一本買う。
「ピンクも赤もあったのに、ブルーで良いの?」
「うん。せんせいが、らーらのめはきれいないろだねっていつもほめてくれる」
明るい金髪に、青紫のお花のピンをさしてにこにこ笑う娘と手をつないで帰った。
この子が病気や怪我で髪が無くなったら?
やはり私は考えてしまう。
カツラを作ってあげたいと思うんじゃないか。あんな高価そうなものは無理だろうけど。
うちの母ならきっとこう言う。
「あら、あなた、短い髪もなかなか似合うじゃないの」
それで…またお母様は、人の気も知らないで!と、ケンカになるに違いない。
ああ、その前に…娘の病気や怪我に備える十分な貯金はあるだろうか?
ラーラと並んで手をつないで、いつもよりほんの少しのんびりと歩く。




