師匠との出会い
雷鳴がコリン教会の屋根を激しく叩き、聖堂を揺らしていた。
先ほどまでの静寂はどこへやら、今のゴクトーの胸の内は、言い知れぬ熱情で満たされていた。
「……どうしてだろう。血が、たぎるな」
ゴクトーは自らの掌を握りしめ、開いてみる。そこには何の変哲もない少年の手があるだけだ。だが、その深層では、何千年も前に誰かが刻んだ「記憶」が、嵐を呼ぶかのように脈動している。
彼が祈り終えると同時に、教会を包んでいた厚い雲が一瞬だけ裂け、鋭い銀の月光がステンドグラスを突き抜け、聖堂の床に突き刺さった。それはまるで、かつての大戦で名を馳せた英雄の刃のような光だった。
――天上の雲の上では、神二人が下界を見下ろしていた。
「……始まったようだな」
黒銀の瞳を閃かせるその男は、楽しげに口元を歪めた。その視線の先では――ゴクトーがふらりと聖堂の出口へと足を踏み出そうとしていた。
「ああ。運命の歯車は、一度回り出せば止まらぬ。 黒銀の、お前の血を継ぐ少年が、どんな風を吹かせるか……見ものじゃわい」
そう言って神シロが白い顎髭を撫でつけた。
二人の神の眼差しが、地上で震える少年の背中に重なった――。
***【翌日】***
朝の光がステンドグラスを透過し、コリン教会を静謐な色彩で満たしていた。
街外れの森にひっそりと佇むこの教会は、孤児たちにとっての安息の地だ。
朝のお祈りを終えた後の朝食は、硬いパンと、微かに塩味と甘い香りが漂うオニオンスープ。皆がそれを美味しそうに頬張る姿は、ここでの日常そのものだった。
片付けを終えると、シスターが穏やかな口調で告げる。
「私は教会に戻ります。いつものように薬草の採取をお願いね。……ですが、決して森の奥へは立ち入らないこと!」
そう言い残し、シスターは教会に併設された治療院へと向かった。そこでは、魔物の呪いや麻痺に苦しむ人々に向け、無償で薬が施されている。
教会の扉を開けると、冷たい雨の匂いが鼻を突いた。森の木々が風に煽られ、不気味なほどに騒めいている。
言いつけ通り、薬草を探しに森へ入ったゴクトーは、いつものように薬草を探すための道を目指した。
なぜ、こんなにも懐かしいんだろう……。
雨の中、脳裏に浮かぶのは見たこともない山脈の風景。空を裂く魔力の波紋。そして――誰かを守るために握りしめた、冷たくて温かい鋼の感触。
それはただの妄想癖のせいなのか、それとも前世からの呼び声なのか。ゴクトーが藪を抜けたとき、森の空気がピタリと止まった。
ゴクトーの視界の端で、何かが見えた。
この一帯は司祭様の「結界魔法」に守られており、本来は危険な獣や魔物は現れないはずだった。いつもなら「魔物などいない」と信じて疑わないこの森の境界線。その先、普段は決して足を踏み入れないはずの禁域に、黒い影が蠢いていた。
「……何が、いる?」
ゴクトーの足が恐怖ではなく、奇妙な高揚感によって一歩前へ出た―― その瞬間、彼の背後から気配がした。
「おい、ゴクトー! どこへ行くんだ!」
「その先は、行っちゃダメだって、シスターが……!」
孤児院の仲間、ケントとミクだ。二人はびしょ濡れになりながら、恐る恐るゴクトーの肩を掴む。しかし、ゴクトーの瞳には、今の二人の姿とは別に、かつて共に戦場を駆けた戦友たちの幻影が重なって見えていた。
「大丈夫だよ」
振り返ったゴクトーの顔には、いつもの臆病な少年ではない、どこか遠くを見据える凛とした表情が浮かんでいた。その黒銀の瞳が、雨の暗闇の中で怪しくも美しく輝く。
「今日は、……『神様』に呼ばれている気がするんだ」
「帰ろうよ、ゴクトー!」
「そうだよ、ゴクトーにぃ、危ないって!」
ゴクトーの背後でケントとミクが声を震わせる。
銀髪を木枝に擦りながら藪を抜けていたゴクトーは、ふと立ち止まった。
しかし、シスターの困った顔を思い浮かべ、もう一歩と足を踏み出した――そのとき。ガサリ、と木々が大きく揺れた。
「何か、いる!」
その言葉と同時に、森の奥から地響きのような咆哮が響き渡る。ゴブリンの群れが、獲物を嗅ぎつけたかのように茂みを突き破って現れた。
ミクの悲鳴が森に響くのと同時に、「ぎゃぎゃあ!」という耳障りなゴブリンの咆哮が鳴り響いた。
気がつけば、ゴクトーたちはゴブリンの群れに包囲されていた。
「やばいぞっ! 囲まれた!」
ゴクトーの叫び声が森に響く。
追いつくゴブリンの一体が、ケント目掛けて大槌を振り下ろす。
その刹那、バシュッ! 空気が裂ける鋭い音とともに、緑色の鮮血が周囲の木々に飛び散った。
――何が起きたのか。
理解するよりも早く、ゴブリンたちの身体は無残に切り裂かれ、地面に転がった。生臭い風が吹き抜け、ゴクトーたちは恐怖と驚愕にその場にへたり込んだ。
ケントは青ざめ、ミクは言葉を失い震えている。
静寂が戻った森に、カチンッと硬質な金属音が響く。
「無事か?」
藪をかき分け、その男は現れた。
腰に佩いた二振りの刀――白き鞘の細身と、漆黒の太刀。それらは薄暗い森の中で、まるで主を待っていたかのように鈍く光を放っている。
銀髪と同じ色の口髭を蓄えた偉丈夫は、鋭い眼光でゴクトーたちを見下ろした。
「怪我は、なさそうだな」
圧倒的な風格。
恐怖よりも先に――ゴクトーの胸を撃ち抜いたのは、言葉にできない高揚感だった。その男はゴクトーの顔を覗き込むと、ニヤリと不敵に口元を歪める。
「はっはははは。恐怖に呑まれず、その声を出せるか」
それが、後の師匠となる男――ナガラとの、運命の邂逅であった。
ナガラは白刃を一閃させ、刃にこびりついた魔の血を大気へと払う。
カチリ、という硬質な音が、静寂に沈んだ森に響き渡った。
「無事でよかったな。ほら、立てるか?」
差し伸べられたその手は、あまりにも大きく、そして温かかった。
一方ゴクトーは土の汚れを払い、震える足で立ち上がる。
「……かっこいいけれど、ずいぶんと変な笑い方をする人だな」
零した不敬な言葉に、男は一瞬目を丸くし、次いで森を震わせるような豪快な笑い声を響かせた。
「はっはははは! 随分な物言いだな。助けてもらった分際でその生意気さか。
だが、悪くない。その強がりこそ、荒野を征く者の証よ」
「あんた、冒険者だろ?」
ゴクトーが問うと、ナガラは口髭を指で擦り、挑戦的な眼差しを向ける。
「幼き瞳に、遥かなる大陸の地図が見えるようだな。お前のような奴を待っていたのかもしれん」
ゴクトーの中で、何かが決壊した。
憧れ、前世の記憶、そして少年としての渇望――それら全てが、突き動かされる。
「俺の夢は冒険者だ。このズードリア大陸を巡り、世界の果てを見たいんだ!」
男は一瞬だけ虚を突かれたように目を見開き、やがて野心的な弧を口元に描いた。
「いいだろう、坊主。オレの背中を追ってみるか?
地獄の果てまで、付き合えるのか?」
迷いはなかった。
ゴクトーは一歩踏み出し、力強く叫ぶ。
「どうか、俺を弟子にしてください!」
「名は!」
「ゴクトーだ!」
少年の黒銀のメッシュの髪が、木漏れ日を浴びて輝きを増す。
こうして少年ゴクトーの運命はナガラという男と交差し、伝説の歯車が回り始めた。
――天上の神々が見守る盤上で、小さな駒がその戦いの意志を剥き出しにする。
壮大なる冒険の幕は、この雨上がりの森から、静かに、そして力強く上がったのである。しかし、この平穏な地であるズードリア大陸とは別の島国では、この世界の運命すら揺るがす、大惨事が起きていた――。
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