第5話 16歳。
「おはようございます!」
翌朝、フローラがクリスティン様の病室に入ると、彼女はまだ眠っていたのか毛布を頭まですっぽりと被っていた。返事はない。
カーテンを開けて、窓を開けて風を入れる。
貴族の患者さん用の病室は広い。
大き目のベッドに、テーブルとイス。来客用のソファも置いてある。
控室も付いていて、お茶も出せるように簡単な台所も付いている。もちろん化粧室もトイレも風呂場もある。
フローラは以前担当した伯爵家の奥様に招待を受けて、3歳になる娘を連れてきたことがあるが、広い部屋に喜んで走り回っていた。その位広い。
フローラは控室で洗顔用のタライに水を汲んでタオルを用意する。控室には食事担当者が届けてくれる朝食が湯気を立てていた。
「おはようございます。クリスティン様。朝ですよ」
声をかけて、肩のあたりをぽんぽんと優しくたたく。ほんの少し躊躇したが、被っている毛布を胸のあたりまではがす。彼女は起きてはいるが、目は合わせない。
(あ、泣いていたのかな)
そう思ったが、気が付いてないふりをした。
「さあ、顔を洗いますよ」
ベッドサイドの小さいテーブルに置いたタライで、タオルを絞り、
「さっぱりしますよ」
そう声を掛けながら、クリスティン様の顔を拭いていく。
タオルを絞りなおして、自由の利く左手と固定具から出ている右手を拭いた。
「今日もお天気がいいですよ?朝食が済んだら、中庭にお散歩に行きましょうね」
返事はない。まあ、仕方がない。否定されていないということは、肯定だと取ろう。
打った肋骨はまだ湿布をしているので、多分まだ痛い。急によいしょと上体を起こすわけにもいかないので、背中に手を回してゆっくり起こして、背中に羽枕を詰め込む。立てかけてあるベッド用のテーブルをセットして、タライとタオルを片づけて、控室から朝食の乗ったトレーを運ぶ。
オムレツは鮮やかな黄色でそこに真っ赤なトマトソース。一口大に切られたソーセージが2本分。野菜のスープにスライスされた丸いパン。オレンジジュース。スプーンとフォークが添えられている。
クリスティン様が動かせる左手側にスプーンとフォークを揃え直して、声を掛ける。
「美味しそうですよ?召し上がれ」
動かせるところは動かした方がいいので、私がクリスティン様の口元に運んだりはしない。左手は使えるわけだし。
「先生もおっしゃっていましたでしょ?たくさん食べた方が、早く回復しますよ」
看護師詰め所脇の回復期ベッドでも、食事はほとんど手を付けなかったようだ。仕方がないので看護師が食事介助もしていたようだが……。昨日の夕食時のクリスティン様への婦長さんの食事介助も見たは見たが……。
フローラはベッドわきに椅子を寄せて座って、気長に待ってみる。
いくら運動量が少ないからと言っても、お腹は空くでしょう?
早く治れるよって言えば、むきになって食べる人もいた。
「こんなまずいごはん食べれないわ!」ってトレーごとひっくり返されたこともあったなあ。
自分の体が、自分の思ったように動かない、というのはいら立つもの。
私が看護助手になったばかりの頃は、物が飛んできたり、八つ当たりされてののしられたり……へこむことも多かった。この道4年目の今は、物からも、その心情からも距離が測れるようになってきたと思う。
ゆっくりとスプーンを左手に取ったクリスティン様が、オムレツを二口食べた。
お、やったね。そう思いながらフローラは気長にやっていこうと思った。
*****
帰り際に看護師詰め所で日誌を書く。
クリスティン様には食事はもう少しとってほしいところだ。
朝夕、車いすで中庭に連れ出しているが、庭に咲いた花にもあんまり興味がないようだ。話しかけているが、返事はない。
ふうっ。
…16歳か。
書きかけのペンを持ったまま、フローラはぼんやりと自分の16歳を思い出す。
フローラの実家は田舎の子爵家。姉妹3人。末っ子だった。
家は貧乏でもないけれど、ものすごく裕福なわけでもない。教育は十分受けたと思う。礼儀作法なんかは、母が教えてくれた。
跡取りの長姉は学院に出してもらえたが、卒業するとすぐに母が見つけてきたお婿さんと結婚して家を継いだ。
すぐ上の姉は、16歳になるとすぐに付き合いのあった商家の跡取り息子に嫁に出された。
姉たちはすごく幸せ、というわけでもないけれど、不幸なわけでもなかったみたいだ。そんなものなんだろうとあきらめていた節がある。あんなに…恋愛小説好きだった二人が母親が見つけてきた伴侶とするりと結婚したのを、私は不思議に思った。
私が15歳になるころ、母は張り切って私の嫁入り先を探し始めた。私としては学院に行って勉強したかったのだが、学のある女の子は嫁に行きにくいと一蹴された。
「さっさとお嫁に行った方が、女の子は幸せなのよ」
そう言って。
その日も母親と言い合いになった。
「まだ結婚なんて早いから、学院に行って勉強したいんです!それに、私は私の好きになった人と結婚したい」
どこまで行っても平行線だった。
「じゃあ、あなたの好きな人を見つけていらっしゃいよ?」
子供のくせに出来もしないことを言う、そんな言い方で母は諦めさせようとしたんだと思う。鼻で笑うようにそう言われた。
で…その日のうちに、私は家を出た。持ち物は最低限。ためていたお小遣いだってそんなにはなかった。今から思えば、売り言葉に買い言葉、そんな感じだったんだろうと思う。
王都にいるおばのところに行くつもりだった。手紙も出しておいた。
母の妹にあたるおばは学院を出てから看護学校に入って結婚もせずに看護師として働いている。うちの母がさっさと娘を嫁に出したいのは、このおばが結婚しなかったことを気に病んでいたかららしい。
乗合馬車を乗り継いで、知らない町に着いて…ひったくりに会って全財産持っていかれてしまった。15歳では仕事をするときに親の許可がいるので、身寄りのない平民で、17歳だと偽って、食堂で住み込みで働き出した。おばには旅費がたまり次第、王都に向かうと手紙を出しておいた。
不安?不安なんかその時はなかったなあ…してやった、っていう達成感と、自分で稼げるって自由が楽しくてたまらなかった。まあ、慣れない仕事はきつかったけど。
その食堂で、常連客だったラースと会った。今となっては本名かどうかもわからないけど。
明るい金髪にライラックの瞳。
どっかの商家の次男坊の様だった。自分のことはあんまり話さなかったなあ。不器用で、真面目で口数の少ない…とてもいい人だった。初恋?私は彼が大好きになった。
店が閉まってから夜にほんの少し会って、休みが合えばデートして…1年近くたった。結婚しようと彼が言ってくれた。このまま結婚するのかなあ、って思ってた。
…私はその頃は夢見る少女だった。
私が16歳になったころに、ぴたっとラースが食堂に来なくなった。
最初は仕事が忙しいのかなあ、って思っていたんだけど…具合が悪かったり?とか、どんどん不安になって…いつも彼が仕事の時に使っていた宿屋に行ってみたらもう引き払った後だった。
ある夜、食堂が終わってから、お隣の領地にあると聞いていた彼の家まで訪ねて行ってみた。こじんまりとしてるけど、上品な造りのお家だった。
訪ねていくと、そこの女中さんが出てきて、訝しそうに私の頭からつま先までさんざん眺めて…まあ私も年上にみられるようにぎっちり化粧をしてたしね…言った。
「お坊ちゃまは奥様に呼ばれて、本宅に戻りました」
こんなオチ。
泣きながら帰って……食堂にいるとラースにまた会えそうな気がしちゃうから…思い切ってその町を出て当初の予定通り、王都のおばを頼ってこの病院で看護助手を始めた。
寮に住み込みで働けたし、食費を払えば食事も三食食べられるし、なにより、5年働けば正規の看護師試験を受けれるって聞いて、勉強した。仕事も覚えることが多かったし…患者さんに八つ当たりされてケガをしたりもしたなあ。あの頃は、まだかわし方も知らなかったから。
そうしているうちにお腹が大きくなってきて…あれ?って。
自分が一番びっくりしたかも。でも産まない選択は私にはなかった。
ぎりぎりまで働いてここで出産した。
おばが母に連絡しようとしたので泣いてやめてくれるようにお願いした。こういう場合…私生児の子供は取り上げられてこっそり養子に出されるか、孤児院に捨てられると聞いたから。一人でちゃんと育てるから、と土下座までしてお願いした。
私の産んだ、私の娘。不安がなかったと言ったら噓になるけれど。
私はありきたりの茶髪に茶色の瞳。
娘は薄い金髪にラベンダー色の瞳。髪色も瞳の色もラースに…あの子の父親にそっくりで、嬉しかったなあ。
本当に好きだった。
16歳かあ…。




