第6話 タイミング。
「おばあちゃまぁ」
「ラーラちゃん、逢いたかったわぁ」
休日に病院の中庭で娘とピクニックしていると、急に駆け出した娘が、やってきたご婦人にしがみついている。
娘を抱きしめるために、そのご婦人が放り投げた日傘を拾い上げて畳みながら、フローラはあきれたように言う。
「またいらしたんですか?奥様」
「あらあら、フローラ。そこはいらっしゃい、でしょう?」
にこにこしてうちの娘を抱っこして頬ずりしているのは、私の実母ではない。
「奥様……そんな重たいものをお持ちになると、また腰を痛めますよ?」
「はいはい。運動すればいいんでしょう?ラーラちゃん、また重くなったわねぇ。おばあちゃまとお散歩に行きましょうね」
娘と手をつないで歩き出す奥様。
奥様についてきた侍女さんには木陰のベンチに座ってもらって、奥様の日傘を広げて後に続く。
このご婦人はエグモント伯爵家の奥様、ユリアーネ様。
私がクリスティン様の担当になる前に、担当させていただいていた。腰を痛めて3か月入院。腰は1か月ほどで痛みが治まったが、日ごろの運動不足を指摘されて、運動療法を受けていらした。なかなかに我儘な奥様…いや、正直な?方だ。
あれはいやだの、これはいやだの……大変だった。
今日みたいに娘と休日に中庭で遊んでいたらそこを見つかって…以来、なんだかこの二人は仲がいい。
私は伯爵家の奥様を”おばあちゃま”呼びなどと恐れ多いと反抗したが……娘は何の抵抗もなく受け入れたらしい。それからずっとこんな感じだ。
奥様の入院している貴族用の病室にも招待を受けて娘と遊びに行ったこともある。私的には毎日来ているところだったけど、娘は広い部屋に大興奮していたなあ。お昼もおやつもご馳走になって、奥様とお昼寝までした。
奥様は退院してからもたまにこうして遊びに来て下さる。月に2回は来る。
奥様が来て下さると、娘は大喜びだ。
娘にいろいろと買い与えようとするので、それはきっぱりとお断りした。以来、持ってくるのはお菓子ぐらいだ。
「今日は暑いんですから、日陰を歩いてくださいよ!」
「はいはいはいはい」
「はーい」
楽しそうに話しながら、手をつないだ二人が笑って歩いていく。
その後ろを日傘で影を作りながら歩いていく。
奥様は…退院された後、私に奥様付きの侍女で働きに来ないかと誘ってくださった。
提示された条件は驚く位良いものだった。給金も今よりぐんと良い。
住み込みで、娘の教育の機会も用意してくださると。
しかも、娘の後見人になってくれると言ってくれた。
とてもいい条件だったが、この病院で看護補助で5年働くと、正規の看護師試験の受験資格がもらえる。私はあと1年で5年になる。
正規の看護師になれば、給金もぐんと上がる。娘の髪ピンを買うのに悩まなくてもいいほど。そのために勉強も続けてきた。それに…。
何度か笑ってお断りをしたが、奥様は娘のためにも屋敷勤めをするべきだと譲らない。
……今のところ…今の患者さんが退院するまで返事を待っていただけないかと伝えてある。
*****
「あら、フローラ。クリスティン様はどう?」
帰り際に看護師詰め所の隅で業務日誌を書いていたフローラに、エルマさんが声をかけてきた。
「ええ。図書館でフェルナンドさんとお友達になったみたいで、いろいろな本を読みだしましたよ。あの方は患者さんにさり気なく寄り添うのが上手ですね。クリスティン様に使った睡眠薬が効き過ぎていたのをずっと気になさっていたようで」
「ああ。なるほどね」
エルマさんが、コトリッと私の前にお茶のカップを置いてくれた。立ったままお茶を飲んでいたエルマさんが思い出したように言った。
「そういうあなたは?エグモント伯爵家の奥様に侍女に来ないかって誘われているんでしょう?」
「あ…ええ」
「いい話だと思うわよ。あなたは頑張っているから病院としては辞めてほしくはないけれど、正看護師になったら夜勤も休日出勤もあるのよ?ラウラはまだ3歳でしょう?」
「…はい」
「部屋に一人で置いておくつもり?昼間は託児所があるからいいようなものの…よく考えなさいよ」
「…はい」
「タイミングって大事よ?フローラ」
「……はい…おばさま」
*****
タイミング、か。
私も考えてはいる。このままこの病院に勤めていたいが、それはラウラを犠牲にしてまでもどうしても、というわけではない。
このタイミングを逃したら、奥様の侍女が他に見つかったら…。わかっている。そうすることが最良の選択なんだと。でももう少しだけ…。もう少しだけここにいたい。
余り布で作ってあげたぬいぐるみのウサギを抱きしめながら眠る娘の髪を撫でる。日の当たり具合によっては銀髪にも見える薄い色の金髪。
気を取り直して教科書を広げたが、あんまり頭には入ってこない。
…私は…ラウラにとって、いい母親だろうか?
私が産んだ私の娘。
お父さんはどこ?って聞かれたら、何て言えばいいのかな?
…ちょっと疲れたなあ…。
いつもならバタバタしてるのに、今日は早めにに帰ってきたから、なんだか時間がたつのが遅い。かえって疲れるな。そんなことを思う。
開け放った窓から、夜風が吹き込んで、薄いカーテンを揺らす。
ポツリポツリと灯りのついた夜景が見える。
ほんの少しでも、あの人は私を覚えていてくれるかな?
…そんなセンチメンタルなことを思うのも久しぶりな気がする。毎日が精一杯だったから。




