4.「名付けた人」
フロウ。慣れ親しんだ呼び方に、心のこわばりが解けるのを感じた。ずっと前に、クリスがつけてくれたあだ名だ。正直に言えば、フローラという名よりもフロウと呼ばれる方がしっくり来てしまう。
美しい花よりも、流れる風でありたい。……などと、ポエミーな心情は一度置いておくとしよう。
「所で、生徒会長様が堂々と授業をサボっているのはどうなのよ」
そう、今は授業中だ。三年生がどのようなスケジュールなのかまでは知らないが、少なくともこの世界に受験期間、という単語はない。そもそも、もし受験期間という単語が存在したとしても入学時期に空白の時間割など存在はしまい。
今更人を呼ぶ気もなければ追い出すつもりもないが、念の為に聞いておこう。そう思ったのだが、クリスは何故か呆れたような顔をして私を見た。何故だ。
「あのな、流石に殿下が入学早々、見知らぬ子爵令嬢を連れ回してるんだぜ?それがお前ともなれば何があったのか気になるでしょ、幼馴染としてはさぁ」
「……はい、仰る通りです。すみませんでした」
反論の余地が無さ過ぎて死にたい。そりゃ自分が逆の立場なら何があったかと思うし、心配の一つもするだろう。これが見知らぬ相手ならいざ知らず、幼い頃からの付き合いともなれば話は別だ。
おいおいお前まさか無謀にも権力に目覚めちゃったか?妾の座が欲しくなったか?上手く取り入ったモンだなあ、くらいは冗談半分に思うだろう。とは言え、私が権力に興味が無いということはクリスもよく知っている。と言うか、元々ただの一市民が求めるには過ぎたものだろう。何より面倒臭い。権力を得るには腹芸だの相応のマナーだの知識だの駆け引きだの、様々な能力が求められる。何か一つでも足りなければお話にならないし、足りていたとしても一歩足を踏み落とせば他の貴族様方に散々に食い荒らされてハイおしまい。罠など幾重にも張り巡らされていて当然の世界で、ライオンからハイエナまで渦巻く場所に一体誰が身を投じたがると言うのだろうか。
元々貴族の世界に居て、権力争いから逃れられない人達ならまだしも私が好んで向かう世界ではない。
特に、クリスはこれでも侯爵家に名を連ねる者だ。家督を継ぐ事にはならずとも、貴族社会そのものから逃れる事は出来まい。であれば、今まで何度となく見たくもない光景を見てきたのだろう。呆れながらも、彼の瞳には心配の色がありありと浮かんでいた。その事に改めて申し訳なさが込み上げてくる。
――とは言え、実は私、乙女ゲーのヒロインでこの世界のイケメンはみんな私を好きになっちゃうみたいなんです!などと頭に蛆の湧いたような言葉は流石に言えない。というか言った瞬間友情が破綻する。だって私ならそんな痛い人間とは関わりたくない。
しかし、適当に濁しても嘘をついている事だけはバレるだろう。そこまで私とクリスは浅い仲じゃない。
となれば嘘にならないギリギリの範囲で、事実を述べることになるのだが……。
(……信じて貰えるかなぁ)
一抹の不安が過ぎる。けれど、わざわざ私を心配してやってきてくれた幼馴染を誤魔化すのは人としてどうなのか。というか出来るならもう誰かにぶちまけたい。あわよくば助けて欲しい。
ええい、ままよ!どうにでもなーれ、と本日二度目の魔法の呪文を心の中で唱えて私は口を開いた。
「――実はね、…………」