洗礼の儀と【Error E】
門番に教えられた通り、中央通りを数分歩くと、剣と盾が交差した看板を掲げた大きな建物が見えてきた。ここがギルドらしい。
木製の重厚な扉を押し開けると、雑多な熱気が一気に押し寄せてきた。
「おい、次の採集クエストの件だが――」
「またあいつら、途中で酒飲んでやがるぞ」
広く取られた酒場兼依頼スペースには、金属の鎧を着込んだ男や、長いローブを纏った者たちが大勢集まっていた。
中には、頭にピクピクと動く獣の耳を生やした者や、太い尻尾を揺らしている人物までいる。絵本や映画の中でしか見たことがない「獣人」という存在だ。本当に異世界に来たのだと、改めて実感させられる。
(……待てよ)
ふと、自分の感覚に小さな違和感を覚えた。
飛び交っている言葉も、掲示板に貼られている貼り紙の文字も、俺はごく自然に理解できていた。日本語ではないはずなのに、意味が直接頭に飛び込んでくる。
女神様が気を利かせてくれたのか、それとも転生者の標準装備なのかは分からないが、少なくとも言葉の壁で苦労することはなさそうだ。
俺は周囲の荒くれ者たちと目を合わせないよう配慮しながら、カウンターに並ぶ受付窓口へと向かった。
「はい、お次の方どうぞ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
対応してくれたのは、事務的な笑みを浮かべた若い女性職員だった。
俺は一歩前に出ると、先ほど門番に話した内容を簡潔に伝えた。
「すみません。田舎から出てきたばかりで、まだ教会の洗礼を受けていなくて……ギルドカードを作りたいんですが、どうすればいいでしょうか」
「あら、洗礼がまだお済みでないのですね。かしこまりました。でしたら、まずは教会で洗礼を受けていただく必要があります」
受付の女性は手慣れた手つきで羊皮紙の小さな紙片を取り出し、ペンで手早く何かを書き込んだ。
「こちらの案内用紙をお持ちになって、街の北側にある大教会へお向かいください。そちらで洗礼を終えましたら、証明の紋章が手に刻まれますので、それから再度こちらにお越しいただければ登録手続きを行いますね」
「わかりました。ありがとうございます」
紙片を受け取り、お礼を言ってギルドを後にした。
* * *
案内された通り街の北側へ進むと、敷地全体を静けさが包む大きな石造りの大教会に行き当たった。
敷地内に入ると、敷石の上をホウキで掃いている修道服姿の人物が目に入る。
「あの、すみません」
「はい? あら、ご参拝でしょうか?」
声をかけると、修道服を着た人物が手を止め、柔らかい笑みを向けた。
俺は受付でもらった紙片を差し出した。
「ギルドで洗礼を受けてくるようにと言われまして。これを持っていくようにと」
「まあ、ギルドからのご紹介ですね。かしこまりました。どうぞこちらへ」
紙片を確認した修道服の人物に促され、重厚な木造の扉をくぐって建物の中へと案内される。
外の雑音から遮断された静寂な廊下を渡り、通されたのは洗礼の間と思われる広い部屋だった。
部屋の中央には、大人の胴体ほどもある大きな透明な水晶が、台座の上に鎮座している。その脇には、重厚な儀礼服を身にまとった神父と思われる老人が静かに立っていた。
「神父様、洗礼を希望される方をお連れしました」
「うむ……若き旅人よ、よくぞ参られた。では、その水晶に静かに両手を触れなさい」
威厳のある穏やかな声に促され、俺は台座に歩み寄り、冷ややかな水晶の表面にゆっくりと両手を重ねた。
神父が静かに目を閉じ、聞いたこともない言語で短く呪文を唱え始める。
すると次の瞬間、手下の水晶が内側からカッと強く発光した。
「――っ」
眩い光が一瞬だけ視界全体を包み込み、全身を温かい温もりがあっと言う間に駆け抜けていく。
光がすっと収まった時には、体に不快感もなく、ただ不思議な静けさだけが残っていた。
「……ふむ。光が収まったな」
老神父は鼻眼鏡の位置を正すと、石壇の上に置かれた銀の羊皮紙――洗礼の儀によって刻まれたシンジの『ステータスプレート』を覗き込んだ。
神父はこの大聖堂で、四十年にわたり数千人もの洗礼を執り行ってきた大ベテランだ。
人々の能力の限界も、才能の輝きも、そのすべてを見届けてきた。
そんな彼が生涯で【Sランク】の適性を持つ「天賦の才」を目にしたのは、過去にたった二人か三人程度。それほどまでに、このステータスという神の祝福はシビアで、厳格な世界だった。
「……どれどれ。ふーむ……」
神父は羊皮紙に浮かび上がった文字をひとつずつ読み上げていく。
【名前】シンジ
【生命力】:C 【魔力総量】:F
【筋力】:C 【耐久力】:C
【敏捷性】:E 【器用さ】:D
【知力】:D 【精神力】:C
【感知】:D 【幸運】:E
【戦闘適性】:F 【属性適性】:F
【生産・製作】:D【芸術・調理】:D
【指揮・統率】:E【魅惑・交渉】:E
【神聖適性】:F
「ほう……『筋力』や『生命力』、『精神力』は【C】か。なかなかに粘り強い、良い体をしているな。どこかの農家か現場の職人か? だが……ううむ、見事なまでに『戦闘適性』も『属性適性』も【F】じゃな。魔法も剣も、素人同然ということか」
神父は少し気の毒そうな目を向けつつも、最後に残った『適性・専門技能』の最下欄へと視線を落とした。
――そこには、異質な文字が刻まれていた。
【容量・搬送力】:【Error E】
「……ん? なんじゃ、これは……?」
神父の朗らかな声がピタリと止まった。
指先で羊皮紙の表面をそっと擦り、目を細めて穴があくほど見つめ直す。
「エラー……? エラーだと……?」
四十年間、数千人もの人間を洗礼し、国中に名を馳せるような英雄の誕生すら見届けてきた老神父の時が、完全に停止していた。
文字が滲んでいるわけではない。明確に『Error E』という不吉な文字列が、金色の光を放って定着しているのだ。
(エラー……? おいおい、まさか神様のシステムがバグったのか?)
シンジは心の中で冷や汗をかいた。
あの真っ白な空間で出会った自称・女神の顔が脳裏をよぎる。あの雑な感じの女神なら、システムにエラーを起こすくらい平然とやりかねない。
そんなことを考えていると、老神父が深々と溜め息をついた。
「……すまんが、青年。こんな表示は……わしがこの大聖堂に勤めて四十年、何千人と見てきて初めての事態じゃ」
「初めて、ですか……?」
「うむ。……だが、推測はつく」
神父は悲痛な面持ちで、シンジの肩にポツリと手を置いた。
「本来、【容量・搬送力】などという項目は、誰も鍛えん死にステータスじゃ。マジックバッグを買えば済む話じゃからの。……恐らく、おぬしのその項目は、数値を算出する価値すら生じぬほど……あまりにも低すぎるのだろう」
「低すぎる……?」
「そうじゃ。完全なる不成立……。あまりに能力が皆無ゆえに、天の計測器が誤作動を起こし、仮で【Eランク】としてエラー処理をしてしまったのじゃろうな」
神父の中で、完全に答えが固まったようだった。
『数千人に一人レベルの低すぎる適性ゆえのバグ』。長年の経験が、逆にその固定観念を頑固なものにしていた。
(あ、うん……そういうことにしとくのか。まあ、いいか)
シンジは「あ、あの……実は女神様から……」などと余計な口を挟む愚は犯さなかった。
この世界について右も左も分からない状況で、目立つのは避けたかったし、「能力が低すぎてエラーが出た落第生」と思われていた方が、とりあえず静かに生きる分には都合が良い。
「……なるほど。分かりました。俺の搬送力は、最低の【Eランク】扱いってことですね」
「うむ……気の毒に。だが、体力が【C】あるのが救いじゃ。街で大工の手伝いや、普通の荷揚げの仕事をすれば、食い扶持には困らんはずじゃよ」
神父は同情を込めた温かい手つきでシンジの背中をポンポンと叩いた。
こうして、シンジは異世界において『計測不能な能力を持った規格外』ではなく、『前代未聞の計測エラーを出した不遇な男』として、その一歩を踏み出すことになったのだった。




