狙われたアドリア公国編 7 〜上位神の救済〜
狙われたアドリア公国編は、これにて閉幕Σ('◉⌓◉’)
上空に現れたのは太陽よりも二回りほど小さい、灼熱の小惑星 ーー
それが豪炎を纏い、怒りの天体と言うべき姿で落下してくる。
サイクロプスだけが、夥しく噴き出す血の隻眼を上げ、天空を睨みつける。
その隻眼には怯えの色すらなく、ただ抗う意思だけが浮かんでいた。
「お願い!これで終わってーー!」
涙ながらのジュリの叫びに戦場の誰もが口を噤み、その光景に息を呑む中、
瓦礫の影からわずかな笑い声が漏れた。
「けけけけ……」
不気味な低い声とともに、突然空間の狭間から現れた異形の個体。
その体は鋼のような筋肉の塊で覆われ、
肩から背中、胸、腕の至る所に突き出した無数の鋭い棘が、
殺戮の凶器としてギラギラと不気味な光を放っていた。
皮膚は古い岩肌を思わせる紫灰色。
わずかな筋肉の伸縮さえもーー
冷たい戦意を帯びた金属質の光沢をちらつかせる。
頭部を覆う無数の棘はまるで歪んだ王冠のようであり、
深く窪んだ眼窩の中では、
青く凍てついた異形の瞳が猛々しく燃え盛っていた。
その目がサイクロプスとの激しい戦闘を繰り返す、赤い翼を凝視していた。
「ちっ!憎ったらしい末裔たちめが、余計なものまで召喚しやがって……」
つぶやく異形の表情は、極めて苛烈ーー眉間には深い皺が刻まれ、
牙を剥き出しにしたその容貌は、
まさに『怒り』そのものを具現化したかのようだった。
肌は朱に染まり、眼窩から飛び出た、
青白い炎を宿す目には狂気が光っていた。
頬から顎にかけ、無数の鋲のような突起が見るものを恐怖に陥れる。
その異形はどこか滑稽にも見える大袈裟な手振りで、
誰に聞かせるわけでもなくーー口を開く。
「こんなところで、この古の最終兵器……
コイツを殺されたら元も子もないんだよ……けけけけ」
その不気味な苦笑が漏れたと同時に、
異形の両手、否ーー
獣じみた4本の指がまるで空間を掴み取るかの如く、虚空を掴む。
その刹那、闇色の紋様が大地に広がり、空気が澱んだ。
異形が操る呪詛術は、ただの魔法とは異なり、
命そのものを蝕む禍々しい気配を帯びていた。
痩せこけた頬に不釣り合いな筋骨隆々の腕を掲げ、
4本の指のうち、2本を戯けたように動かしてパチンと鳴らした。
「【Temputh・redie・ flamin・ flaree】!
けけけけ……このキライマカ様は、絶望こそが力の根源なのだよ!」
魔族特有の亜空間魔法ーー
その呪詛がかかる魔術の代償を理解しつつも、異形は笑みを浮かべた。
ーーその瞬間、世界は一秒止まり、時間の流れが捻じ曲がったーー。
小惑星がサイクロプスに触れようとする刹那、
ゴクトーの瞳が捉えたのは、信じ難い光景だった。
まるでスローモーションのように空間が歪み、
小惑星が元の軌道へ逆流するようにゆっくりと戻っていく。
「何……だと……!」
言葉にならない疑問が頭を駆け巡る中、
突然激しい風圧が襲いかかった。
空気が引き裂かれ、灼熱の炎とともにゴクトーの身体は無理やり、
捻じ曲げられるように吹き飛ばされた。
「かぁっ……!」
肺から空気が押し出され、視界が激しく揺れる。
ガツッ…ドンッ…カランッ!
弾き飛ばされたゴクトーは瓦礫の中に突っ込んだ。
その瞬間、あらぬ方向に幾重にも曲がるゴクトーの身体の骨が、
細かく折れ、バキバキバキバキと痛みを伴う鈍い音が彼の体内に響く。
苦痛で顔を歪めるゴクトーは意識が遠のく中、かろうじて薄目を開けると、
あの巨体のサイクロプスの姿が、幻のように揺らめいていた。
まるで砂の城が風に吹き飛ばされるかのようにーー
その巨体の輪郭が崩れ始める。
巨躯が細かい粒子となって舞い上がり、やがて空へと溶け込んでいった。
「消えた……!」
ゴクトーの脳がそれを理解する前に、彼の全身から力が抜け落ちた。
「『ロカベル』の結界魔法をーーー!」
誰かの声が聞こえる中、
異形の魔族が獰猛な笑みを浮かべているのを最後に、
ゴクトーの意識は闇の底へと沈んでいったーー。
ーーその頃、悠遠なる天空の神域では。
地上の凄惨な崩壊劇を見下ろしながら、
神々は冷徹かつ静謐な審判を下していた。
「……あの方角は、下層界の『果てなき荒野』か」
重厚な衣を纏い、威厳に満ちた神代の大神が低くつぶやく。
その黄金の瞳には、落下する灼熱の惑星と、
空間を歪める魔族キライマカの姿が鮮明に映し出されていた。
「まったく、魔族どもも懲りないものですねえ。
古の最終兵器なぞ引っ張り出して、自ら滅びの扉を叩くとは……」
隣に立つ獣人の人柱、白狼虎は不敵な笑みを浮かべながら、
血に染まる地上を指先でなぞるように見つめた。
その細い指の隙間からは、
世界の理を縛る呪縛の鎖が微かに軋む音を立てている。
「愚かしいことですね。ですが、
あの魔族……キライマカの介入は、天の摂理すら狂わせかねません」
女神ロカベルは黒縁メガネを掛け直し、
憂いを帯びた表情で眉を寄せ、聖なる光を湛えた手をそっと胸に当てた。
「あのままでは、地上の歴史の歯車が完全に砕け散ってしまう。
……大神様、このまま傍観するおつもりですか?」
ロカベルの問いかけに、上位神大神はゆっくりとかぶりを振った。
「案ずるな、ロカベル。運命の糸は今、
あの瓦礫の底で気を失ったゴクトーという男の手に委ねられた。
……彼が目覚めたとき、世界がどちらへ傾くか。
それを刮目して見届けるのみだ」
神々の冷ややかな、あるいは慈愛に満ちた視線が、
再び静かに、白濁した雲の切れ間へと注がれていったーー。
昏い意識の底で、ゴクトーは奇妙な静けさに包まれていた。
痛みも恐怖も、地上の喧騒さえも遠くへ去り、
ただ冷たい泥水のような闇が彼を包み込んでいる。
「……俺は、死んだのか……?」
つぶやくが全身の骨が砕けた激痛の名残だけが、
辛うじて自分がまだ肉体を持っていることを感じさせる。
だが、その思考さえも霧の向こうへ溶けていく。
永久に続くかと思われた暗闇の中、
突如として耳障りな金属音が響き渡った。
――チィィィン……!
それは、世界を構成する歯車が無理やり噛み合わされるような、
不快で高音のノイズだった。
同時に、閉ざされた瞼の裏に、眩いほどの青白い光が突き刺さる。
「……っ!」
ゴクトーは乾いた咳とともに跳ね起きようとしたが、
全身を走った激痛にその場へと崩れ落ちた。
「無茶をしおって」
冷ややかで、それでいて底知れない威厳を湛えた声が、頭上から降ってきた。
ゴクトーが慌てて顔を上げると、
そこは先ほどまでの荒廃した瓦礫の中ではなかった。
足元には純白の雲海が広がり、
見上げる空には星々が昼であるにもかかわらず、
不気味なほどの輝きを放っている。
神域――人間が決して踏み入れてはならない、
天界の雲の上、それは回廊だった。
目の前には、重厚な衣を纏った神代の大神と、
黒縁眼鏡を押し上げる女神ロカベル、
そして不敵な笑みを浮かべる白狼虎の姿があった。
「てめぇらは……誰だ……?」
ゴクトーは荒い息を整えながら、
地面に這いつくばったまま、八重歯ならぬ白い牙をむき出しにした。
ーー恐怖はない。
あるのは、己の無力感を踏みにじられた怒りと、
あの魔族キライマカへの殺意だけだ。
サイクロプスを消し去り、
自分を虫けらのように吹き飛ばしたあの異形の姿が、脳裏に焼き付いている。
その時、女神ロカベルが持つ、一冊の分厚い本が開かれた。
「【Revive】!」
女神ロカベルの詠唱。
ゴクトーが荘厳で黎明な光に包まれたその瞬間、
柔らかな波動が静寂を飲み込み、刻が逆巻くように空間が歪んだ。
その魔法は、ゴクトーの満身創痍な身体を蘇生していく。
その光景を見やる女神ロカベルが、冷ややかな同情の色を浮かべながら、
聖典のような書物を閉じて告げた。
「無礼な口を利くものではありませんよ、ゴクトー。
神代の大神様があなたをこの高みへ引き上げなければ、
今頃あなたの魂はあの魔族の呪詛に溶かされ、消え失せていたのですから」
「ミリネア、何を言ってる?」
この時ゴクトーは、地上の眷属ミリネア・ロカベルと、
女神ロカベルとを見間違えた。
絢爛たる羽衣以外その容姿は瓜二つだった。
一方で、上位神の神代の大神は制止するように、
片手を挙げ、黄金の瞳でゴクトーを射抜いた。
「神々が貴様を救ったのではない。
ーー運命が、貴様を切り捨てなかっただけだ」
「運命、だと……?」
「そうだ。魔族キライマカが禁忌の術、
『Temputh・redie・ flamin・ flaree』を発動した代償に、
地上の理は大きく歪んだ。
奴は古の最終兵器を隠蔽するため、時間を逆行させ、歴史の改変を行った。
その余波で、本来ならば死ぬはずだった貴様が、
奇跡的に『因果の隙間』に取り残されたのだ」
大神の言葉の意味を、ゴクトーの荒ぶる頭脳が必死に噛み砕く。
「時間が戻されただと?
サイクロプスが消えたのは、あの魔族が歴史を書き換えたからなのか?」
「そういうことじゃ」
白狼虎が苦笑しながら口を挟んだ。
「くそっ……! じゃあ、あの戦いは、
俺たちが命を賭したあの死闘はーー
全部無かったことにされたって言うのか……!」
ゴクトーの拳が固く握りしめられ、血が滲む。
怒りで全身の血管が沸騰するかのような感覚が彼をさらに苛立たせる。
「半分はそうだな。だが、絶望するにはまだ早い」
傍らで腕を組んでいた白狼虎が、獰猛な笑みを深くした。
その鋭い牙が、星明かりに妖しく反射する。
「貴様の中には、あの時サイクロプスが遺したーー
『闘神の残滓』が焼き付いている。
通常なら呪詛で精神が崩壊するところだが……
お前のその底知れぬ執念が、奇跡的にそれを定着させた。
――どうだ、ゴクトー。
地上へ戻り、歴史を捻じ曲げたあの忌々しい魔族、
キライマカの首を刈り取る気はないか?」
神々の視線が、再び一点に集中する。
それは慈悲などではなく、盤上の駒を見定める冷徹な支配者の目だった。
しかし、ゴクトーにとってはそんなことはどうでもよかった。
復讐か、あるいは完全な破滅か。
選択肢など最初から存在しない。
「……ふっ」
血を拭う彼の唇の端が、歪んだ笑みを描くように持ち上がった。
なぜだか、ひしゃげた血塗れの右腕だけは、治癒されないままだった。
だが、立ち上がったゴクトーの左腕から、
青白い炎のような闘気が激しく噴き出す。
これこそが【闘神の覇気】なのかも知れない。
覚悟を決めたゴクトーが鋭い眼光で見上げた。
「神様よ、道をあけろ。
俺はあいつの首を引っこ抜くまで、何度でも地獄から這い上がってやるよ」
ゴクトーが踏み鳴らした足元から、天界の雲海が大きく割れ、
再び血に染まる下層界の荒野へと通じる光の穴が開いた。
ーー世界が再び動き出す。
復讐と絶望の歯車が、狂気的な音を立てて加速し始めた――。
狙われたアドリア公国編 完
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