第3話:処刑人の妻の朝は早い。迫り来る残党たちと冷徹なるティータイム
最凶の拷問器具(※最新鋭マッサージチェア)の快感に敗北し、泥のように眠りに落ちた翌朝。
私は、信じられないほどスッキリとした目覚めを迎えていた。
「んんっ……ふわぁ……」
柔らかな朝日に照らされ、天蓋付きのキングサイズベッドで大きく伸びをする。
王都で第一王子エドワードの尻拭いをさせられていた頃は、毎日睡眠時間3時間という超ブラックな生活を送っていたため、こんなに熟睡できたのは本当に久しぶりだった。
(それにしても、大きなベッド……ヴィルヘルム様は、結局どこで寝たのかしら?)
昨夜、私がマッサージチェアでとろけている間に、彼は「俺は少し夜風に当たってくる」と言い残して部屋を出ていってしまったのだ。
あんなに恐ろしい見た目をしておきながら、婚約者とはいえ結婚前の令嬢と同室で寝ることは控えるという、変なところで紳士的な一面があるらしい。
「奥様、お目覚めですか」
ふと声がして振り返ると、そこには昨夜も控えていたメイドの一人が立っていた。
銀色の髪を後ろで一つにまとめ、感情の読めない冷たい瞳をした美しい女性だ。
「おはようございます。えっと……」
「シャドウと申します。以後、奥様の専属護衛兼メイドを務めさせていただきます。寝首を掻こうとする輩がいれば、私がこの毒手で五臓六腑を溶かしますのでご安心を」
(物騒!! 朝の挨拶に混ぜていい単語じゃないわよ!?)
シャドウと名乗ったメイドは、洗面器とタオルを恭しく差し出しながら、無表情のまま恐ろしいことをのたまう。
やはりこの城の人間は、全員が裏社会のエリート(暗殺者)で間違いないようだ。
「あ、ありがとう、シャドウ。……ところで、ヴィルヘルム様は?」
「旦那様は、早朝から鍛錬に向かわれました。朝食の準備が整い次第、食堂でお待ちしております」
私はシャドウに手伝ってもらいながら、手早く身支度を整えた。
用意されていたドレスは、なぜか王都の最新流行を取り入れた最高級のシルク製だった。
しかも、私のスリーサイズに寸分の狂いもなくピッタリと合っている。
(なんで私のサイズを完璧に把握しているの……? あ、そういえば『ずっと君を監視していた』って言ってたわね……)
執着心とストーカー気質がカンストしている旦那様に少しだけ背筋を凍らせつつ、私は食堂へと向かった。
◆
「よく眠れたか、キャロル」
広大な食堂の中心にある長テーブル。
その上座に座るヴィルヘルム様は、私を見るなり、真紅の瞳をわずかに和ませた。
相変わらず漆黒の外套を羽織り、傍らには血濡れ(のように見える赤黒い)大剣を立て掛けている。
「はい、ヴィルヘルム様。あの拷問器具……いえ、マッサージチェアのおかげで、羽が生えたように身体が軽いです」
「そうか。それは良かった。俺の愛の結晶プレゼントが君の役に立ったのなら、俺も本望だ」
(愛の結晶って言うとロマンチックだけど、実態はゴリゴリの機械駆動チェアなんだよね……)
心の中でツッコミを入れつつ、私は席に着いた。
目の前には、こんがりと焼かれた肉や、湯気を立てるスープ、ふかふかのパンが並べられている。
「さあ、遠慮せずに食ってくれ。それは今朝、俺が裏山で仕留めてきたブラッド・ベアの肉だ。これを食えば、お前の血肉は鋼のように強靭になり、いかなる刃も通さなくなるだろう」
「……普通の牛や豚のお肉はありませんか?」
「俺の愛する妻に、そんなその辺の草を食っているような貧弱な家畜の肉を食わせるわけにはいかない」
(優しさの方向性が完全にバトルジャンルなのよ!)
文句を言いそうになりつつも、一口食べてみると、思いのほか臭みもなく、スパイスが効いていて美味しかった。
しかし、食事を進めながら、私はあることに気がついていた。
お肉やパンは美味しい。しかし、使われている食器の銀メッキが剥がれかけていたり、テーブルクロスの端が擦り切れていたりするのだ。
食堂の壁に掛けられたタペストリーも、よく見れば色褪せている。
「あの……ヴィルヘルム様。少し気になったのですが」
「なんだ? 肉が硬かったか? やはり息の根を止める前に、もう少し物理で叩いておくべきだったな。よし、今からもう一頭――」
「違います違います! お肉はとっても美味しいです!」
席を立ちかけて大剣に手を伸ばす彼を慌てて制止し、私は周囲を見渡した。
「このお城……帝国最恐と名高いオブシディアン辺境伯爵家の本拠地にしては、その、少し質素すぎませんか?」
私の言葉に、ヴィルヘルム様は少し気まずそうに目を逸らした。
後ろに控えていた眼帯の老執事(元・伝説の暗殺者らしい)も、コホンと咳払いをする。
「……お恥ずかしい話ですが、奥様。当領地は現在、深刻な財政難に陥っております」
「財政難?」
「はい。旦那様は戦場や裏社会の制圧においては無敵の力を誇りますが、その……『内政』というものには、全く興味を示されず……」
執事の言葉に、ヴィルヘルム様がムスッとした顔で言い訳をする。
「俺は皇帝陛下から『敵を殺せ』としか命じられていない。領地の経営など、力でどうにでもなるだろう。金が足りなければ、隣の悪徳領主から巻き上げれば済む話だ」
「ダメに決まってるでしょ!? それ完全に山賊の思考ですよ!」
思わずバンッ! とテーブルを叩いて立ち上がってしまった。
「執事さん、この領地の帳簿や決算書、それに税収の記録はどこにありますか!?」
「えっ? は、はい。旦那様の執務室に一応保管されておりますが……」
「すぐに見せてください!」
私の頭の中で、公爵令嬢として、そして王太子の影の執務者として鍛え上げられた『政務の血』が騒ぎ始めていた。
領地の経営が傾いているなど、為政者として絶対に見過ごすことはできない!
◆
朝食後、案内された執務室の扉を開けた瞬間。
私は、あまりの光景に絶句した。
「な、なんですかこの紙の山は……っ!」
広大な執務室の床から天井まで、未処理の書類の束が雪崩を起こし、まるで古代遺跡の迷宮のような惨状を呈していた。
「ああ、それか」
ヴィルヘルム様は悪びれる様子もなく、腕を組んで頷いた。
「毎日毎日、どこからともなく紙の束が送られてきて鬱陶しいことこの上ない。文字ばかりで読む気も失せる。だから、山が崩れそうになったら、大剣でまとめて両断して暖炉に焚べている」
「ギャアアアアッ!! 重要書類を物理で燃やさないでください!!」
私は悲鳴を上げ、書類の山にダイブした。
手に取った紙切れを急いで確認する。
『領内南部の橋の修繕申請』『税収報告書』『隣接領主からの通商条約更新の打診』……!
どれもこれも、領地の運営に関わる超重要書類ばかりではないか!
「シャドウ! それから執事さん! 今すぐ領内地図と、過去三年分の帳簿を持ってきて! あと、この部屋にある書類を『未決』『既決』『保留』に分類します! 手伝って!」
「お、奥様……? あ、はいっ!」
暗殺者として冷徹な顔をしていたシャドウたちが、私のあまりの剣幕に押され、オロオロと動き始めた。
私は腕まくりをし、猛然と書類の処理を開始した。
王都でエドワード王子の無茶苦茶な領収書(※愛人へのプレゼント代など)を処理し、国家予算をやり繰りしていた私にとって、この程度の書類整理など造作もないことだ。
「この修繕申請は許可! 予算は第二倉庫の予備金から回して! この税収報告……計算が間違ってるわ、3%ごまかしてる! 担当者を呼び出して再提出させて! それからこの通商条約、圧倒的にうちが不利じゃない! 破棄して再交渉の書状を書きます!」
シャッ、シャッ、シャッ! と、凄まじいスピードでペンを走らせ、書類にサインと指示を書き込んでいく。
その間、わずか一時間。
天井まで届いていた書類の山は、見る見るうちに綺麗に整理され、見事なまでに整頓された三つのタワーへと生まれ変わった。
「ふぅ……。とりあえず、今日のところはこんなものかしら」
私がペンを置き、額の汗を拭うと。
執務室の中は、水を打ったような静寂に包まれていた。
「……え?」
振り返ると、ヴィルヘルム様、執事、シャドウ、その他数名のゴロツキ風の使用人たちが、全員口をポカンと開けて、信じられないものを見るような目で私を見つめていた。
「な、なんてことだ……。旦那様が三年かけて放置し、我々が手を出せなかった魔の書類山脈が、たった一時間で……」
「奥様、もしかして……凄腕の『情報処理の暗殺者』ですか……?」
「違うわよ! ただの事務処理よ!」
シャドウの的外れな尊敬の眼差しにツッコミを入れていると、ヴィルヘルム様がゆっくりと私に近づいてきた。
彼の真紅の瞳は、なぜか潤んだようにキラキラと輝いている。
「キャロル……。君は、魔法使いなのか?」
「ですから、ただの事務仕事ですってば」
「いや、素晴らしい。やはり俺の見込んだ女だ。君のその細い腕のどこに、これほどの書類をさばく力が眠っているのか……。ますます君に惚れ直したぞ」
そう言って、ヴィルヘルム様は私の腰を抱き寄せ、ポンと私の頭に大きな手を乗せた。
まるで、よくできた子供を褒めるような、ひどく不器用で、けれど温かい撫で方だった。
「だ、旦那様……お仕事中に、あまりくっつかないでください……っ」
「ん? ああ、すまない。君があまりにも愛らしく、そして頼もしかったものでな」
(この人、息をするように甘い言葉を吐くわね……! 顔が怖いから脳がバグるけど!)
私が顔を真っ赤にして抗議していると、ヴィルヘルム様はふと窓の外を見やった。
「……よく働いたな、キャロル。頭を使えば疲れるだろう。少し休憩にしよう。中庭の庭園で、茶を淹れさせる」
「お茶……いいですね。お言葉に甘えますわ」
こうして私たちは、大量の書類処理の慰労も兼ねて、城の中庭へと向かうことになったのだった。
◆
オブシディアン城の中庭は、これまた一般的な貴族の庭園とは大きく異なっていた。
色とりどりの美しい花々……などではなく、毒々しい紫色の薔薇や、トゲだらけの食虫植物のようなものが群生する、完全な『魔境』だった。
「……ヴィルヘルム様、あそこのお花、さっき動いて鳥を食べてませんでした?」
「ああ。あれはマンイーター・ローズだ。防犯用に植えている。不用意に近づかなければ噛み付かれないから安心しろ」
「(絶対にお茶会をする環境じゃないわよね!?)」
内心で盛大に突っ込みつつも、用意された白亜のテーブルセットに腰を下ろす。
シャドウが恭しい手つきで、最高級の茶葉を使った紅茶を淹れてくれた。
香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、緊迫した環境を少しだけ和らげてくれる。
「キャロル。君がこれほど優秀だとは思わなかった。だが、無理はするな。君の美しい手がインクで汚れるのは、俺の本意ではない」
「お気遣いありがとうございます。でも、私は働くのが好きなんです。それに、ヴィルヘルム様の領地が豊かになるなら、私も少しはお手伝いしたいですし」
私が素直な気持ちを伝えると、ヴィルヘルム様はハッとしたように息を呑み、またしても耳まで真っ赤にして口元を覆った。
「っ……! お前という女は……。無自覚に俺の理性を削り取ろうとする……っ」
「えっ? 私、何か変なこと言いました?」
彼が一人で悶絶している、その時だった。
――ドゴォォォォォンッ!!!
突然、庭園を囲む分厚い石壁の一部が、凄まじい爆音とともに吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める土煙。粉々になった石の破片が、バラバラと庭園に降り注ぐ。
「きゃあっ!?」
私が思わず悲鳴を上げて頭を抱えると、ヴィルヘルム様が瞬時に私の前に立ち塞がり、外套を広げて飛び散る瓦礫から私を庇ってくれた。
「……何事だ」
ヴィルヘルム様の声が、一瞬にして『夫』のものから、絶対零度の『処刑人』のものへと変わった。
土煙が晴れたそこには、完全武装した数十人の男たちが、武器を構えてずらりと並んでいた。
彼らの胸元に刻印された紋章を見て、私は息を呑む。
それは、私の祖国……王家の近衛兵、しかも第一王子エドワード直属の暗殺部隊の証だった。
「見つけたぞ、悪逆令嬢キャロル!」
部隊のリーダー格と思われる、顔に傷のある男が一歩前に出て、下品な笑い声を上げた。
「エドワード殿下はあの夜、星の彼方へ吹き飛ばされ、そのまま行方不明となられた! 国王陛下は激怒し、殿下の派閥は事実上の解体状態だ! 全ては貴様が、この隣国の化け物を手引きしたせいだ!」
「そ、そんなの言いがかりです! 私は何も……っ」
「黙れ! 我々は殿下の忠実なる影! 貴様の首を王都へ持ち帰り、それを手土産に王家の中枢へ返り咲かせてもらう! 処刑人ヴィルヘルムよ、貴様も一人の女のために命を落としたくはなかろう! その女を大人しくこちらへ渡せ!」
男たちは完全に勘違いをこじらせていた。
エドワード王子が自爆しただけなのに、それを私の謀略だと思い込み、逆恨みで襲撃してきたのだ。
いくらヴィルヘルム様が最強でも、相手は数十人の精鋭部隊。しかも完全武装している。
「ヴィ、ヴィルヘルム様……っ。逃げてください、彼らの狙いは私です! 貴方まで巻き込むわけには……」
私が彼の背中にすがりついて叫ぶと。
ヴィルヘルム様は、ゆっくりと振り返り、私の頭をポンと撫でた。
「キャロル。君は本当に、俺を侮っているな」
「え?」
彼の真紅の瞳は、怒り狂うどころか、絶対的な凪のように冷たく澄み切っていた。
彼は、私が飲んでいたティーカップを指差した。
「見てみろ。あいつらが壁を壊したせいで、君の紅茶に石の粉が入ってしまった」
「……はい?」
「俺の愛する妻の、初めての穏やかなティータイム。それを台無しにした罪は……万死に値する」
ゴゴゴゴゴ……っ!
ヴィルヘルム様の全身から、目に見えるほどの黒い闘気が立ち上った。
周囲の空気が急速に冷え込み、マンイーター・ローズたちでさえ恐怖に葉を丸めて震え出す。
「な、なんだそのプレッシャーは……っ! ひ、怯むな! 相手は剣も抜いていない丸腰だ! 一斉に掛かれェ!」
リーダーの号令とともに、数十人の暗殺部隊が、一斉に殺意を剥き出しにして斬りかかってきた。
四方八方から迫る凶刃。
しかし、ヴィルヘルム様は背中に背負った大剣を抜くことすら無かった。
ただ、静かに右腕を横に薙ぎ払っただけ。
「――邪魔だ。消えろ」
ドバアァァァァァァァァァァンッ!!!!!
「「「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」
ヴィルヘルム様が腕を振るっただけで生み出された『超圧縮された空気の断層』が、暴風となって男たちを襲った。
武器は飴細工のようにへし折れ、数十人の精鋭たちは、まるで落ち葉が竜巻に巻き込まれたかのように、次々と空中へ吹き飛ばされていく。
バキィッ! ドゴォッ! という鈍い音とともに、男たちは庭園の壁や、城の堀の向こう側まで一直線に飛んでいき、次々と白目を剥いて気絶していった。
時間にして、わずか三秒。
私の目の前には、数十人の男たちが文字通り『物理的に排除』された、静寂の空間だけが残されていた。
「さて……。シャドウ、紅茶を淹れ直せ。ティータイムの再開だ」
ヴィルヘルム様は、何事もなかったかのようにパパッと服の埃を払い、席に座り直した。
「……」
私は、ポカンと口を開けたまま、その惨状を見つめていた。
圧倒的な力。まさに帝国最恐。誰もが恐れる処刑人の真骨頂。
普通なら、その暴力の化身のような姿に恐怖し、震え上がる場面だろう。
しかし、私の頭の中を支配していたのは、全く別のことだった。
「ヴィ、ヴィルヘルム様ぁぁぁぁぁっ!!」
「ん? どうしたキャロル、やはり怖かったか? すまない、手加減したつもりだったが」
私は彼に詰め寄り、ガクガクと彼の肩を揺さぶった。
「手加減の問題じゃありません! 見てください、あの吹き飛んだ壁を!!」
「壁?」
「先ほどの衝撃波で、壁がさらに広範囲に崩落してるじゃないですか! あんな分厚い石壁の修繕費、いくらかかると思ってるんですか!? ただでさえ領地は財政難なのに、これだけで数百万ゴールドの赤字ですよ!!」
「えっ……あ、いや、その……」
「それに! そこの防犯用のお花も、風圧で根っこから引っこ抜けてるじゃないですか! 苗を植え直す造園費用だって馬鹿にならないんですよ!? 敵を倒すのは良いですけど、もう少し被害状況コストを考えて戦ってください!!」
「す、すまない……。俺が配慮に欠けていた。次からは、壁を背にしないようにして殴る」
シュン……と、帝国最恐の男が、私の説教を受けて犬のように肩を落とし、しょんぼりと反省している。
その光景を、城の窓や物陰から覗き見ていた使用人たち(暗殺者やゴロツキ)は、信じられないものを見る目で震えていた。
「お、おい見ろよ……。あの『歩く災害』の旦那様が、奥様にガチ説教されてるぞ……」
「しかも、自分の命を狙われたのに、真っ先に気にしたのが『壁の修繕費』と『庭の修繕コスト』だぞ……。肝が据わりすぎだろ……」
「間違いない。旦那様はただの武力の象徴。この領地……いや、俺たちの裏社会の真の支配者は、あの奥様キャロル様だ……!!」
使用人たちの間に、私に対する『狂信的な畏怖と忠誠』が芽生えた瞬間だった。
(ああもう! 明日は修繕業者の手配と、予算の再計算をしなきゃ! 忙しくなるわよ!)
私が頭を抱えて経費計算に追われている間にも、ヴィルヘルム様は「俺の妻は怒った顔も最高に可愛いな……」と恍惚とした表情を浮かべている。
最凶の処刑人による限界溺愛と、残党たちへの情け容赦ないざまぁ。
そして、私の勘違い(?)から始まった領地経営のホワイト化計画は、こうして波乱とともに幕を開けたのであった。




