銀血の序曲ーー受け入れざる急報
太古の大戦から数百年後、突如としてズードリア大陸を襲う天変地異。
空が裂け、地がうねり、津波が舞い、稲妻が大地を切り裂く。
それは、まだ序章に過ぎなかった。
南東の神秘の海“マレー海”沖ーー大地が隆起し、火山が噴き上がる。
黒煙が空を覆い、龍の咆哮が如く雷のような音が響き渡り、溶岩が滝のようなひと筋の奔流に変わり流れ落ちる。
海は赤黒く煮え、地獄のような光景が広がった。
やがてその地に、“黒い門”が現れる。
漆黒の石で造られたその門は、時の流れを拒むように静止していた。
門が開いた瞬間、世界が一秒だけ息を止めた。
そこから現れたのは、異形の“魔族たち”。
彼らは恐怖と混乱を撒き散らし、“王国ガーランド”を築く。
そしてーー太古の大戦が、再び幕を開けようとしていた。
その地を支配するのは、圧倒的な力で魔族たちを屈服させたガーランド三世”。
祖父・赤髪のガーランドの名を冠し、ズードリアの支配を企む。
重厚な玉座に腰かけ、紅の瞳で世界を見据える。
左肘を肘掛けに預け、顎には軽く拳を添える。
ガーランド三世は片目を瞑り不敵な笑みを浮かべる。
「ふむ……」
口元から覗く、二本の鋭い牙がーー彼の存在の異質さを際立たせている。
赤い髪が燃えるように鮮烈に揺れ、薄青い肌に長く鋭い黒い爪が映える。
その端正な顔立ちは見る者全てを圧倒し、【脅威】と【覇気】をまざまざと見せつけるのだった。
***【魔王と配下】***
カツッ… カツッ… カツッ…
王宮内に鋭いハイヒールの音が規則正しく響く。
彼のもとに現れたのは、*魔族四天王の一人ーー北のドルサード。
魔王配下の筆頭、魔族たちからも恐れられる存在。
碧の髪を揺らし、黄色の瞳に金色の虹彩が冷たくも妖艶に輝く。
灰青色の肌には黒く美しい二本のツノが際立つ。
彼女のその顔はどこまでも整っていた。
赤いドレスが豊満な胸元を惜しげもなく露わにして。
足元に流れるスリットから覗く、灰青色の長い美脚。
高さのあるハイヒールがその一歩一歩を強調し、貴族としての威厳と官能的な美しさが目を引く。
(*ドルサードのイラスト)
彼女は玉座の背後に身を預け、艶っぽく囁いた。
「魔王様……トランザニヤに、“もう一人”がいたのです。誰も知らぬ皇子が……」
そう言って魔王の耳を甘噛みする。
「……それが真ならば、物語が狂い始めるな」
魔王の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
その紅い瞳と銀の虹彩は一瞬たりとも、油断なく世界を見据えるようである。
「……放置はできんな。トランザニヤの皇子、か」
その言葉とともに、世界の歯車は狂い始めたーー。
***【神々の雑談】***
天界より下界を覗く神たち。
「【黒銀に閃く瞳孔】、【鋭い犬歯】って、こりゃ、お前の末裔たちだぞ」
神シロが黒銀の目の友に語る。
「ああ、そうだな」
彼はつぶやきながら笑みを浮かべた。
(*ズードリア大陸マップ)
ズードリア北方の島国“トランザニヤ”。
平和な一族のもとに生まれた双子の誕生が、運命を変えていく。
この小国で静かに、しかし確実に異変が起き始めていた。
隔離された島国の暮らしは数百年、平和そのものだった。
「爵位制度か……昔と変わらんな……」
黒銀の目の友が懐かしむ。
「確か……特有の爵位制度が採用されてるんだろ?
君主は『王』ではなく、『王爵』と呼ばれるとか?」
神シロは手を顎に添え、下界の様子をじっと見つめていた。
「代々、長男のみが王位を継ぎ、『ロイ(王爵)』を名乗ることを許されるんだ」
「だが、弟たちは『ファン(公爵)』の称号を与えられ、義務としてそれを名乗らなければ……ならないんだ」
黒銀の目の友が続けた。
「その下に連なる重臣や眷属の一族も、侯爵以下の爵位を分与され、それぞれが国を支えているんだ!」
彼は力強くシロに話す。
「お前は常人には到底扱えない、特殊スキルを生まれながらに備えているからなぁ……」
「まあ、だから『始祖の一族』と呼ばれているんだがな……」
「その姿と力は、人々に畏敬を与え、時に神話とすら混同されたって聞いたぞ。 ククク」
神シロは黒銀の友にそう言うと、口を歪めていた。だが徐々に彼の表情が曇っていく。
「おい、見てみろよ!」
「ああ」
神シロの言葉に黒銀の目の友はギュッと目を凝らし、その様子を眺めた。
***
神々が見据えたその先ーー総人口、僅か二千人程の小国。
トランザニヤ国の首都、メルリにある白亜の宮殿。
絢爛豪華なステンドグラスが、白亜の宮殿内に柔らかな七色を添えている。
その最奥に位置する壮麗な『王爵の間』。そこにも煌びやかな光が降り注でいた。
そこではトランザニヤ国の爵位を持つ、眷属たちの上奏が執り行われていた。
どこか落ち着きのない年配のーー人ではなく、”人狼の侯爵”が進み出る。
侯爵は玉座の間の大理石の床に膝をつき、ゴリ……と、鈍い音が響く。
涎を垂らしながら、重々しくその年配は口を開いた。
「ええと、その、あの困ったことに……」
人狼の侯爵は口籠りながら、なんとか続けた。
「……ヒドラが……現れました」
その瞬間ーー緩やかな空気が張り詰めた。
ーー重々しい急報。
それが玉座の間に波紋を広げていく。
最初に反応したのは、トランザニヤ家の末弟だった。
「ヒドラ……? 九つ首の龍だなんて……」
ドミナスは紅のローブの袖をぎゅっと握りしめた。
トランザニヤ家は、男ばかりの三兄弟。
彼らがほぼ国を動かす柱になっていた。
その末弟はこの国の宰相を務める。
実質No3の権力者だ。
一人異端な青髪の彼の仕事は、主に国内のインフラ整備、税収の管理、司法の管理などが任されていた。そのぽっちゃりとした顔に、見えない緊張が滲んでいる。
周りの諸侯たちも眉をひそめ小言を囁く。
玉座はどこか冷たい緊張感が漂い始めた。
バカな……。
”あれは別界の怪異”と、亡き父は断言していたはずだが……。
まさか、魔王が深淵から……
トランザニヤ家の次兄、マグナスは思考を逡巡させる。
彼の不精髭の下唇が渋く歪む。
冷静さを装うが眉間には深い皺が寄っていた。
短く切り揃えられた銀髪をガシガシ掻く彼の仕事は、主に魔物討伐、防衛、警備。トランザニヤ国家の中では唯一の大将軍。実質No2の権力を持つ。
しかし、トランザニヤ家の長兄、”王爵”オブリオは黙っていた。
玉座に腰をかけ、束ねた銀髪を背に鋭い眼差しで弟たちを見つめていた。
黙視していたオブリオの拳は、わずかな輝きを放っている。
血に宿る『始祖の力』がたかぶりを示し、揺るぎない口調で述べる。
「現れた以上、対応するしかあるまい……マグナスよ、討伐隊を編成せよ!」
「はは、ありがたき幸せ! 兄上、このマグナス、全力で果たしてみせましょうぞ! がっはははは」
次男マグナスは胸に拳を添え、高い声を響かせる。
弟の決意を受け止め、オブリオはさらに続けた。
「だが、決して無理はするな……死ぬようなことがあれば、トランザニヤ家の名誉が泣くのだからな」
その言葉に、末弟ドミナスも不安げな表情を浮かべ続けた。
「マグ兄……どうかご無事で……」
マグナスは頬を引くつかせ立ち上がる。
「心配には及ばぬぞ、チビナス。 がっはははは。 ふん、ヒドラごとき、我が犬歯で噛み殺してみせようぞ!」
(*マグナスのイラスト)
豪語したマグナスは、続け様に部下たちに命じる。
「命の惜しからぬ者どもよーー我に続けいッ!!」
一瞬、部下たちは顔を強張らせた。
だが、マグナスの【覇気】とでも言おうか。威圧にほだされすぐに剣を抜き、「おおー」と皆、気合いを込めた。
部下たちを引き連れ、黒いマントを颯爽と翻しーー
玉座の間を出ていく次男マグナス。その性格は剛毅。
まるで英雄が見せるようなその背には、揺るぎない覚悟と自信が滲んでいた。
彼が遠ざかる中、玉座の間には”しん”とした不気味な静寂が訪れていた。
違和感を覚えたオブリオは、うすく眉をひそめる。
そして、兄として弟の命を何よりも案じていた。
誰よりも誇り高く、
誰よりも優しい弟よ。
かつて、雪山で凍えた幼き日の小さな手をーー今も忘れたことがないぞ。
思いながらも彼はこの時、感じたことのない不安を抱えていた。
遠ざかる弟の背中を見つめ、オブリオは静かに祈った。
どうか……無事であれよ……。
オブリオのその瞳には、かすかな憂いが浮かぶ。
誰も気づかないーーその時。
玉座の間の天井、七色に光るステンドグラスにはわずかな”ひび”が走っていた。
彼の胸中に去来するのは、この国を覆い始めた不穏な気配ーーその陰で、“名もなき者たち”が、刻を待ちわびるように息を潜めていた。
やがて、銀の血すら朱に染まる日が来るとは、誰も知る由もなかった。
それはトランザニヤという神話の終焉、序曲に過ぎなかったーー。
***
その頃、黒銀の目の友が小国トランザニヤに注視している最中、
神シロはコリン教会の孤児院に目を向け、ニヤリとしていた。
「あいつ、また、シスターに怒られてやがる。どれ一丁ワシのお気に入りの図鑑でもくれてやるか……ククク」
神シロは、黒銀の瞳を持つ少年を天界で眺めていた。
その少年はゴクトー。
「この物語の主人公は、罰ばっかり受けてやがるな。ククク」
神シロは、噛み殺したような笑い声を漏らしていた。
*魔族四天王ーー四方を守る高位魔族、堕落した4柱の神々を指し、魔王を守護する。勇や魔力に優れた4人を指す。




